「プリーストは!医者はいないのですか!」 「コイツはもう駄目だ、息をしていない……」 「包帯だ!包帯を早く持ってこい!」 うだるような真夏の直射日光の下、いつもは静かな集落は、しかし血の臭いで充満していた。 呻き声をあげる負傷者と、手当をする村娘、遺体に泣きつく母親、不安そうな面持ちで 遠巻きにその様子を眺める村民達……。その顔は一様に暗い。 「王都に、状況の報告と、それと―――騎士団に増援の派遣を強く要請。あ、あとは……」 返り血を浴び、荒い息を吐きながらとぎれとぎれに指示を出すのは聖騎士の テレーゼ。栗毛の長髪をオークの返り血に染めて、分けた前髪の奥にある瞳はどこか虚ろだ。 疲労が深刻であることも明らかで、足元もどこかおぼつかない。戦闘の興奮が抜けず、数名の死者を出したこと、 親友が重傷を負った事を未だ実感できていないのか、一通りの指示を出し終えて彼女の口から漏れた言葉はただ 「暑い」だった。 村名も開拓者からとられたカルヴァ村は、ゲフェン、モロク間の森林地帯に点在する 開拓村の一つである。ここ数ヶ月のオークの活発な活動から、民兵隊との小競り合いの回数も増えていた。 そんな中で生起したのが今回の遭遇戦だった。完全に人間側が不意をつかれた形となり、 部隊は四分五裂となり、大胆な追撃を受けていたら小規模な民兵隊は全滅していた所であった。 「……メル……あの時は、確かに何も………」 知らずうちに彼女が握っているのは、親友と揃いの十字架の首飾り。 木陰で荒い息をつき、負傷したプリーストを想うテレーゼの姿は、気高い騎士のそれとはかけ離れていた。 彼女の様子を言い表すなら「落ち武者」、それががもっともしっくりする言葉だろう。 自分で口に出して、十字を握って初めて思いだした彼女は慌ててプリーストの所へ行こうとしたが、 それは遮られた。村長の使いだ。 「な、何か?」 「フォン=テレーゼ様、村長が今回の戦闘の件の報告を求めています」 「……後に、して頂けませんか。メルヴィナの所に」 「直ちに、とのことです」 沈黙のあった後に、小さく彼女は、はいと答えた。 今回の遭遇戦がここまで無様な結果に終わったのもテレーゼの指揮に一端があり、 その叱責と責任を問われることが目に見えていたからである。 俯いて男の後をとぼとぼとついてゆく。 適切な指揮のとれなかった彼女を擁護できる理由があるとすれば 熱帯のここに赴任する直前までルティエ勤務であったことだろう。気温差数十度は彼女から 体力と搾り取り、判断力を鈍らせていた。 *   *   * プロンテラ王城内の会議室には、軍部の騎士、将軍が集まり、王国各地から集まる報告に 耳を傾けていた。一通り報告が済んだところで、まず口火を切ったのは第一騎士団副長のグレーであった。 「ますますオークによる脅威が増大するなか、騎士団として何らかの対策をとるべき時ではないのか。  本日の報告を総合すれば各地でこの一週間のうちに20名以上の死傷者が出ている。  王都駐屯の第一騎士団を今動かさなくて、なんとする!」 騎士道精神に厚いグレーの意見に対し、会議に臨んだ評議員の反応は鈍い。 再編成途中である、今は事を構えるべきでない、情報が不足している……。ひそひそ話 はどれも第1騎士団の出動には否定的であった。これらの意見を一人の将軍が代弁する。 「<<悪夢>>以来の騎士団の損害の回復はまだ十分ではない。練成未了の将士を  送ってオークをいたずらに刺激するのは得策ではない。現状の維持が望ましいと考える」 「その言葉を、今、開拓村で苦しんでいる村民達にも言えるのか?」 「大局的にものをみたいものですな、騎士グレー。来るべき時には国運をかけてオーク共の討伐を行う事に  かわりはない。今、騎士団を動かすことは奴らにいらぬ警戒感をあたえ、討伐を困難にさせる。」 「騎士の理想を忘れたのか!」 声を荒げるグレーに対して評議員の間にざわめきがおこる。しかし、根回しによって会議の結果は既に決まっている。 形だけ開拓民を避難させるという提案が出されたが、台本通り却下された。 開拓民全員を避難させる場所がない、一つの避難が連鎖的な恐慌を引き起こす。難民は治安悪化に拍車をかけるというのがその理由である。 彼らにとり、開拓村の一つや二つは失っても痛くも痒くもないのだ。 開拓奨励した当初は増収が見込めたが、オーク勢力伸長によって生産力は漸減。 一部の重点開拓村を除けば治安維持のコストばかりかかる状態だった。 議長は議論もそこそこにその会議の結論を早々と下す。 未だ騎士団を派兵する時期ではない。開拓村に対しては傭兵の徴募をもって 討伐軍編成までを耐えてもらうこととする。それだけ人ごとのように告げると閉会となった。 人の絶えた会議室では、納得のいかない面持ちでグレーは席に止まっていた。 *   *   * 会議の決定の後、10日ほどの間をあけてカルヴァ村にも10数名の傭兵隊が到着した。 しかし、彼らの到来はテレーゼの肩から荷を下ろすことには、まったくならなかった。 粗末な教会の前に立っていると数時間ごとに、殴られた、食料を奪われた、 娘が連れて行かれそうになった、などとひっきりなしに窮状を村民が訴えてくる。その度にテレーゼ現場におもむいて 譴責するが、蛙の面に水といった状態であった。 そしてこの10日間、雨は一度も降らず、テレーゼの疲労は許容を超えていた。熱帯夜ではろくに睡眠もとれないのだ。 常に微熱がある状態で、王都勤務であるなら、確実に休まされるような、そんな有様であった。 納屋から家畜を盗もうとしていた傭兵と、村民の仲裁に入って教会の前に戻ると、 今度は村長が憤りを露わにテレーゼにくってかかってくる。 「テレーゼ卿、なんなんですか連中は!盗賊団と何一つ変わらないではないか!  騎士団派遣と聞くから期待していたというのになんという……」 今にも胸ぐらを掴みかからんとする村長はまだ、40台前半の現役の開拓者である。 頼りないテレーゼと比べ、腕っ節も並のブラックスミスよりも逞しい。 「噂には聞いていると思いますが、リーネベルクの一件で、まともな人が応募しないのです。  村民の皆さんには、多大なご迷惑をおかけしますが、その」 テレーゼの煮え切らない、型どおりの説明を遮って村長は怒りを隠そうともせずつめよる。 「それでは、なぜ乱暴を働いた悪漢に口頭の注意だけなのか!指揮官として、騎士としてしかるべき処罰を  強く求める!」 「ご、誤解です。わたくしに彼らに対する指揮権も、警察権もありません。傭兵隊長経由で  『要請』しかできないのです。」 彼女は、聖堂騎士団が独自編成を禁じられ、傭兵隊の指揮も出来ないこと、 さらに傭兵の処罰は傭兵隊内の独自裁判で行われることを一生懸命説明する。 「彼らには戦時特例の部隊内で裁判を行うことが騎士団との契約で認められています。私はどうすることも……」 「リーネベルクでは、聖堂の騎士が指揮を執っていたと聞くが、あれはどうなんだ!  それにあんたは民兵隊の指揮を引き受けただろう!」 「リーネベルクについては詳しくは存じ上げませんが、確かに然るべき手続を踏んで、私を隊長とそれぞれが認めてくれれば  その諸権限を行使できます。しかし、彼らは自分たちのグンドルフを隊長と承認しています。  ですので……、私には何も……。」 堪忍袋の緒が切れたのか、村長の言葉尻が厳しくなり、しどろもどろの彼女に罵声を浴びせる。 「いっつもいつも言い訳ばかりならべて……!この、役立たずが!」 「やく……そ、それはあんまり」 村長の悪態に抗議しようとするが、10日前の一件を持ち出されるとぐうの音も出なかった。 口角沫を飛ばしてののしられ続ける中、彼女は「すみません」と「ごめんなさい」を繰り返すことしかできなかった。 数人がその様子を眺めながら歩き去って行く。端から見てテレーゼの方が身分が上なようにはとても見えないだろう。 「貴族ってのは、こんな『無能』でも騎士になれてうらやましい限りですなぁ!」 そうすてぜりふを吐いて、村長はテレーゼを解放して、猛然と去っていった。 いわれっぱなしだった彼女は、村長がみえなくなったところで、ぽつりと呟いた。 「私だって、好きで騎士になったわけじゃないのに……」 *   *   * テレーゼは貧乏貴族のひとり娘だった。オーディンへの信仰厚い父の強い奨めに逆らえなかった 彼女は、聖堂騎士団の門を叩き、血筋もあって騎士団の列に加わった。 努力は惜しまなかったものの、戦う者としての才能には最後まで恵まれなかった。 騎士見習時代の彼女の評価は語る、「剣を持たねば最良の騎士」と。 実直で温厚な性格を買われて、それまでルティエ教区の教会付だった頃が彼女のもっとも幸せな時期だった。 しかし不穏な情勢が彼女を幻想の街に留め置くことを許さなかった。 ろくな実戦も経験していない彼女が、メルヴィナと共にここにまわされたのはその損な性格と、政治的なバックボーンのなさが影響してのことだった。 *   *   * 傭兵団到着後数日、今日も罵声の中で一日を終えたテレーゼは夕食も殆ど喉を通らなかった。 狭い露天の食堂で代金を払って教会に帰る途中、子供達が戯れているのが見える。 「騎士の真似をしてみろよ〜」 「えっと、こうかな?」 ペコペコに跨る様子を一人がした。しかし、気の強そうな少年は笑ってそれを否定する。 そして、ぺこぺこと頭を下げる真似をしてみせた。 「ちっげーよ。こうやって『ごめんなさぃ』『ふとくのいたすところです』って誤りたおすんだよ」 「お、おい!」 「あ?」 振り向きざまに少年は頬をしたたかに打たれた。 平手打ちは素手で行われた。頭より手が先に動いたような形であったが、籠手をしたまま殴り倒すのはまずい という理性はテレーゼにもあったようである。 そのテレーゼはそのまま何も口に出すことが出来ず、肩を震わせている。目尻にはうっすらと涙がたまり始めていた。 そのまま地面に倒された少年は、状況を把握すると大声で泣き出した。 人だかりができはじめ、青年が少年を助け起こして慰めた。 「痛かったね。ほら、泣きやんで……」 そして、周りからは罵声が飛び始めた。夕暮れも近く、仕事を終え酒臭い者も多い。 「抵抗出来ない奴には容赦なく手をあげるのが騎士様のプライドってのかよ!」 「子供にしか威勢を示せないのか、あきれたぜ!」 「バカヤロー!本当のことやって何がわるいってんだよ、あぁ!?」 気づけば四方から荒くれもの達が、聖騎士を囲んで怒声を張り上げる。 それは都市部では絶対に見られぬ、異常な光景であった。 「あ、その……、ですが、こ」 彼女は周りを怯えたように見まわしながら、小さな声で弁明しようとしたが、まったく無駄であった。 「もったいぶんなよ!さっさと謝意を見せてみろっていってんだろ!クズ!」 「おいおい、結局口だけかよ、騎士も詐欺師も変わらねえってことか!?」 周りから煽られる中、少年が見下して足を差し出している。視線の先には、震え、跪いたテレーゼの姿があった。 土に汚れた粗末な靴に顔を寄せるが、そこで震えたまま近づけることが出来ない。 「靴にキスするんだろ?騎士が謝る時はよ!」 野次馬の中に少しだけ学のある者が、彼女に国王への臣従礼をやらせることを思いついたのだ。 テレーゼ当然拒んだが、巨漢が彼女を無理矢理跪かせると、もう立ち上がることはしなかった。 「はーやーくーしろ!もう日が暮れてるんだぞ!」 嘲笑と、ののしり声の中、彼女の唇は震えながら靴にキスをした。 ほとんど僅かに触れるだけだったが、大衆は満足したようである。指笛が鳴り、 嘲りの言葉と、拍手が湧いた。少年も満足げな笑みを浮かべている。 「自分のけーきょもーどーを恥じるか?」 「…………はじ、ます」 蚊の鳴くような声でテレーゼは答えた。少年が侮辱し、彼女が答えるたびにまわりから歓声が上がった―― *   *   * 死んだような教会――交代の司祭の来る気配はまったくない――に、テレーゼが戻ることができたのは夜が更けてからである。 古ぼけた祭壇の前までよろよろと歩いてゆくと、そこで倒れ込むように膝をついて、声を上げて泣いた。 もういやだ、かえりたい、ひどい、どうすればいい、おかあさん、くるしい……。 裂けた心の割れ目から、とめどなくあふれ出す悲鳴と慟哭。それを見下ろすのはオーディンを描いたのステンドグラスであった。 心身共に疲労の極限にあったが、テレーゼには欠かすことの出来ない日課があった。メルヴィナを寝かしつけている部屋に薬箱を持って訪れる。 「……メル……」 「ぐ…………ぁ………」 暗くて殺風景な部屋には蠅の飛び交う音と途切れることのない苦しみに喘ぐ声。 「今日も、ちょっとの間、だからね」 十数日前に負傷した、ここでたった一人の友人を直視することは、まだ出来ない。 黒々と血の跡が広がる僧衣の中で、脂汗を流して苦しんでいる。地獄を味わっていることだろう。 メルヴィナの首で揺れる血を浴びた十字の首飾りが、それを訴えかけている。 「足の包帯を、返るよ」 「ぁ………ぅ………」 テレーゼは、そう声を掛け僧衣のスリットの所に手を伸ばす。 「うぁ!……いッ!そ、そっと……そっとやって……うぐぅぅぅ!」 「ごめんね、ごめんね……」 生彩を欠いた目でそう謝りながら、機械的に包帯を左足の「あった」部分から取り除いてゆく。 血が固まって包帯が皮膚を裂くたびに呻き声がメルヴィナの口から漏れた。 彼女は鋼の矢を何本も受けた後、オークの斧で左足を膝ごと持って行かれたのである。 赤というより、黄色と茶色に染まった包帯が床に落ちてゆく。 幾重にもまかれた包帯が解かれると、斧で潰された後、さらに鋸で切られた断面が姿を現した。 まだ流血が止まらず、断面から血がにじみ出てきている。既に二週間程度が経過しても塞がる気配がない。 「これ」 メルヴィナの口に布きれを押し込もうとすると、寝返りをうって必死に逃げる。 テレーゼは虚ろな瞳のまま彼女の頭を押さえ強引に突っ込む。 「メルの為なんだから、困らせないで……ね」 「嫌っ……もう嫌、放しっ…ッ、うっ……ぅぅ……」 メルヴィナがぐったりしたところで傷口に緑ポーションを浸した布を宛う。これが凄くしみるのだ。 「ぎっ……うぅーーー!!むぐうぅぅ!ぅぅーー!!」 悲鳴の中、緑ポーションを傷口に浸してゆく。感染症を防ぐにはこれしか、方法がないのだ。 枚を噛みちぎりそうになりながら、痛みに耐えている。麻酔なんてものは存在しない。 いつもは悲鳴が漏れるたびに中断した手当だが、そんな気遣いも今日は希薄だった。 メルヴィナの手当は二人の精神の残滓をさらに削り取る時間に他ならなかったが 今のテレーゼには何も残っていないようだった。 消毒後、申し訳程度にヒールをかけ足の包帯を巻き直して、胸と腕の矢傷の手当も終わった。 メルヴィナはベッドの上から荒い息でテレーゼを不安げにみつめていた。 それを無視するかのように無言のまま出て行くテレーゼの背中に声が投げかけられた。 「ねぇ……きょ、今日は、どうした………の……?」 「メルの気にする事じゃ……ないよ」 そう振り返って答えるテレーゼの目は何も映してはいなかった。 宛われた部屋の固いベッドの上に鎧も外さずに倒れ込む。 体も動かさずに俯せに倒れていると、モザイクのように記憶の断片が脳裏を去来した。 そして、頭を打ち砕かれ、脳漿をまきちらしながら倒れる民兵が脳裏を埋め尽くしたとき 「うっ……!う、うぇぇぇ……っ、ごほっ……」 胃液が逆流した。俯せのままベッドの上で咳き込む。しかし、吐瀉物はほとんど無く、水っぽい唾液の線だけが広がる。 そして、その鈍い苦しみの中で彼女に徐々に思考の名を借りた苦痛が、活動を再び始めた。 少し落ち着ちついてくると、考えるのはいつもカルヴァにきてからのことである。 ルティエにいたときはみんな優しかった。道行く人に声をかければ気持ちよく挨拶を返してくれた。メルも元気だった。だが 「どうして……かな……。一生懸命やるだけじゃ、駄目なのかな……」 カルヴァ村に来てからというものはどうだろう。着任して右も左も分からぬまま 民兵隊の指揮をお願いするといわれて、断ろうとしたら押しつけられてそのまま巡回に出発。 そして、民兵隊に死傷者8人を出し、機能不全にしてしまい、同行したメルヴィナも立てなくなってしまった。 それからというもの、村人の目になにか棘を感じる。声をかけてもよそよそしい言葉しか返ってこない。 眠ろうと目を瞑るだけで鮮明に蘇る遭遇戦の記憶。一列に歩いているところに突然矢を射かけられ、ひるんだところに一気に畳みかけられた。 初めて見るオーク。背丈を数字では知っていたが、正対するともっと大きく感じられた。 必死に剣を振るっていた目の先で、メルが転倒し、左足をおさえている、振り上げられた斧――。 ほとんど新兵と言ってよい彼女には過酷すぎる初陣だった。 浅い眠りを繰り返して、自分が酷く喉が渇いていることに気が付く。 村から少し外れた水場で水を飲みに行くために、教会を後にした。 松明のたかれた門の側に門衛の姿はない。また怠けているのだろうか。どこまでも厄介者集団を騎士団は送ってくれたと、ため息が 彼女の口から漏れる。村の警備に関わる事柄だ。こればかりは見逃すことが出来ない。 わき水の出るところまで、周りを気にしながら行くと押し殺した声が聞こえる。男と……女の声。 茂みの奥からだ。静かな夜に、男の粗野な声はよく響いた。今度こそ現場を押さえてやる。 「何をしているんですか!その人を放しなさい!」 蔦の張った今は使われていないだろう納屋の裏に、ハンターの男が村娘に馬乗りになっている。 「……なんだ、寝てたんじゃねぇのか。こっちは取り込み中だ、さっさと帰れ。今なら見なかったことにしてやる」 テレーゼに見つけられても、ハンターは意にも解せず村娘の服をさらに脱がしにかかろうとする。 「今度ばかりは警告だけではすみません!村長の所に来てもらいます!」 柄に手をかけて、傭兵の肩を掴む。まだ、こちらを無視している。 強く肩を揺すろうとしたところで、テレーゼの頭に鈍い衝撃が走る。 「ぅぐっ!な、何…を……」 意識を失う前に彼女の目に入ったのは、野卑な笑いを浮かべるローグの醜い顔だった。 テレーゼの落ちていた意識は、激痛が腹部を襲うことで、無理矢理覚醒させられた。 「ごほっ、ごほっ……うぅぅ……」 「お、起きた、起きた。ひっでぇ顔だなぁ、へへへっ」 焦点が定まってくると、周りの様子が見えてくる。汚い倉庫のような所にろうそくをたてて明るくしている。 たくさんの古びた木箱や、さび付いた農具。その中にテレーゼは転がされていた。周りに何本も足が見える。 彼女は特に拘束はされていなかったが、体がまだ思うように動かせない。 「こんな、侮辱を……、じゅ、巡回裁判に訴えて、ごほっ、おぇぇっ……」 「ゲロ吐きながらんなこといわれても全然怖くねーよ」 せめて睨み付けようと顔をあげた所で、目の前が急に暗くなっ 「きゃぁ!!」 眉間に鋭い痛み。思いっきり蹴られた。 また、目の前がぼやけている。なんだかなま暖かいものが鼻の上を降りて行く。切れた、みたいだ。 「目は潰すなよ、後で厄介になる。」 「りょーかいりょーかい。こいっつってさ、剥くとまずいわけ?」 「やめとけやめとけ、腐っても貴族だ、後が怖いぞ」 「今回は勘弁してやるか……その分、拳でかわいがってやる、ぜ」 両脇を抱えられて、無理矢理立たされる。足に力が入らない。前に立ったローグが腕をボキボキならしている。 大げさなモーションで右腕を引いて―― 「あ……やめ……」 それからどのくらい時間が経ったか。まだ夜は明けていないが、随分と殴られ、蹴られ、髪を引っ張られ……。 ただ、刃物だけは何故か使われなかった。それを意識できるほどの思考力が彼女に残されていたかどうかは別問題だが。 最初の十数分は体を庇おうとしたり、手で防ごうとしたりしていたが、今は容赦ない暴行にほとんどぬいぐるみのように されるがままになってしまっている。流石に男達も息が上がってきた。親分格のローグが指示すると、 両脇を二人に抱えられて再度無理矢理立たされた。足に力が入らない。ボタボタと鼻血が零れてゆく。 「さて、テレーゼ『卿』、気分はいかがかね」 痛みと疲労で朦朧としたテレーゼの口は半開きのまま動かない。そこから赤い涎が垂れてくる。 脇で支えていた一人が、腕をねじ上げる。新鮮な痛みを受けてテレーゼが低く呻いた。 「も……や、たすけ………」 ローグは歪んだ笑みを浮かべた。何か話さなくてはならない雰囲気を読み取ったのか、テレーゼが 必死に頭に浮かんだことを口に出し始める。その光景は拷問そのものであった。 「な、んで………わた、……し………何も……」 「それはね、テレーゼ『卿』。あんたが貴族だからだよ」 「き……ぞく」 「そうさ、おまえら生まれながらの支配階級とうそぶく連中にどれだけ搾り取られてきたか想像できるかい?  傭兵稼業だってそうさ。『高貴な方々』は傭兵を枝で召喚した怪物みたいに使い捨てにしやがる。  それで戦果が出れば全部自分がもっていき、負ければ傭兵が真面目に戦わなかったとわめき立てる。」 ローグの目笑っているようで、目は真剣そのものだった。コンバットナイフを弄びながらさらに続ける。 当のテレーゼは聞いているのか聞いていないのかは判断しかねる状況だった。 「重税を搾り取れるだけ絞って、大層な騎士団を抱えているのに後生大事にしまい込んで  プロンテラで行進させるだけときやがって……よ!」 ハンターが胸甲の下に鈍い一撃をくれながら吐き捨てた。 テレーゼからは低い呻き声が漏れる。 「よし、放してやれ。これでちったー底辺の気持ちも伝わったってもんだろう」 その合図で床に投げ出された。支えを失って彼女は鎧の擦れる音をたててくずおれた。 ろうそくを消して、男達が納屋から出て行く。最後に残ったローグが出て行こうとするとき、 微かにテレーゼの口から漏れる声を聞いた。戻って耳を傾ける。 ごめんなさい、こめんなさい、ごめんなさい、きぞく、ごめんなさい、ごめんなさい…… 「お前が謝ってどーこーなる問題じゃないんだよ」 そういうローグの声は、自重じみて聞こえた―― *   *   * なんだか外がうるさい 「うぅ……ん………」 目が覚めてくる。ぼやけた輪郭がまとまってゆく。なんだか見覚えのある天井……。 「……自分の、部屋……うん……?」 横に顔を映すと、メルの顔が飛び込んでくる。ベッドに跪く危うい体制で眠り込んでいた。 少し驚いて、メルヴィナの様子をよく見てみると目元には涙の跡があった。 彼女の手には血の付いた布が握られていた。自分の額に手を当ててみれば濡れた手ぬぐいが。どうやらテレーゼを介抱していたようである。 メルヴィナは丸一日意識を失っていた。 「起き出すのだって、本当に辛いはずなのに……」 松葉杖は見あたらない。文字通り這うように裏の井戸から汲んできたのであろう、水桶があった。 体中から痛みが走るが、動けないということはない。メルヴィナを抱え上げ自分のベッドに寝かせる。 左足の断面は土に汚れていた。重傷者の彼女がなぜ、こんなことまでしなくてはならないのか。 「ん……ぅ……や…く……病が………なんか、じゃ……」 うわごとがメルヴィナの口から漏れた。「疫病神」という言葉だけがはっきりと聞き取れる。 「そうか、メルも、私と同じ扱いなのね……」 「疫病神」。なんど陰口として聞いただろうか。なんど聞いても受け流せず、耳に残り続けたこの言葉。 私が着任してから民兵隊が失われ、傭兵はやってきて、オークの足跡が近くでも発見されるようになった。 村民はその理由を私と、メルヴィナが疫病神を連れてきた事に求めたのだ。 そこでそれ以上考えることをやめた。もう、テレーゼには思考することが苦痛となってきていた。結論が出るたびに身が蝕まれる。 メルヴィナを置いて垂と剣だけ佩いて外に出る。体の節々が、内面が痛くて、重い鎧は付ける気になれなかった。 夜なのに、随分と広場の方が騒がしい。いってみると民会を開くのに使う中央の広場に流浪民の一団が見せ物をしていた。 その中でも観衆の目を引いているのがジプシーであった。扇情的なダンスは好きではないが、それでも洗練されていると思わせてしまう。 銀の流れる髪に、女の自分も思わず見とれてしまった。 「こういう時こそ、警備の状況を確認……しないと」 体を動かしていないと頭が変になりそうだった。見張り台や、村はずれの門を見て回る。一応、規程通りやっているようだ。 と、明かりのない民家から物音がした。なにか気になって中を覗いてみる。 土間から居間までは入り口から見渡せて、奥の棚を物色している人影がある。これは、盗み? 「あ――」 振り向いた『ローグ』と目があった。それから起きる前の記憶が全部蘇ってきて。 「あ、ぁ………」 おもむろにローグが腰を上げて、こちらに向かってくる。手には幾つかの貴金属。彼女の足は石化したように動かない。 肩を組まれて、たばこ臭い顔を近づけられる。鋭い眼光が向けられると共に脇に固いものが当てられる感触。 ガタガタと足が震え出す。それだけローグは見届けると特に気にもせず、広場の方に消えていった。 十分な時間がたってからも、テレーゼのすくんだ足は動きそうになかった。 *   *    * 夜も大きく更けて、村も警備を除いて寝静まった頃、離れの材木置き場にテレーゼの姿はあった。 騎士の矜持も、何もかも打ち砕かれて、誰にも会いたくなかった。 いつからここに座って、空の星をぼんやり眺めていただろう。こちらに来る足音が彼女の意識を幾分か引き戻した。 「あなたが、『人の良いクルセイダー』さん?」 「え……?」 広場で演舞を披露していたジプシーだ。近くで見れば、おろした銀髪に赤い瞳は人間離れした妖艶さを持っている。 そして、自然に、古い友人であるようにテレーゼの隣に腰掛けた。 「グンドルフの一味も女の子に酷いことをするわね。顔にまでこんなに痣をつけるなんて」 「つっ!」 顔の痣をつつかれると痛みが走った。その様子がおかしいのか、少し笑っている。 「ちょっと、熱があるんじゃない?」 「あ……、半月ぐらい前までは、ルティエに居たので……」 「えー!?この時期にルティエから配置換えで来たの?おえらいさんの神経おかしいんじゃない?」 「立場上、同意はしかねます」 間があってお互いに吹き出した。カルヴァにきてから半月。初めてテレーゼの顔がほころぶ。 「やっぱり!笑った顔が似合うと思ってたんだ、って、おとと」 ジプシーがテレーゼの笑顔を喜ぶまもなく、笑顔のまま涙がテレーゼの瞳から零れる。 押し殺して泣くテレーゼをジプシーはそっと抱き寄せた。 「落ち着いた?」 「……はい」 目をごしごしと擦るテレーゼの姿が、子供そのもので微笑ましい。 そして、テレーゼが一息つくとそれまでの優しい装いを変え真面目な調子でジプシーが切り出した。 「でさ、今日、グンドルフから聞いたんだけど」 「え、あ、はい……。彼が、何か?」 「連中、この村を数日中に引き払うって、そう言ってた。ご丁寧にそれまでにこの村を去りな、だって」 すこし持ち直したテレーゼの表情が凍り付く。ジプシーは申し訳なさそうな表情をしながらも 淡々と、グンドルフから聞き出したことを彼女に聞かせた。 彼の部下がオークの斥候の数が増えていることを確認したこと。 巧妙に擬装された矢筒が隠してあったこと。 そのほか、彼らは様々な兆候からオークの襲撃が近い事を認識した。 「結局、そうなるんですね……」 「この情報、村長に明日、っていってももう夜明け近いか。とにかく私から言うよりまともに取り合ってくれると思ってね」 それだけ言うと、ジプシーは、一眠りはした方がいいよ、と付け加え腰を上げる。 「あ、あの!」 「?」 テレーゼの呼びかけにジプシーは振り返った。 「あんまり、人の体の事は詳しくないけど……。これは、早めに手を打たないといけないわね」 「そう、ですか……」 テレーゼの願いで教会を訪れたジプシーはうなされるメルヴィナの様子を調べている。ジプシーの見通しは暗い。 「処置は適切ね。ここまでよく保った、と言った方がいいかもしれない」 水差しで水を飲ませながら、苦しむプリーストの姿に表情を曇らせる。 これ以上、この環境に彼女を留め置くのは良くない、そう結論づけた。 体力の消耗も限界。決して衛生的でないこのベッドの上は、緩慢な、苦痛に満ちた死しか待っていないと。 「熱い……、んんっ………あつい……」 さらにメルヴィナが水を求めてくる。ジプシーが粉薬を水に溶かして飲ませた。 一筋の水が、メルヴィナの口から溢れて首飾りを伝う。 「これで、少しすればましになるはず。でも、あくまで対処でしかないから。ここに寝かしておくのは……」 なにか策は無いかと考えていると、テレーゼは決心したように口を開いた。 「明日、許しをいただいてプロンテラに戻ろうかと思います」 「も、戻るって」 「ペコペコが一頭いるんです。あの子の背にメルを乗せて、行く。これしかないと思うのです。」 「でも……」 あなたが、一人で?そうジプシーは聞こうとしてやめた。詮無いことである。 何を言ったところで変わらない。彼女の意志も、待ち受けるものも。 出来るのは、ただ、肯定することだけ。 「そう、たしかに、傭兵どもが引き揚げたらこの村は裸同然になるからね、村長もわかってくれるじゃない?」 「はい。でも、今日は本当にありがとうございました。メルには薬まで……。どうして、ここまでしてくださるんですか?」 ジプシーはばつが悪そうに笑って、それまで隠していた名を明かした。それはテレーゼもよく知った名前だった。 「あ……、あなたが……」 ジプシーの名は、"詐欺師""毒婦"の形容を伴って王都でもそれなりに知れている。むろん、手配書にもその名を連ねていた。 「恩を売っておけば、見逃して貰えるかと思ってね。会わなかったことに、してもらえないかしら?」 困惑するテレーゼに、彼女は十字の首飾りを取り出した。それを見てテレーゼが慌てて首周りを探る。無い。 「あっ、あなたがそれを?」 「メルヴィナ、ちゃんだっけ、この子があなたのことを凄く大事に思っているのは会って分かった。  でも、この足じゃ納屋で倒れていたあなたをベッドまで運ぶのは無理だと思うんだけど?」 悪戯っぽい笑みを浮かべて、ジプシーは十字の首飾りをテレーゼに返した。私が持っていても御利益なさそうだし、と添えて。 「これだけの事をしてくれた人が、あんな罪状の――」 「言い訳はしないわ。どんな理由でも、犯した罪はかわらないもの」 テレーゼは視線をそらす彼女の仕草に、彼女のたどった茨の道を見た気がした。 お互いに押し黙ってしまう。少しの沈黙の後、口を開いたのはテレーゼの方だった。 「グンドルフからも、持っていったんですか?」 予想しない質問にすこしジプシーは驚いたが、すぐに察した。 「それは、ね。そうでもしなきゃ、あんな男と一緒に寝るものですか」 小さな笑いが二人から零れた。お互いに顔を見合わせて、二人は頷いた。 「熱が出ていて私は記憶が曖昧になっていたみたいです」 「あなたの場合、あながち嘘じゃないのよね……。メルの為にも体は大事するのよ」 そう言って、軽く手を振ってジプシーは去っていった。 *   *    * 仮眠を2時間ほどとって、テレーゼは村長宅を訪れた。 途中、傭兵の一人にジプシーを見なかったかと聞かれたが、知らないと答えた。よほどのものをジプシーは盗んだようだ。 「……と、私は考えます。ついては暇を頂けないでしょうか。必ず、カルヴァの窮状を伝えます」 傭兵隊撤退と、一か八かの王都への直訴案をテレーゼは粗末な椅子に腕を組んで座る村長に説明する。 一通り話し終えても、沈黙し続ける村長。あばら屋に毛が生えたような村長の家に沈黙が広がる。 窓からは、村中をくまなく探すグンドルフの手下がかけずり回っている姿が見えた。 「あ、あの」 「役立たずなだけじゃなく、俺たちを置いて見捨てるつもりか、このッ!」 真っ赤な顔をした村長は猛然と立ち上がってテレーゼに掴みかかった。 そのまま突き飛ばされた、テレーゼは側のテーブルに背を打って倒れ、激しく咳き込む。 「この、カルヴァに、俺たちに、災いを招いて、それで、それで、ぬけぬけとそんな事を……!」 怒り心頭に発した村長は、手をついて咳き込み続けるテレーゼにそれまでにないほどに辛辣かつ、徹底的になじった。 しかし、彼女は反論も、謝罪も出来ず、ただ咳きだけが口から漏れる。 「ごほっ、げほっ、ぐぐっ、ゴホッゴホッ……うぇっ!」 「おい、あんた、さっきから……、お、おい!?」 流石におかしいと屈んだ村長の顔に赤い飛沫が飛んだ、彼女の口から一際大きな咳と共に、大量の血が溢れたのである。 さらに何度か咳き込んで、やっとテレーゼは言葉を取り戻す。 「ごほっ……、すみませ……。……はぁ、失礼、しました。ですが――、分かって頂けたでしょう。  こんな廃兵は、いてもいなくても変わらないのではありませんか?それならば……」 血を拭おうともせずに、真っ直ぐに村長を見つめる瞳。それは初めて見る色をしていた。 威勢を削がれた村長は、提案を飲んだ。ただし、一つの条件を付けて。 「この、十字架を、ですか……」 「そうだ。別に直接とりに来なくてもいい。あんたが派遣してくれた騎士が来れば、万事問題無いだろう?」 人質として、十字架の首飾りを置いてゆくこと。それが条件だった。流石に逡巡したが、 結局鎖を解いて、村長に手渡した。 「メルヴィナさんの旅支度はうちの奴にやらせる。アンタは顔でも洗ってろ」 そういって村長は出て行く。それをテレーゼはやつれた笑顔で見送った。 *   *    *   相変わらず、容赦なく照りつける日差しの下を二人と一匹がゆく。 メルヴィナをペコペコに横乗りさせて、テレーゼが手綱を引いた。 獣道に毛が生えたような連絡路は、当然舗装などされておらず、ときおり大きく揺れて、メルヴィナが小さく呻いた。 「大丈夫?辛くない?」 「う、うん……、大丈夫」 ペコペコは完全装備の騎士ではなく、軽い聖職者を乗せている為かまだ余裕がある。 テレーゼとしてはもっと速度を上げたかったが、彼女は片足を失っている。落馬は避けたい。 それに、 「テレーゼ!」 「え、あ、ごめん、ちょっとぼーっとしていたから。何?」 これ以上のスピードで持続的に歩くことがテレーゼには無理な相談であった。 「だから、憶えているかなって……プロンテラからカルヴァ村に行くときの事」 「あ、ああ、うん、あの時も、交代でペコペコに乗ったね。あなたが駈け足にして、ずーっと先にいっちゃったり」 二人の間で軽い笑いがかわされる。しかし、二人とも疲れ切っていて、それ以降も会話はとぎれがちだった。 一歩足を前に出すごとにテレーゼの額から汗が落ち、乾いた地面に吸い込まれてゆく。 一歩歩くごとに、僅かずつ生命力を大地に奪われるかのように。 足元を根にすくわれて、テレーゼがよろめく。咄嗟に手綱は放しペコペコは静かに止まった。 メルヴィナはさっきから時々休まなくて大丈夫かと聞き続けていたが、その度に大丈夫とテレーゼは応じていた。 しかし流石に今度はそれではメルヴィナも引き下がらなかった。 「朝から歩きづめなんだよ。ちょっと休まないとテレーゼが倒れちゃうよ」 「う、うん……じゃあ、少しだけ」 そう言って木陰までペコペコを連れて行き、メルヴィナをペコペコから下ろす。 皮の水袋からぬるい水を少し飲んで、テレーゼもメルヴィナの側に座った。 二人とも汗をびっしょりかいている。メルヴィナが隣を見ると、荒い息をついて、肩当てを大きく上下に揺らしている テレーゼの姿がある。額に手をあてると、平熱をはるかに超える感触をメルヴィナの手に返してきた。 「はぁ……はぁ……メル……?」 「うぅん、なんでもない」 明らかに異常だが、歩けぬ彼女はペコペコを代わってやることは出来ない。 二人ともとっくに「大丈夫」な状態を越えているのだ。お互いにそれを知った上で言葉だけの気遣いは不毛に思われた。 *   *    * 15分ほど休んで、二人の呼吸も落ち着いた。そろそろ出発しようかという時に、テレーゼの目が険しくなる。 「テレーゼ?」 「しっ」 柄に手を掛けて、あたりを伺っている。 メルヴィナも意識を集中すると、聞こえてくる。オーク独特の息づかいが。しかも一体や二体ではない。 ペコペコも感じ取ったのか、森の奥をじっと見据えている。 「囲まれたみたい」 「えっ……それじゃ、」 がさがさという音と共に、オークの一団がそこここから現れた。 手に手に斧や弓を持ってテレーゼ達を囲む。テレーゼは剣を抜きはなち、メルヴィナを守るように牽制する。 メルヴィナはすかさずブレッシングを唱えた。力は使うなと何度言われたが、そんなことは言っていられない。 10体以上に囲まれた時点で不利は明らかだ。テレーゼはそれを理解しつつ、なぜ攻撃をしかけないのかはかりかねていた。 周りを見れば見るほど、遭遇戦の記憶が蘇る。 テレーゼは熱帯で勤務するにあたり、この厚着のクルセイダー装備には常に苦しめられたが、今は良かったと感じた。 足の震えが、外套に隠れて見えにくくなっているからだ。 「ハイ、オーク……」 森の奥から包囲陣の中でも一段逞しい肉体をもつ青鬼が姿を現した。 低木を踏み倒しながら一直線にテレーゼに向かってくる。テレーゼも視線をハイオークに集中した。この集団のリーダーのようだ。 「くっ!」 足が地面に縫いつけられたように動かない。明確にイメージされる数分後の光景。 踏み込んだ瞬間、矢の雨を受けて穴だらけにされるか。数体のオークに囲まれて為す術もなく全方位から刻まれるか。 一歩、また一歩とハイオークが近づいてくる。あと4歩で間合い、あと3歩で間合い、あと…… 巨大な戦斧がゆっくりと持ちあげられて。 だがしかし斧はテレーゼではなく、へたり込んだメルヴィナに向けられ、そして軽く払われた。 攻撃の合図かと思ったがオーク達はそのまま動かない。これは……、もしかして。 人間と共通の合図であるなら。 「メル、これを」 意を決して剣を収め、懐から増援を求める信書をメルヴィナに託す。 「ちょっと!お、オークに背……!」 テレーゼの行動に混乱するメルヴィナを抱え上げ、ペコペコに乗せる。ペコペコの頬を撫でてから、 「プロンテラまでメルをお願い!!」 「テレーゼぇ!」 一気に走らせた。みるみるうちに道を邁進し、すぐに見えなくなる。その間、オークは一切の手出しをしなかった。 無事にたどり着ける、そう信じるしかない。 ゆっくり振り返ると、ハイオークは両手を斧の石突きにのせて、仁王立ちして事の次第を見守っていた。 すべて済んだことを見届けると、オークは今度こそ斧をテレーゼに真っ直ぐ向けた。 語る言葉もない。 テレーゼも抜刀し、それに合わせる。斧と、剣が触れた瞬間、「決闘」の火ぶたが切っておとされた。 じりじりと剣と斧が触れるか触れないかの距離で、左に、右に回り、相手の隙を窺う。 「やぁぁぁぁっ!」 先に動いたのはテレーゼだった。剣を返し鋭い刺突をくわえる。ハイオークは直ちに反応し、 バックラーで弾き、返しざまに斧を持ったままの右ストレートが彼女の顔面を狙った。 バックステップでかわし、下から突き出された豪腕を斬り上げる。 ガッ! 鈍い音共に、赤黒い血液がテレーゼの剣を伝うが、切り落とすにはまったく至らない。 追撃をかわすため、テレーゼは再度距離をとらざるを得なかった。 ハイオークの一撃は、薄い甲冑を簡単に貫いてしまう。絶えず攻撃の軸を定めさせず 動き回り相手を消耗させ、隙をついて急所を狙う。大型のモンスターと一人で戦う時の鉄則である。 必然持久戦となるが、テレーゼの身体は時間が経てば立つほど軋みをあげ、限界を訴える。 「(お願い、保って、私の身体…!)」 グランドクロスは、唱えれば自滅することは分かり切っている。純粋に剣でうち伏せなくてはならない。 「このぉっ!」 斧の斬撃をかわしての数少ない一撃も、手傷を与えるのが精一杯で、相手の動きを止めるには至らない。 今一歩の踏み込みが不足していた。 ハイオークは荒い息をつきながら、騎士との決闘を楽しんでいるようだった。 このままでは先に力尽きる方は目に見えている。体が動くうちに、決着をつけなくては。 通常よりもさらに大きく距離をとったテレーゼは、片膝を突き、動けなくなった姿を演出する。 ハイオークは、罠と知らず、いや知ってなお早足で距離を詰め、巨大な斧を一際大きく振り上げた。 「ッッ!!」 立て膝の姿勢から一気に地を蹴って捨て身の一剣をハイオークの喉めがけて放つ。 ハイオークの斧も咆哮と共に振り下ろされる。 ハイオークと、テレーゼの陰が一つに重なった―― 昼下がりの林道は、静寂に支配されていた。 「く……………ぁ………………」 オーク達は勝敗決してなお、動かない。 乾いた地肌に鮮やかな朱が広がってゆく。その中心にテレーゼは力尽きて俯せに倒れていた。 右肩胛骨に深々と斧が、その刃の見えなくなるくらいまで深々と打ち込まれている。 剣が喉に届く前に、彼女は内側から崩壊してしまったのだ。 ハイオークはテレーゼの死に様を見守って動かない。 次第にぼやけるテレーゼの意識を占めたものは メルと………おそろいの、くびかざり…………どこ、やったっけ…………。 てが、からだが、うごかないや……… あれ、あれがないと、おこられちゃう………… これ、あった……………、メル………これ、で……わた、し……あなた、いっ……… 後に発見されたテレーゼの遺骸は剣を目印に埋葬されていた。 その副葬品に、オーク戦士の証があったことは、広くは知られていない事実である。 END