テレビのニュースアナウンスが、未だアセトアルデヒドの泥沼に浸かった私の脳を覚醒させる。 『行方不明の女子大生、遺体で発見』 憶えているだろうか、ちょうど半年ほど前に話題になった、あの事件… この時はまだ、その真相を知るものはおらず、密かに捜査を行っていた警察関係者のみが全貌を把握していたのだろう。 兎に角、一週間たらずまえ(この時はまだホットな事件だったのだ)から騒がれた女子大生の失踪が、酷く残念な結果に終わった、程度にしか認識していなかった。 私自身が、あの恐ろしい経験をするまでは。 目覚まし時計は既に、寝起きの私の空手チョップによって完全に粉砕されていて、『もるすぁ』等と意味不明な電子音を放つだけだった。 私はテレビ画面の左上に表示される時刻を見て布団を跳ね除け、隣近所の奥様からお小言を貰える程の大声をあげた。 「遅刻!!!!!!!」 私…東京の二流企業に勤めるOL『A』…は、床に転がる酒瓶に足をとられながらも、出勤の準備を整え、マンションの門を飛び出して駅まで走り出した。 会社までは電車で30分たらずだが、計算では既に5分は遅れる見積もりだ。 「もう!Bの奴殺してやるんだから!」 電車の前の席に座っていたおじさんが、私の気迫に怯えて目をそらす。 私は恥も何も捨てて、ハンドバッグから化粧道具を取り出し、化粧を済ませてしまう。 そんな私はどこにでもいる独身OL、少々がさつで、男運のない女。 実家の母は今でも私の元に見合い写真等を送ってくるが、私だって人並みに恋をするんだ。 「A先輩おっはようございまっす!」 ビルの一階ホールからエレベーターに乗り込む私の背に、妙なテンションで名前を呼ぶ女の声。 その明るい声は、私の逆鱗にクリティカルにヒットした。 「B!!!!!お前この馬鹿!!!!!モーニングかけるの忘れたでしょ!!!!」 「むぎゃぁ先輩!ごめんらはいいーー!」 その小柄なOLの頬を千切れるほどつねり上げてやる。 私と同じく遅刻常習犯のBは、寝坊防止の為お互いにモーニングコールをかけるようにしていたのだが、この馬鹿な後輩に任せた私が愚かだった。 とにかく、私たちは何とか時間に間に合い、課長の叱責を受けずに住んだ。 しかし、朝食もコーヒーも取らず、朝のシャワーも浴びなかった私は酷い有様で、まぁ幽霊が歩いている、そう言ったほうが正確だったんじゃなかろうか。 「おはよう」 「お、おおはようC君!!」 そんな私に優しい笑顔で挨拶してくれる男性…そう、この男が、当時の私の(脳内)彼氏、C君。 彼は人懐っこい目をくりくりさせながら、どことなく少年っぽさを残す笑窪を刻み、私とB(こいつは余計)に珈琲を入れてくれた。 本当によく気の利く人だ。 「ああ、ありがとう!ほほんと、助かるよ」 「うわぁ先輩うれしそー」 私がアワアワしながらそれを受け取り、情けない声でお礼を言うと、Bはそれをからかう様に口を尖らせて言った。 無論、その後鉄拳制裁を加えてやったが。 「二人とも、今日は遅刻しなくてよかったね!」 「うんうん!そうなんだC君!Bの馬鹿がまたモーニング忘れてさぁ!」 きっと私は目をミミズみたいに曲げ、鼻の下デレデレしながらおしゃべりしていたんだろう。 周りにはもうばればれなのだが、この鈍感極まりない彼はぜんぜん気づかない。 私も美貌に関しちゃ、ちょっとは自信がある(そこ、突っ込み禁止)。 ちゃんと化粧してくれば、街で男に声をかけられる事だって珍しくない。 なのに、この彼ときたら… 「おおし!レアゲット!」 彼は液晶の向こうの彼女に夢中で、私なんて見えていないらしい。 彼が夢中になる彼女…結構昔から人気のネットワークゲーム。 私とおしゃべりしていたかと思えば、仕事の合間休みが10分でもあれば、彼はほとんど画面に向かってマウスをカチカチ。 これさえなければ、彼も私以外の女にもてただろうに… 私もゲームに関してはさっぱりで、何が彼をこんなに熱狂させるのかわからなかった。 「……」 「…嫉妬に狂う女の目…わかる、わかりますよ先輩!」 つまんなそうにしていたのがバレたか、Bがまたちょっかいを出してきた。 この女も、C君程ではないがネットゲームに詳しいらしく、たまに私をネット喫茶に誘うのだが、私はゲームより読書が好きだから行っても本ばかり。 「目の前に生の熟れた女がいるのに…あぁ、彼を魅了してやまないマトリクスの向こう側!形のない存在しない女に男をとられるとは!!って感じですよね」 「うるへぇ」 私の鋭い一睨みでBは沈黙するが、今度は若干(あくまで若干)まじめな顔になって私のデスクに寄りかかってきた。 「でもね先輩…良い手を思いついたんですよ!」 「はぁん?」 正直良い予感はしていなかった。そして当然良い答えでもなかった。 「先輩もやるんですよ!『RO』!」 「はぁあん!?」 まぁ、ものは試しだ…他に手のなかった私は、Bの作戦とやらを試してみる事にした。 今となっては、これが間違いの始まりだったのだが… 『RO』… 日本国内でのプレイヤーは500万を超えるとか… もうかなり前のゲームだが、様々な追加要素やシステムの増設を経て、今なお人気を誇るMMORPG。 今ではインターフェイス技術革新によって、全ての情報を高画質ポリゴン画像に変換、それをヘッドアップディスプレイに表示し、完全な一人称視点でのプレイも可能となっている。 更には、小型感圧スイッチを大量に使用したグローブコントローラー、神経に電気的な刺激を与える擬似体感装置等を使い、まさにゲームの中に入ってプレイする事も可能だ。 もちろんこれには設備の整った自宅の端末や、ネットカフェでのプレイが条件だが。 と、ここまではBの受け売りだ。 私は今まで、ゲームと言えばスー○ーマリオ、それも最初の穴に落ちて投げ出す程のゲーム音痴であり、ましてや最新技術の化け物と化した今のゲームなど雲をつかむ様な物だった。 もちろんBもその事を知っている。だからROの世界における、私の水先案内人として、Bはなくてはならない存在なのだ。 「いやっほう!やっと先輩とゲームできるー!」 暇な週末、どうせ家でゴロゴロしているだろう私は、Bと一緒にネットカフェにやってきた。 無意味にハイテンションな彼女は私の隣のソファに腰掛け、ヘッドアプディスプレイのついた、大きなヘッドギアをかぶり、両手に太いグローブをはめる。ほとんどロボコップだ。 私も一度この機械をつけた事がある(ゲームではなく、仕事で)。視神経とネットワークがリンクする瞬間、なんとも言えない不快感を感じるのだが、BやC君程の廃人になると気にならないらしい。 「えっとぉ、先輩はアカウントとパスワードの所に、これを入力してください」 「え?新規に始めるんじゃないの?」 「もう、C君のレベルいくらか知ってるんですか?相手してもらえるレベルになるまで、一年近くかかっちゃいますよ?」 「はぁああ!?」 私は言われるままに、Bの育てたキャラクターと自分の全神経を同化させた…   ・   ・   ・   ・   ・ 「う…」 いきなり目の前に緑の原っぱが広がる。 季節外れのタンポポが種を飛ばし、生暖かい春風までが感じ取れた。 私の短い髪は、いつの間にか長いブロンドに変わり、それが風に揺れて頬を撫で回す。 「せ ん ぱ いっ!」 「ああん?」 目の前に立つアニメ顔な女…頭の上に名前がデジタル表示されていた。 女は異様にうっとりした表情でこちらに熱っぽい視線を送ってきた。 そう、こいつがBの別アカウントキャラクター…ナイトの『ちえ』だ。 「お前Bか?」 「か、かわいい!!!!」 いきなりBが私に抱きついてきた。 もちろんその生暖かい感触は、私の(現実よりはるかに)大きな胸に伝わり、私はとんでもない悲鳴をあげる。 「やめろ!きもちわるい!いやあ何これくすぐったい!」 「ああんもう!めっちゃかわいい!ハグさせて頬擦りさせて!お姉さまと呼ばせてぇぇ!」 「断る!」 ズゴンス 鈍い音と共に血飛沫があがり、頭蓋を割られたBが地面に転がった。 Bの顔は奇妙に歪み、片目が飛び出し、傷口から脳みそがはみ出…はしなかったが、血糊がべっとり地面に広がっていた。 私の手には血のついた棍棒がにぎられていて、どうやら武器を装備したままBを殴りつけ、しかもそれが『クリティカル』だったらしい。 『リザしてリザ!』 「は?」 いきなり目の前にデジタルの文章が表示さた。 どうやら私は、仮想現実の世界でBを撲殺したらしい。まぁいっか。 「リザって何さ」 『リザレクション!蘇生の魔法ですお姉さま!』 Bの指示通りにすると、目の前で伸びていた彼女は瞬時に立ち直り(頭に血糊がこびりついたまま)、その場に女の子座り下かと思うと、ニコニコと嬉しそうにしはじめた。 「えへ、お姉さまに撲殺されてリザしてもらっちゃったww」 「はぁぁあん???」 さっきからお姉様だかわいいだ、意味不明な事を抜かすBだが、どうやらこれが彼女のプレイスタイル…ロールプレイらしい。 で、Bは自分の育てたキャラを別キャラで抱いたり頬擦りしたりお姉さまと呼びたかったので、私にこのアカウントを譲った、という事らしい。 「あほらしい…C君はどこよ?」 「あぁん!お姉さまに冷たくされちゃったww」 背を向けた私に、これまた嬉しそうにBが奇声をあげ、背中に抱きついたかと思うと、私の頭に息をふきかけた…と、ここでありえない感覚が… まるで、耳を甘い吐息で嬲られたような、なんとも言えないくすぐったさ… 「あっ!…ふあぁっん!」 「お姉さま、猫耳が感じるあqwせdrftgyふじk」 再びBを殴り倒した(今度は素手で)私は、自分の頭にひょっこり乗った獣耳をもぎとると、顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。 「余計なもんつけさすな!」 私のキャラクター『サラ』はプリースト…いわゆる僧侶だ。 回復と聖なる力を使ったサポート、それに悪魔やゾンビの類にはめっぽう強いらしい。 しかしこの服…私はミッション系の学校を出たが、この聖職者はきわどいスリットにガーダーベルト、黒い下着まで再現されているようだが 「こんなデカイ乳ゆんたゆん生足ちらちらさせる修道女がどこにいるってんだバーロー」 まあ仮想現実の女に文句たれてもしかたない。ここではこれが私の体なんだ。 こうして私は仮想現実の世界で、C君のハートを射止めるべく、第二の人生を歩もうとしていた。 その先に待つ悪夢等、思いも知らずに。