【1】  アタシの名前はゲルトルート。いわゆるやくざ…ちがった冒険者をやっている。  髪の色は深紅。腰まで届く長髪なんだが、いろいろ邪魔になるときもあるんで首の辺りでくくっている。 わかりやすく説明すると、一昔前に待祭の間で流行った髪形だ。瞳の色は蒼。髪の毛の赤に瞳の青ってのは 色合い的に取り合わせが悪い上に、アタシの目は氷の様に冷たくて怖いってよく言われるんであんまし好き じゃない。  冒険者の中での職業は高司祭。いわゆる転生職って奴だ。  この職の深紅の法衣は髪の毛とおそろいで気に入ってんだが、馬鹿みたいにでかい背中のリボンと、アホ みたいに深い両足のスリットがおつむが弱そうな雰囲気をだしていて全体としては一向に好きになれない。 転生前のフェロモン剥き出しの衣装のほうが過剰な装飾がない分まだマシだと思うこともしばしばだ。  ちなみに転生ってのは職を極めた人間が今の栄光と引き換えに人生をやり直すものらしいな。ヴァルキリ ーの言うことは難しくて良くわかんないんだが。  そんなアタシが何しているかというと、貧乏人の剣士のショッピングに付き合っている。  コイツ―――名前はヴィクターって言う―――は資産もないくせに聖堂騎士になるとか言っている大馬鹿 野郎だ。だってそうだろ?避けない耐えないで大事な戦列が維持できるかってんだ。  ウンバラでモンスターに襲われているところを助けた縁で、金稼ぎの先輩として色々指導してやっている。 といったって実際のところは金稼ぎのポイントだけを教えて放置していたんだが、途中で投げ出しもせずよ く篭り続けたこと。久しぶりに溜まり場に寄ったら意外なほどのレアを見せ付けられてあきれ返った。  …今のは失言、取り消す。正直見直した。  で、今はそのレアをうっぱらって念願の装備品を手に入れた帰りというわけだ。  空を見上げると日は既に暮れかかっている。  比較的治安のいいプロンテラだっていっても夜になってまで治安がいいわけじゃない。ましてこのあたり はいかがわしい露天が並んでいるあたりだ。追いはぎが出ても不思議じゃない。そーいやぁ、露天で売った 商品を盗賊を使って奪い返すってマッチポンプな詐欺があったな。  とにかくこの界隈からはとっとと抜けたほうがいいなってことで、二人してくだらないことをしゃべりな がらも近道になる路地を使って帰路を急いでいるってわけだ。  と、路地の中ほどに立ちふさがる影がある。  白く瀟洒な服装に背中に担いだリュートを見ればわかる。クラウン、道化師だ。  アタシには、道化師の知り合いもいなけりゃ恨みを買う覚えがないんだが…と考えて気づく。いやな匂い がする。丁度尋ねられたことだしヴィクターにはこのギルドの規約の意味や由来を教えてやろうと思ったん だが、こりゃぁお預けだな。  心の中でため息をいくつか付くとアタシは警戒心もあらわに歩みを止めた。そのアタシの表情をじっくり 観察した上で、そいつは恭しくお辞儀をすると歯の浮くような言葉を語りかけてきた。 「はじめまして、お嬢さん。一つ今宵はこの私めと愛を語らいませんかな?」 「色男、…話中だよ、失礼じゃないか?」  口にくわえていたタバコを指だけの動作で投げつけ、道をふさいでいる道化師の男を牽制する。この男か ら漂う匂いはよぉっく知っている。人が発することもあるがそんなことは稀。普通にこの匂いを発するもの があるとするならば――― 「あははは!これはこれは強気なお嬢さんだ。私めの正体を察しながら虚勢を張り通すとはね!」 「おい!ヴィクタ!戻って応援呼んで来い!コイツは…ッ」  インキュバスだ!とツレの剣士に警告を発する前にひらめいた爪がモーニングスターの先端とぶつかり火 花を散らす。なんつー衝撃!得物の準備が間に合ったから良かったものの素手で受けてたら骨ごと砕かれて るな。  軽快に遠ざかる足音が聞こえる。ヴィクターはおとなしく逃げてくれたみたいだ。  まぁ、いい。コイツ一匹を足止めするくらいなら楽勝だし、アイツが適当に応援を呼んできてくれるだろ う。  本性を現した悪魔は、蝙蝠のような皮膜に覆われた羽を広げ艶然とアタシに微笑みかける。  まっすぐ天を突くように伸びた角、流れるような銀色の髪。そして、程よく引き締まった肉体。なかなか の美男子だ。淫魔ってのは伊達じゃないらしい。 「ふむ、なかなか従順な下僕のようだね。できることなら君の盾になりたかったろうに…」 「ふん、勝ち目のない奴にぶつけられるかよ」 「しかし―――、一人で逃がしてしまってよかったのかね?」  くそ、サッキュバスか!?その言葉にひらめくものがあったアタシは無意識のうちに踵を返していた。目 の前に勝てるかどうかすら怪しい強敵がいるにもかかわらず、だ。 「おっと、貴女の相手は私だ」  インキュバスの腕がアタシの肩をつかむ。予想通りの怪力で体ごと引き戻すと後ろから抱きすくめるよう な形で拘束する。 「テメェ…」 「その汚い言葉遣いから矯正してあげよう…私のことをご主人様と呼びたくなるようにね!」  体を密着させた悪魔は早速アタシの胸に手を這わせる。  服の上からながら女の官能を刺激するように滑らかなタッチで胸をこねくり回すそれは、さっきの怪力を 発揮した手と同じものとは思えない。首筋には悪魔の舌が伸びてきた。熱くぬめったそれは、執拗に、一方 的に、愛する人にするようにアタシの肌を蹂躙する。 「淑女ともあろうものが汗の味しかいたしませんな。少しは身だしなみに気を使ってはいかがですかな」 「はん!着飾ったところでテメェだけには見せてやらねぇよ」  さわさわとアタシの大腿を撫で付けていた右手が未だに鈍器を握ったままのアタシの右手をひねり上げた。 骨が軋みを上げ、握力を失った右手から得物が落ちる。その様子を降参と見て取った悪魔は胸を愛撫してい た左手でアタシのおとがいを自分の顔へと向ける。  僕の口付けでとろけさせてあげる?ご冗談を!  背筋を駆け抜ける怖気に押されるままアタシ憎悪もたっぷりに唾を吐きかけてやった。 「…まだ反抗的なようですね。すこし、お仕置きが必要なようだ」  吐きかけられた唾もそのままに、悪魔は少し目を細めると腕を首に絡めて―――  やめろッ!息がッ!息が出来ないッ!  首に食い込んだ腕を引き剥がそうにもアタシの力じゃぴくりとも動かない。タッパに勝る悪魔は自然と首 が絞まるようにアタシを軽く持ち上げている。腕に爪を立て、駄々っ子の様に脚をばたつかせることしか出 来ない。 「がッ……ヤ…メロッ―――」 「まだわかっていただけないようだ。私は悲しいですよ、お嬢さん」  視界が回転した。  ―――肺の空気が全て押し出されるような衝撃!  力任せに赤レンガの壁にたたきつけられたらしいことがわかったのは、無様にも石畳と熱い接吻を交わし てからだった。 「さて、私を満足させることができたのなら―――」  口の端から犬の様によだれをたらし、突っ伏したまま空気を貪るアタシに嘲りと哀れみを込めて悪魔は声 をかける。 「相棒に君の下僕を壊さないよう口を聞いてやってもいいのだが?」  悪魔の甘言に乗ってはいけない。  そんなことは、餓鬼だって知っている。  だったらどうして悪魔の甘言に乗る奴がいるんだ?  理性では逆らえないほどの魅力があるからに決まっている。  絶望の中、一縷の望みを見せ付けるようにあいつらは甘言を弄するんだ。  今だって、この悪魔の言葉は魅力的過ぎる。  項垂れ、跪き、悪魔に慈悲を請う。  正面から叩き潰せという理性の反対を押し切って、アタシはその甘言に乗っていた。 「はっはっはっ、先ほどまでの強気はいかがなさいましたかな?お嬢さん」  勝ち誇る悪魔の笑い声を聞きながら、頭の冷えた部分が普段ではありえない行動の原因に結論を下す。 (なんだ、アイツのこと気に入ってんじゃないか…)  信じられないことにアタシは自分の身よりもアイツの身を案じていた。 【2】  私、悪魔のインキュバスと申します。以後お見知りおきを。  え、すけこまし?それは違いますよ、そこのお方。私は頭のお堅いお方たちに肉欲のすばらしさをお教え 差し上げているだけです。それのとりこになるもならないもそういったお方の素質次第なのですよ。 「ど…どうか、お許しください…」  深紅の法衣をまとった司祭が跪いて悪魔に対して許しを請う。  なんとも背徳的な光景ではありませんか。高司祭を陥落させたともなればこれでバフォメット様の覚えも よくなろうというもの。 「はっはっはっ、先ほどまでの強気はいかがなさいましたかな?お嬢さん」  先ほどの威勢のよさを揶揄した私の発言にもただ、憎悪をこめて睨み返してくるだけです。よほど、あの 下僕の剣士を気に入っていたようですね。まぁ、今頃は相方とよろしくやっているころでしょう。もっとも、 相方があの坊やを壊すことをやめさせる手段など一つも持っていないのですが。  おっとこれは、悪魔の企業秘密です。皆様、他言なきようお願いいたします。 「さて、まずは私の足に口付けをしていただきましょうか?」  くっ、という吐息が高司祭の口から漏れる。  当然のことでしょう、鼻っ柱の強そうなお嬢さんです。こうやって無理矢理に男に服従させられたことな どないのでしょう。 「おや、お気に召しませんか?」  静かに一言告げるだけで、その意味を察して高司祭は頭を振りました。結構結構賢い娘は嫌いではありま せん。 「やってやるよ…」 「何かおっしゃいましたか?やってやる…なんて下品な言葉が聞こえたような気がしたのですが…」 「いたします!」  半ば以上自棄になって彼女は私の足に口付けをしました。本当になんとも気持ちのいいものですな。反抗 心をむき出しのまま悪魔の言いなりになるしかない聖職者というものは何度見ても飽きないものです。 「結構結構、では次はこちらを綺麗にしていただけますか?」  足に口づけをさせただけで満足するはずもありません。次はこれだとばかりに股間の布地を取り払い半立 ち状態の息子を突きつけます。なにせ、私、淫魔でございます。下半身直結といわれようとなんと言われよ うと一向に気になりませんな。 「今更こんなものに頬を赤らめる歳でもありますまい」  あからさまな揶揄に女高司祭は、眉をしかめつつも私の男根に指をそわせます。日ごろから鈍器を振り回 しているじゃじゃ馬なのでしょう、白魚のような指と行かないのが残念なところ。ですが、きれいに手入れ をされた爪といい、枝毛の少ない長髪といい、一見気づかないところに気を使っているあたりまったくの男 勝り、というわけでもないようですな。いや、そこがそそるというものですが。  乗り気ではないものの、ポイントをはずさない愛撫によってそそり立った息子に満足し、私は次の命令を 下します。 「次はお口でしてもらいましょうか」  再び眉をしかめる高司祭の様子を鼻で笑うと、両手でさわさわと愛撫されていた男根を口元に突きつけま す。彼女は大きく口を開けると、すでに先走りを滴らせる息子に舌を絡め口腔へと導いてゆきます。口元か ら覗いた犬歯が気にはかかりますが、噛み付くなどといった選択肢は彼女の頭の中にはないでしょう。  外気に触れていた亀頭がしっぽりと口の粘膜に包み込まれる感触に、私、淫魔でありながら、ほぅ、とた め息をついてしまいました。歯を立てず、口をすぼめたまま、巧みに舌で裏筋をなぞるというのはなかなか できる芸当ではありません。 「なかなかお達者なようですね。この口に一体何人の男をくわえ込んだのですか?」  私のほめ言葉に否定の視線を投げかける女司祭ですが、それでも肉棒を愛撫し続けます。それほどの執着 があの下僕にある言うことでしょう。あんな下僕のどこがいいのやら。しかし、彼女の愛撫はたいしたもの です。精液をねだるように嘗め回す舌の感触に思わず私の理性も飛びかけてしまいます。 「んぐっ!?ぐぅ…っ…ぐっんっ!」  女司祭の後頭部に手を回すとしっかりと固定し、無抵抗なことをいいことに私のペースで腰を打ち付けま す。結構結構、ここまでやって歯を立てないというのは見上げた根性です。ざらつく舌の感触も、暖かい口 の粘膜の感触も、柔らかい喉の付近の感触もたっぷりと味わい尽くした私は次なる課題に声をあげます。 「さぁ、お待ちかねの精液です!出しますよ!全部飲んでください!」  言うや否や女司祭の頭を股間に押し付け、口の最奥で欲望を破裂させます。濃さ、量ともに一級品の淫魔 の精液です。そうそう簡単に飲み乾せるものではありません。あっという間に口の中いっぱいに広がった白 濁液は唾液にぬれた唇を伝ってあふれ出します。  それを知った上で口を解放した私は女司祭の姿に息を呑んでしまいました。息が詰まったせいで上気した 頬、口の端からたれる唾液まじりの白濁液、同様に形のよい顎から滴り糸を引く体液はなんとも淫靡で男を 誘う色香に満ち満ちております。 「少しこぼしてしまいましたか。いけませんね、ちゃんと嘗めとってくださいよ」  言われるがまま口元の精液を指でぬぐい嘗めとる女司祭の視線に、剣士を解放してくれという意思を感じ 私は気分を害しました。そこで、そんなに大事なものならば壊してしまえとばかりに私は言います。 「おや、遅かったようです、もう壊れてしまったようですね」 【3】  どーにもいけないな。高司祭のゲルトルートだ。  目の前のご主人様のクッセェモノを口に含んで綺麗に掃除している最中なんだが、一度出したんだからあ いつを解放してくれと目線で訴えかけたらどーだ。  胸糞悪ぃ言葉をいただいたじゃねぇか。 「おや、遅かったようだ、もう壊れてしまったようだね」  ああ、アイツはもういないのか。そう考えただけで心が冷えていく。  そして、カチリ、とスイッチが切り替わった。これは、一切の敵を殲滅するための狂気のスイッチだ。  一度目の射精を終え、少し硬度を落とした竿を大きく口に含み顎よ砕けろとばかりの力を込めて歯を立て る。皮を裂き、肉をつぶし、海綿体を食いちぎる。あふれ出した血が精液を飲み込んだばかりのアタシの喉 に注がれる。  見上げると悪魔の呆然とした顔があった。それはある意味アタシにとって見慣れた表情だ。竿を食いちぎ られた時にする顔は人間も悪魔も大差ねぇ。  意味不明の悲鳴をあげ、悪魔はアタシを乱暴に振り払った。頬に鈍い痛みが走ったが、そんなことは気に ならない。ごろごろと転がり、予め位置を確認しておいた得物を手に取る。 「ッッッ!!!!!」  股間を押さえ憎悪の視線を向ける悪魔に対してすることは一つ。今食いちぎったものを、血が滴る萎えか けた竿を、文字通り吐き捨てる。  敵なら、敵であるならば―――  まして、悪魔なら、悪魔であるならば―――  一切の遠慮は不要。手加減なんて論外。  ぐちゅりと竿を踏み潰してアタシは狂気に身を震わせる。 「―――――――ッ!!!」  ぞんざいに扱われる己の分身に逆上した悪魔が向かってくる。鬼神のごとき形相で迫る姿を見て距離を詰 める手間が省けていいな、としか思わないアタシはきっとどこかおかしくなっている。そんな思考にとらわ れたまま、ほとんど棒立ちだったアタシの左肩に悪魔が振り下ろした爪が食い込んだ。  その激痛に反応するかのようにアタシは渾身の力を込めて右腕を振り上げる。  右腕の先には右手がある。  右手には愛用の得物がある。  得物の先にはイガグリのような突起に包まれた鉄球がある。  鉄球の先はアタシを切り裂くために大きく踏み込んだ悪魔の股間だ。  肉をひき潰す感触がアタシの体を熱くする。再び股間を押さえてうずくまった悪魔を見下ろしアタシは唇 の端をゆがめた。  久しぶりの大物。コイツを解体するのは実に楽しそうだ。  神官戦士としての本能がさらけ出されたアタシの目の前には、あまりに無防備な悪魔の後頭部。まるで誘 っているかのようなそれに、アタシは迷わずモーニングスターを打ち下ろす。  ぐしゃりという不気味な音。  人間なら間違いなく即死の衝撃でも悪魔の生命力を全て奪いきることはできない。もっとも、アタシもこ の程度では満足できないから丁度いいんだけど。この悪魔に更なる屈辱を与えるため、アタシは癒したばか りの左手で朦朧としたままの悪魔の胸倉をつかんで無理やり立たせ、壁へと押し付ける。 「おや、目ん玉が飛び出てるじゃないか。色男が無しだ」  アタシは恋人にキスをねだるようにつま先だって顔を近づけると、頭蓋から飛び出た左の眼球に舌を這わ せる。  さっきこの悪魔がアタシの首筋にしたように。  執拗に、一方的に、そして愛しい人にするように。  眼球を愛撫されるおぞましい感触に正気を取り戻した悪魔はがむしゃらにアタシを振り払った。 ―――ブチッ  わけもわからずアタシを振り払ったんだから当然そうなる。口に含んで愛撫されていた眼球は当然アタシ についてきて、限界まで引き伸ばされた視神経は音を立ててちぎれとんだ。  信じられないほどの激痛を受けているだろうに、それを押さえ込んで悪魔が雄たけびを上げる。頭蓋骨の 半分を砕かれて左目から血の涙を流している今の姿は最初に評した美青年とは見比べるまでもないんだが。 「おのれ、おのれ!おのれぇええええええ!!!」 「おいおい、今更本気になるのかよ。乳繰り合ってんじゃねぇぜ。殺しあってんだろ」  弾力のある眼球を奥歯で噛み砕きながら当たり前のことを答えてやる。  こいつら淫魔は上位魔族の癖に単純な力押しを好まない。どちらかというと人の心の隙につけ込んで、快 楽に狂わせ嬲ることのほうを好む。だが、それ故に時にいたぶり加減を間違えることがある。今だってそう だ。最初っから力ずくで従わせてしまえばいいものを、なまじ言葉攻めが効果を表したものだから油断して しまった。 「オーディンの雌豚がァッ!!」 「来な!バフォメットの飼い狗!!」  司祭と悪魔が対決する時に大抵口にされる挨拶を交わし、再びアタシたちは対峙する。  先に動いたのはインキュバス、両手の爪をたくみに振り回しアタシの血を貪ろうとする。一方のアタシは というと歌を口ずさむように主への祈りを捧げ始める。  少々長い祈りだ。その間にも、避けきれなかった悪魔の爪がアタシの肉を裂く。が、そんなことは殺戮の 開始を告げるためのこの恍惚とした瞬間に比べれば些細なものだ。 ―――主よ、あなたに抗う敵に鉄槌を下す我に祝福をおあたえください――― ―――主よ、あなたに従う我に疾風のごとき脚力をおあたえください――― ―――主よ、あなたに付き従う聖霊の加護をもって我が武器に力を――― ―――主よ、あなたの血と涙をもって我が武器に祝福を――― ―――そしてこのクソッたれの魂にもあなたの祝福を!―――  待祭への転職の際に司教に言われた言葉がよみがえる 『神の力は貴女のためのものではありません。  倒れ伏し、助けを請うているものにこそ与えられるものなのですよ。』  それは、奇跡の濫用を戒めるためのもの。  そして、聖職者を血と狂気に彩られた殺戮に駆り立てないためのもの。  しかし、そんな禁はとうの昔に犯している。  そう、どうせアタシは狂ってるんだ。今更、敵を殴殺することなんかにためらいを覚えるものか。  簡易祝福儀礼を施した鈍器が悪魔の右手を粉砕する。  当たれば一発。重量で敵を叩き潰す目的の鈍器からすれば当然の結果。しかし、こういった重量物を振り 回す武器には致命的な弱点がある。取り回しが悪いことだ。  攻撃は最大の防御って言うがそいつは嘘だな。現にアタシの心臓を無傷の悪魔の右手が狙っている。喰ら えば一撃必殺の攻撃が来ることがわかっているのに、振りぬいた得物に引っ張られ体勢を崩したアタシは防 御の一つも満足に出来ない。これを狙って叩きつぶしやすいように右の攻撃を繰り出したってわけか。  ははっ、いいねぇ、上位悪魔ってのは伊達じゃない、絶体絶命じゃないか。  その命の危機すら今のアタシには身体を熱くさせる要因に過ぎない。  ゾクゾクと背筋を震わせながら信じてもいない神さんに熱い吐息を交えて二言三言祈りを捧げる。祈りの 文句が終わるとほぼ同時に、体勢を崩したままのアタシの胸元に半端な刃物より鋭い爪がつきたてられた。  灼熱の痛みが胸を撃つ。ガランとうつろな音を立ててモーニングスターが石畳を叩いた。  引き裂かれた皮膚からあふれ出した血が、深紅の法衣をさらに紅く染めていく。 【4】  けれど、勝利の笑みをもらしたのはアタシのほうだ。 「つぅかまぁえた…」 「なぜだ!なぜ死なないッ!?」  うろたえるインキュバスの声が実に心地いい。  司祭は簡単には死なない。待祭だって簡単には死なない。癒しの奇跡があるからだ。だから司祭を殺す時 は一撃必殺を狙うのがセオリーである。たとえば、心臓を握りつぶす、首をかききる、頭を叩き潰す。この 悪魔もそのセオリーに従ったわけだ。  しかし全ての職の中でもっとも防御に特化した司祭には癒しの奇跡以外にも様々な防御の奇跡が使える。 普通の司祭にはキリエエレイソン。転生した司祭にはアスムプティオ。いずれも結界を纏う術であり、その 結界を貫いてまで司祭の命を奪える奴なんて数えるほどしかいない。  だからアタシは血の混じった唾を吐き捨てながらこう答える。 「神のご加護に決まってるだろ!」  左手で捕まえた悪魔の手首を軸にしてくるりと体を反転させる。右手を肘に押し当てて半ば無理やりに背 後に回ろうとすると鈍い音が聞こえて関節が砕けた。破れた皮膚から赤い筋肉と白い骨が飛び出す。  悪魔と言っても人間と同じ形をしたものだ。それは、つまり、壊し方も同じだということ。  アタシは胸の傷を魔法でふさぐとだらりと垂れ下がった悪魔の腕を手放し今度は角に手をかける。  角は悪魔の象徴であり魔力の源である。そして、角を折られることは悪魔にとって最大の侮蔑でもある。 そんな楽しそうなこと、しないでおく手はない。アタシは無論へし折るつもりだ。  その意図に気づいたのか悪魔は挑戦的に負け惜しみを言う。 「その程度の力で悪魔の角が折れるものかッ」 「そいつぁどうかな?」  アタシは不敵に笑うと後ろに大きく跳ねる。  跳ねた先には何もないが、倒れることを嫌った悪魔は反射的に体勢を立て直そうとした。  後は簡単だ、ケツに跳ね上げた両足をかけて今度こそ思いっきり跳ねる! ―――バキン  爽快な音―――インキュバスにとっては不吉な音―――を残して角は根元から折れた。 「ヘイ、色男。意外と脆いな。女一人支えられやしねぇ」  血を滴らせる角を懐にしまいこみ、軽口を叩くアタシを見て悪魔の表情がついに恐怖に染まる。その顔を 見てアタシの体はさらに熱を持つ。 ―――ジャリッ  あとずさるインキュバス。  さっきまでアタシを高慢にいたぶっていたとは思えないほどの狼狽振り。その豹変はアタシの嫌な部分の 欲求を満たしてくれる。もう少しいたぶってやろう、そう決め得物を手にした途端、悪魔は恥も外聞もなく 背を向けて逃げ出した。 「逃がすかッ!」  熱くなった体に命じられるままアタシは叫ぶ。 「主に背く者!汝が脚には戒めがあり!Decrease Agility!」  ガクンと目に見えて悪魔の脚が遅くなる。いつも思うんだが、本当に足かせをはめられたみたいで実に爽 快だ。考えてもみな、逃げようにも逃げられねぇってのは、想像を絶する恐ろしさだぜ?  だから、アタシはわざとゆっくりと近づく。  長靴が砂を食む音をわざと響かせて近づく。  そして、獲物が恐怖に耐えられなくなった瞬間を見計らって――― ―――ゴギッ  膝をぶっ壊す。すらりとした長い脚が変な方向にひしゃげて白いものが飛び出した。  片脚では満足に逃げられやしないだろうが、返す刀―――いや鈍器か?―――で残る膝も砕きつぶす。ほ ら、これでもう逃げることも適わない。恐怖と疑問のまなざしでアタシを見つめる悪魔の胴体を、左手も添 えたモーニングスターの一撃で路地の壁際まで殴り飛ばした。イガグリのような無数のトゲが突き破った腹 の肉から、衝撃で破裂し血を滴らせる内臓がはみ出す。  そして、冥土の土産とばかりに徹底的な暴力を振るわれたことに対する疑問に答えてやる。 「神官戦士ってのはな、血に酔う己が業の深さをただ伏して主に許しを請い、たとえ許されずともただ伏し て主の敵を粉砕するものさ」 「悪魔め…」 「そいつぁ最高の誉め言葉だ」  両手両足を粉砕され、壁にもたれかかって戯言を吐くだけの悪魔は意外に月並みな言葉を放つ。もっとも っと刺激的な悪口雑言を期待していたアタシは、それに興をそがれた。もうおしまいだとばかりに、手にし たモーニングスターを大きく振りかぶると横なぎにたたきつけた。 ―――パギャ  壁とモーニングスターに挟まれた悪魔の上頭部は妙にあっけない音を立てて砕け散った。  どす黒い血と黄色っぽい肉片と白い骨のカケラが周囲を汚す。もっともこちらで死んでもあちらの世界に 帰るだけの悪魔のものだ。いずれ跡形もなく消えてなくなるだろう。  モーニングスターを振り回し鉄球についた頭皮と髪の毛を払い飛ばすと、足元にあったこの悪魔の竿を、 でろんと飛び出た舌がなまめかしい下顎に突っ込む。これはいわば復讐完了の儀式だ。今までアタシを犯し た奴で自分の竿を食らわなかった奴はいない。熱くなった身体の命じるまま悪魔を解体したアタシは、少し 正気を取り戻してつぶやく。 「ああ、またやっちまったか…」  まるでコトの後のような気だるさが全身を覆う。悪魔の残骸を蹴り飛ばすと、今アタシとアイツが歩いて きた路地を振り返る。  もうアタシの隣にアイツはいない。  この路地を引き返して、サキュバスに襲われ、そしてたぶんもう壊されている。  今はその現実が寒い。 「…壊れていても干からびていてもカタキはとってやるから。…絶対だ」  どうしようもなく凍えてしまった心と、止めようもなく熱くなった身体を引きずってアタシは闇の中へと 引き返していった。 ―――とりあえずおしまい―――