捕食者 本来被捕食者であるはずのモノが、ちょっとした原因から生態系の頂点に取って代わる。生物界においてはよくある事だ。 しかしそれが、自然の気まぐれによって為されたならば、生態系を脅かす程の脅威にはならず、適応性のない異分子は淘汰され、直ぐにも元の状態に戻ってしまう。 問題は、それが心無い人間の手によって為された場合で、齎される災いと悲劇は、当の人間達にすら、予想の及ぶものではない。 あるアルケミストがいた。 彼女は自分の才に頑なな自信を持ち、戯れで生命を弄ぶ事になど、何の抵抗感も抱かなかった。 ピンク色で弾力性のある半透明な体を持つ、ポリンと呼ばれる生物だが、今彼女が培養漕に閉じ込めているそれは 薄暗い彼女の地下研究室の外で見られるような普通のポリンよりも、ずっと大き過ぎて、その巨体は培養漕の中で窮屈に崩れ、実にみっともない形になっていた。 「ぷっひゃー!カッチョ悪いわこいつ」 自ら創り出しておきながら、彼女は何一つ、この生物に愛着を感じてはいない。 この巨大ポリンは、数匹のポリンを同じ培養漕に押し込み、何日も餌をやらずに放置した結果だった。 元々自然界のゴミ掃除係りを担うポリンは雑食性で、何でも体に取り込んで消化してしまう程の旺盛な食欲をもっている。 だが何日も飢餓が続いて、彼らは驚くべき事に、共食いを始めたのだ(もしくは合体と言えるかもしれない)。 巨大ポリンは円筒形の培養漕の中で悲痛に表情を歪め、自分を創造した愚かなアルケミストを睨んだ。 ゴプ、ゴプ、ゴプ、ゴプ… 泡立つような不快な音が響く。 「ほんっと可愛くないわね。あんたなんか餌抜きなんだから」 ゆったりと座れる椅子の後ろには、彼女の心無い実験によって産み捨てられた、哀れな姿の命達が、狭い培養漕の中で蠢いているが 等の本人はもはや何の興味も示さず、そして今まさに目の前に存在する狂気にすら、彼女は飽き始めていた。 餌を抜いて既に数週間、巨大ポリンはこれでも最初の頃から3割は体積が減ってしまっている。 飢えと苦痛に喘ぐ空ろな瞳は、常に創造主である女錬金術師に向けられ、彼女が何処へ移動しようとも、常に彼女を見据えていた。 その視界に映る彼女は、既に次の“退屈凌ぎ”の為の計画、計算書類に夢中で、ある意味自身の子供とも言えるこの生命に対してさへ、「いつ生命活動を停止するのか」程度にしか興味を示していない様子だった。 「痩せ具合から見て、後三日って所かしらね?そんな簡単に体重落とせるなんて羨ましいわww…それにしても暑いわね。冷房効いてるのかしら」 ゴブ、ゴブ、ゴブ、ゴブ… 泡立つような不快な音が響く。 女錬金術師はピンク色の培養漕を睨む。 暑さによって更に苛立ちを逆撫でされた彼女は、持っていた火のついた煙草を培養装に放り、その細い指から弾き飛ばされた煙草は、回転しながら円筒形のガラスケースにぶつかって火花を散らす。 すると中にいたポリンはまた、無様に体を振るわせた。 「あぁ!もう!あんた見てるとホントいらつく。今すぐコロしちゃいたいわ」 女錬金術師は罵りながら席から立つと、回れ右して、調子の悪いエアコンの通風孔を調べ始めた。 直接壁に開いた黒い通風孔は、時たま不規則な音と振動を発し、その度に生暖かい空気を彼女の顔に吹き付けた。 彼女は苛立たしげに、壁に取り付けられたスイッチを最大まで動かすが、何の変化も無いので、その暗い不気味な穴の奥へ顔を近づけ、目を凝らそうとする。 ゴブ、ゴブ、ゴブ、ゴブ… 泡立つような不快な音が響く。 「………!」 数秒間暗闇を睨みつづけた女錬金術師の視界が、一瞬にしてピンク一色に染まる。 彼女の体は恐ろしい力によって捕らえられ、通風孔に引きずり込まれ、頭一つ分入るだけの狭い穴に引っかかり、手足をばたつかせてもがいた。 しかし何故か悲鳴は挙がらず、やがてビクビクと痙攣したかと思うと、今度は力なく脱力し、そして動かなくなった。 蠢く巨大ポリンは、培養装の循環装置のある辺りから、鮮やかな赤に変色し始めた… 数週間後… プロンテラ下水道において、冒険者が内臓を綺麗さっぱり抜き取られて殺害される事件が多発するが、今に至っても原因は解明されていない。