濡るぽ3 「まったく、ひでぇ目にあったぞ」 モロクの裏の事情に詳しい情報屋が、いつも寝泊りするホテルの一室。 日当たり良い窓からは街の通りが見渡せ、洒落た作りの部屋から分る通り、その商人兼情報屋は結構な儲けを得ているようだが しかしその声からいつもの羽振の良さは感じられなかった。 「あんたの言ったとおり、何か物騒な連中がオレの所来て居場所を聞いてきた」 情報屋が話している相手は、今治安部隊とアサシン暗殺教団の対テロ部隊が血眼になって探している人物で グロテスクなガスマスクと汚らしい帽子から分る通り、何とも意地悪く悪辣な手段を用いる悪党であった。 マスク男は今回、あえて自分の居場所を情報屋に流させる事によって、自分を追っている相手の情報を得るという、少々危険な手段に出た。 「モンクの若造に、フェダーイーの女ねぇ…こいつはこの国もイヨイヨだな」 モンクとアサシン暗殺教団は、両者とも似た性質を持つ為、同じ王国内においても対立し、本来共同作戦を取るなどまず考えられない。 それはつまり、相次ぐテロや、国教会権力者、王族同士の覇権争いがいよいよ激化し、形振り構っていられなくなっている今の王国の状態を反映している。 だからこそマスク男は悪意に満ちた企みを実行に移し、イヤらしい程に大局を見定め、今というこの時を選んで行動しているのだった。 「ところで“大将”、情報代手間賃その他頂けるんで?」 砂漠に巣食う強欲で狡賢い民達は、如何なる悪事も悪巧みも、金の力によって正当化してしまう。 なのでこの根っからの商人は、マスク男がどのような人物であるか、等という事に興味は無く、金蔓となるかどうか、ただそれだけしか考えていなかった。 生き残りのテロリストから得た情報を元に、モンクと女アサシンは再び情報屋を尋ねてこのホテルにやってきた。 マスク男が故意に情報を流したのだとすれば、次に訪れるのはこの情報屋の所だろうという予想は見事に的を得ていた物の、一歩後手となってしまった彼らは再び苦汁を舐める事となる。 例の情報屋が居る最上階の部屋から銃声が鳴り響き、顔を見合わせた二人はすぐにも走り出す。 まずモンクは腰に下げた布袋から、小さな鉄球を一つ二つ取り出し、それに“殺気”を集中させて親指ではじき出す。 音速に迫る早さで撃ち出された鉄球は、ドアの蝶番を撃ちぬき、脆くなったドアを女アサシンが体当たりでブチ破って室内に突入したが、時既に遅く マスク男の姿は無く、開いた窓から吹き込む乾いた冷たい風が、カーテンを揺らすのみだった。 情報屋は椅子に座った状態で頭を撃ち抜かれ、ドロッとした脳漿が壁を汚している。 時間差で入って来たモンクはその口に小さな紙切れが押し込まれているのに気付き、女アサシンが止める間もなくそれを引っ張り出して広げ、そこに記されたメッセージを読み上げた。 「『3…2…1…BANG!』くそ、罠だ!」 咄嗟の判断で、モンクは窓から外を伺おうとしている女アサシンの肩を掴むと、力任せに彼女の身体を破壊されたドアの方に投げ飛ばし、庇うようにその身体に覆い被さった。 女アサシンは歯を食いしばり、目をつぶって衝撃に備え、身を呈してまで自分を庇おうとするモンクに苛立ちを覚えつつも、その体温に妙な欲求を感じてしまう。 だが数秒経っても爆発はおろか煙一つ出ず、ようやっとマスク男のハッタリに気付いたモンクは、悪態をついて窓から身を乗り出す。 すると月明かりの元、あのレストランで出会った奇形のカラスの様な男が、横に長いホテルの天井を一目散に走っているのを目にし、歯軋りして唸った。 「逃がすか!」 ほんの出来心からか、自分を追う二人に対する好奇心に負け、ハッタリに驚く彼らの表情を見ようと、脱兎の如く逃げ出す前に窓から部屋の様子を覗いたマスク男は 身を呈して庇おうとするモンクの青年と、彼に押し倒されて満更でも無さそうな表情の女アサシンを見て、恐らくは彼らが単なる仕事上のパートナー以上の関係か、いずれそうなる関係であろう事を嫌らしく見抜き また“いつか”のような病的に歪んだ興奮を感じながら走っていた。 マスク男は夜風で火照った股間を覚ますように大股で走りながらも、押し殺したような笑い声をあげ、あの二人の内どちらかが死んだ時、残された者はどんな表情で泣き叫ぶか… またどちらかが自分を殺す番になった時、どれほど悲しみに歪んだ表情で自分を憎むか…過去を重ねつつ妄想した。 が、マスク男の邪悪な脳内自慰行為は、突然後方で鳴り響いた破壊音によって中断される。 立ち止まって振りかえれば、今逃げてきた情報屋の部屋の辺りの天井が吹き飛び、砂埃と破片を撒き散らせて穿たれた大穴から、例のモンクが姿を表した所だった。 モンクはゼイゼイと肩で息をしながらも、抑制の効かない感情が表情にもろに表れている事からも分る通り、敵意と殺意に燃え、マスク男を地の果てまで追跡して殲滅する意志を無言の内に伝えていた。 「!?一々登場の派手な野郎だ!」 「……んん…ねうい……何の音えすかねふわぁ…」 突然鳴り響いた轟音と振動に目を覚ましたアコライトの少年は、眠そうに目を擦りながら宿の窓から外を覗く。 「あぁぁぁ、何か凄い事になっちゃってますねぇ」 この少年…ではなく、身の安全の為に男装した少女“ヴィンセント”は、王国首都プロンテラのとある貴族の一人娘なだけあって羽振は良く、こうして屋根のある宿を取ることが出来るのだが 一月前、聖職者として自立する為社会見学としてやってきたモロクで“ある悪漢”に誘拐されてしまい、その男の自分勝手で不信神で非人間的な悪行に連れまわされる内 大将と名乗るその悪党をどうしても放っておけなくなってしまい、今は出家していた教会を抜け出してまで探しまわっていた。 向かいの大きなホテルの天井から立ち昇る煙を目にしたヴィンセントは、最近何かと問題になっている『反国王派』のテロかと、思わず震えながら洩らすが そのホテルの天井を駆ける、やせ細ったカラスのような黒い人影を見て、大げさに黄色い声をあげて叫んだ。 「んあっ!大将見付けた!」 途端に目の色を変え、脱いだパジャマを荷物に押しこみ、膨らみ始めたばかりの胸を目立たぬよう包帯でグルグル巻きにして、さっさと男用の法衣に着替えてしまう。 一度頭に浮かぶともう実行せずにはいられない、単純な思考回路からは『外に出たら危ないかもしれない』という、いつもの臆病さは完全に消え去っており 今はもう、あの“大悪党”を何とかすべく走り出す事しか頭には浮かばない。 しかし彼女自身にさえ、いざマスク男と対峙した際に“何をすべきなのか”、“何ができるのか”、”何をしたいのか”は分っていなかった。 マスク男とそれを追うモンクは、月夜の闇に建物から建物へと、その天井に飛び移りながらの追走劇を繰り広げた。 慌てた様子で宿から飛び出して来たヴィンセントは、夜のモロクの空を見上げ、その白と黒の人影が月明かりも相俟って幻想的に飛び舞う姿に見とれていたが 自分が捜し求めていた“大将”を追っているのが、どうやら以前出会ったモンクである事に気付き、驚くと同時に呆れた様子で嘆いた。 「もぅ!大将今度は何したんですかぁ!」 自分の尻に火がついた状況にも関わらず、妙な高揚感と快感を感じながら逃走を続けるマスク男は、突然自分のいる建物の下、モロクの通りを喧しく『大将』の名を叫びながら走るアコライトに気付く。 一月程前マスク男は、ある事件をきっかけに一時的記憶喪失に陥り、自分の過去を探る為彼方此方走りまわったのだが、その際彼が足代わりに使ったのが、この男装したアコライト“ヴィンセント”だった。 最初の内こそマスク男はそのアコライトの事を、靴箱兼薬箱代わり…時には性欲の捌け口として使いそうにもなった…程度にしか認識していなかったのだが 幾ら罵っても馬鹿にしても脅してもレイプしようとしても、そのどうしようもなく脳天気で、どうしようもなく甲斐甲斐しくて、どうしようもなく純粋な馬鹿娘は彼に付きまとい、彼のやる事なす事全てに異議申立て 果ては、やっと記憶が戻った代償として、自分が裏切り殺した相棒の恋人に復讐された所、『傷つき死に瀕した者を見捨てる事はできません!』等という臭いセリフを地で吐く小娘に助けられた末 結局マスク男は、この“調子を狂わされる”おかしなストーカーを受け入れる事にした。 もちろんそれは“慈愛”や“義”としてではなく、彼独自の歪みきって捻くれきったどうしようもない哲学(もはやそのような崇高な言葉も値しない)に基づいての事だが。 「クソガキが。オレを追いかけてきたか?どうしようもない変態だな!…っっとぉ!?」 建物の天井がそこで途切れ、隣のそれまでは結構な距離がある事に気付いたマスク男は、しかしそこで立ち止まるわけにも行かず、走りつづけながら汚らしく罵り 落ちればマズ無事では済まないであろう高さから、半場ヤケクソの勢いで飛び出した。 「えぇい!クソガキの所為でツキが落ちたぜ!」 現実はやはり甘くはなく、マスク男の跳んだ飛距離は僅かに足りず、彼の体は重力に引かれて固い路面へと向かう。 モンクは合点の行かぬ唸りをあげ、ヴィンセントは悲鳴をあげて両目を瞑った。 ところが、マスク男の腕は寸での所で向かいの建物の配水管に絡まり、尚も汚らしく罵りながら配管を滑り下りようとする。 それを見たモンクは、させるものかと天井の淵に駆けより、向かいの建物の配管を蜘蛛のように這うマスク男の背中に鉄球を打ち込むべく、その指に気を集中させ 同時に相手の持つ飛び道具による攻撃を予想し、守護の天使に向かう祈りを声高に唱えた。 「わが守護の天使、 御身は天主の御摂理によりて、 わが終生の友となり給えり…」 しかし聞き覚えのあるその祈りに気付いたマスク男は、ガスマスクの下で猥褻に頬を吊り上げて笑い、片腕で配管に掴まったまま振りかえり様、もう片腕で『銃』を構えて連射を加える。 マスク男が続け様に五発の弾丸を撃ち出したのと、モンクが二発の指弾を撃ち出したのは、ほぼ同時であり、両者の弾は空中で一瞬交差する。 モンクの放った指弾はマスク男の肩口に突き刺さり、マスク男が放った“殺気”の宿らぬ『銃』の弾丸の内一発は祈りの言葉にも戸惑う事無く、モンクの脇腹に深々と命中した。 両者は激しい衝撃と激痛に吠える。 目の前で突然、マスク男が砂漠の遺跡から掘り出したという禁じられた武器を使用し、しかもそれによって自分を助けてくれたモンクが傷つけられたのを見たヴィンセントは ズルズルと配管を下りてきたマスク男に対し、涙目になって泣き叫ぶ。 「何て事を!何て事をするんですか!」 「うるせぇ。手前の声は傷に触る」 モンク脇腹に入った弾丸は、どうやら内蔵に致命傷を与えたらしく、傷口からは赤黒い血がドクドクと流れ出した。 直ぐにも止血の為ヒーリングを試みたが、ホテルの天井を打ち貫く際に大技を使って精神力を消耗していた為、出血は一向に止まる気配はなく やがて必死に傷口を抑える手は震え、寒さと眩暈がモンクの意識を朦朧とさせ始めた。 一足遅れて到着した女アサシンは、大量に出血して蹲っているモンクの姿を目にし、全身に嫌な寒気が走るのを感じた。 慌てて駆けより、容態を見れば、弾丸は貫通しているものの内蔵にダメージがあり、放って置けば命に関わる状態だと気付く。 女アサシンは、自らが優先すべき事項が他にある事を知りながらも、逃走しようとするマスク男、そして目の前で死に瀕するモンクを交互に見、いつもの彼女なら即座に決断しよう事を躊躇し、迷っていた。 モンクは朦朧とした意識の元、血に塗れ震える指で、マスク男が逃げた向かいの建物の配管を指差して言う。 「早く…追えよ……オレの事は………」 『ここで終わりか、クソ…でもまぁ、オレもこれで二人の所に…』 そして薄れ行く意識の中、自らの復讐を果たせない悔しさとは別に、諦めというか、一種の安堵感のような物を感じていた。 女アサシンは動かなくなったモンクを見つめながら、理性と心の葛藤に苦しんでいた。 いつの頃からか彼女は、自身がこのモンクに対し、仕事上の信頼以上に、何か特別な欲求や期待を感じている事は薄々気付いていたものの いつもなら迷わず任務を優先するはずの自分が、モンクの死を恐れているという事にようやく気付き、彼が意識を完全に失って返事もしなくなった途端、目の前が真っ暗になるのを感じた。 「…か………けて…」 無表情の彼女の喉が、震えるように微かに動く。 「誰か……助けて……」 彼女自身には、モンクを死の淵から救うことは叶わない…だから彼女はその時初めて、自分でも信じられぬ程に女々しく、情けない程に悲痛に心の叫びをあげた。 「誰か来て!お願い、彼を助けて!」 「お前の好きにするさ。“セント・ヴィンセント”お前は聖人にでもなれ」 「ボクはそんな事言ってるんじゃないんですよ!大将は…大将はこのままでいいと思ってるんですか!?」 両手を前に突き出し、拳を振り上げ、ヴィンセントはマスク男に涙目で抗議しつづけた。 だがマスク男は全く意に関せず、ゲラゲラと不潔な笑い声を挙げるばかり。 「アナタが地獄に至るのを見ていられないんですよぅ!人は、自分で自分の人生を地獄に変えるんです。大将の生き方じゃ…まるで…」 マスク男はやはり、自分とこのヴィンセントの関係が如何なるものなのかを、彼独自の価値観で見出し、ますます意地悪く、ますます邪悪に捻くれて笑う。 まるで正反対に映る鏡の虚像のように… 『誰か来て!御願い、彼を助けて!』 二人の会話は、夜空に響き渡った女アサシンの叫びによって中断される。 その悲痛な叫びに性欲を刺激され、血液が股間に集中するのを感じたマスク男は、しかし女アサシンの泣き顔とやらを拝めない事に少々の苛立ちを覚えた。 だからマスク男は、自らの悪辣な目的を達成する為に、その場をさっさと逃れる事にする。 うかうかしていれば、また治安部隊に包囲されかねない。 背を向けて去ろうとするマスク男をヴィンセントは追おうとするが、再び響く女アサシンの悲鳴にも似た懇願の声に振り返り 今自分が成すべき事… 『血を流す者あらば、これを救え』という聖書の教えを思い出し、向かいの建物の階段を昇っていった。 ヴィンセントが階段を昇って行くのを確認したマスク男は、自分の肩に食いこんだ鉄球を指でほじくり、その激痛に酔いながらも邪悪にほくそ笑んだ。 「アハハハハハッ!そうだ、それでいい!オレとお前は、そうあるべきだ!それこそ神様の創った理だ!」 食いこんでいた鉄球は血を滴らせつつ路面に落ち、歯を食いしばりながら傷口を柴って止血すると、マスク男は夜の闇に姿を消した。 土砂降りの雨の中、両の拳を血で真っ赤に染めたモンクの足元には、彼が最も憎み最も恐れ最も焦れる、あの愛しき仇の目茶目茶に潰れた死体が横たわっていた。 頭部は割れてピンク色の脳髄がはみ出し、眼球は等に両方とも何処かへ飛び出し、口があった辺りからは内蔵を吐き出していた。 いざ目の前に現れれば、その時感情をコントロールする事は叶わず、理性は彼方に吹き飛んでしまうだろう事は本人にも分っていたので どのような経緯でその“敵”を見つけ、どのような手段で追い詰め、どのような業で姿形も分らぬ挽肉に変えたのか記憶になくとも、彼にとっては、もはやどうでも良い事だった。 ただ今は、冷たい雨に打たれながら、彼の人生の全てである復讐劇に幕を下ろすことができた事の達成感…いや、“虚脱感”に浸るのを良しとした。 水を跳ねる足音に気付いて振りかえると、そこにはモンクの過去が…“女”が立っていた。 その“女”は、かつて彼が心から憧れ、崇拝さえしていた、今は亡き師である女騎士だった。 またその“女”は同時に、彼が思いを寄せ愛し合い、護り続けると近いながらも、無力さ故に救うことのできなかった修道女でもあった。 その“女”の姿は彼にとって同一であり、等価に愛しく、彼の全てだった。彼の過去であり、愛であり、悲しみであり、動機であった。 復讐を果たし終えたモンクは、優しく微笑みかけてくる“女”の姿に涙しながら微笑み返し、まるで幼子のような無邪気な声で叫んだ。 「やった、やったんだ!あいつら皆、殺してやった!」 “女”は尚も微笑み続けるが、何一つ返事は返さない。 モンクは立ち上がって“女”の方に歩き出す。 「終わったんです、終わったんだ。仇を討ちました、仇は討ったぞ。オレも、そっちへ行って良いですよね?、そっちへ行くよ」 だが“女”は… “女”は手に禁制品の『銃』を握り、銃口を自分のアゴ下に押し当てると、未だ優しい微笑みを投げかけながらも、モンクの恐れる言葉を放ち… 『『アナタは血を流し過ぎた。こっちへは来れない』』 彼の目の前で引き金を引いた… 『一緒に来るんだ』 泣きながら立ち尽くすモンクの背後で、なんとも汚らわしく何とも不気味な声がする。 恐る恐る、震えながら振りかえると、先ほどまで挽肉になっていた“仇”が、グロテスクなガスマスクと汚らわしい帽子を被った、全身黒ずくめの男に変わり 血まみれのマスク男は、仰向けになったまま折れた腕…猥褻に細長い、枯れ枝のような腕で帽子を掲げ、まるで挑発するような口調で言った。 『BANG!』 「あぁぁぁあああああああああああああああAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA」 言葉にならぬ叫びと共にモンクの思考は停止し、単なる殺戮機械へと至った彼は、ゲラゲラと笑いつづけるマスク男を打ち砕くべく、拳を振り挙げ続けた… 目覚めたモンクの視界に最初に飛び込んできたのは、惚けた目で自分の顔を覗き込むアコライトだった。 そのアコライトが、以前盗賊に襲われている所を助けた、ヴィンセントと名乗る少年である事に気付くまでは少々時間を有し その間ヴィンセントは、未だ意識のハッキリしないモンクの頬を濡れたタオルで拭いたり、包帯の様子を見たりと、実に甲斐甲斐しく動き回った。 「もう目覚ましたんですか!?あんな酷い怪我して、まだ半日も経ってないのに…どんな体してるんですかねぇ…」 モンクは異常な喉の乾きに喘ぎながらも、自分が半日も時間を無駄にしていた事への怒りを感じ、ようやっとハッキリして来た記憶に叩き起こされるように、半身を起こそうとする。 「奴はどうした、仕留めたのか」 「あぁああダメダメダメダメダメ!動いちゃダメですってばぁ!」 ヴィンセントの慌て様から分る通り、モンクの状態は未だ万全とは言えず、脇腹に走る鋭い痛みに思わず呻き声をあげて歯軋りをする。 が、それでも彼は凄まじい精神力をテコにベッドから起き上がり、塞がったばかりの傷口を抑えながら事後説明を求めた。 「あの後、何があったんだ…」 「えっとですねぇ。アサシンの女のヒトに呼ばれてボクが“おじさん”の応急処置をした後、そのヒトは“大将”を追っていきましたけど、結局逃げられたみたいで戻ってきまして 後は、そのヒトと一緒に“おじさん”をここへ運んで看病してました。それより知ってます!?あのヒト怪我した“おじさん”の為に…あ」 ヴィンセントはそこでようやっと、女アサシンから 『私が“泣きながら助けを呼んでた”なんて事を彼に話したら…イロイロな事をするからね』 と口止めされていた事を思い出し、慌てて口を塞ぐ。 実際はそれ以外にも、治療を行った後モンクの手をずっと握り、何時間も一緒にいた事等も、あわせて口外しないよう念を押されていた。 だが口の軽いアホライトは、既に致命的な情報をモンクに洩らしてしまっていた。 「ちょっと待て…どうして“大将”なんて名前を知ってる!それに、何であの場所に居た!?後、オレは“おじさん”じゃない」 その問いにヴィンセントは表情を暗くし、気まずそうに視線をそらして、ぼそぼそと小声で、モンクの追っている人物との関係を打ち明けた。 「一月前ボクを誘拐したのは、その“大将”って人です。ボクが探している人をおじさん達が追ってたなんて、半日前まで知りませんでしたよ…」 “彼女”が『放って置けない』と述べた例の悪党が、この砂漠の都市で罪も無い子供達をそそのかし、武器を渡し、自身の邪悪な企みの為に利用して死に至らしめるような もはやモンクにとって仇のテロリストと同格に値するクズであったという事実は、モンクを愕然とさせるに充分であった。 何よりも彼には、この純粋無垢で無邪気で心優しいアコライトが、何故あのような悪鬼を救おうとするのか理解できなかった。 「その“大将”は、奴が裏切り殺した相棒の名だ…奴は長年組んできた友人を無情にも殺し、その名を語って、今はまたこの街で己の欲望の為に人々を陥れている! 奴は女子供を見殺しにする事も、友人を裏切る事も平気でする男だぞ!なのに君は…そんな男を、本当にどうにかできると思っているのか?」 「あの人は本当に悪い人です。意地悪だし、助平だし、残酷だし、イヤらしいし、欲深だし、誰もあんな人を助け様なんて思わない。でもボクだけは……あぁ、ボクどうしたら良いんだろう…“どうしたい”んだろう…」 結局未だにその答えを見つけていなかったヴィンセントは、両目をグーの手で抑えて顔を歪め、女々しく嗚咽して泣き始める。 モンクはもうそれ以上言う事無く、泣きじゃくるアコライトの肩に手を置き 「助けてくれて、ありがとう」 と、一言だけ礼を言った。 モンクはアコライトに自分の過去を重ねる。 『きっと昔は自分もこうだったんだろう。 恐らくは“二人”もそうだったのだろう。 そして“二人”も、この優しいアコライト同様『そんな事は止めろ』と自分に言うだろう。 このアコライトや、今は亡き“二人”は正しく 復讐の為に修羅となった自分や、己の欲望のままに悪徳を極めんとするマスク男や、テロリストのような人間こそ間違っていて、地獄へ至る道なのだろう』 モンクは自分の拳が血で汚れている事を理由に、ヴィンセントや“二人”のような救いの道は、もはや残されていないと考えているが、それは、彼が未だ未熟である事を意味している。 『人は自らの業によって地獄に至る。悪をなす事、その道程こそが地獄である』 その言葉の意味を理解するには、モンクの生きた世界は余りにも残酷すぎたのだろう。 真に救いの残されていない者とは、その言葉の意味を充分理解していながら、自ら地獄の道程を歩まんとする者、すなわち… マスク男は寝そべる汚らしいベッドの枕元に、黒服を着た見覚えのある男が立っているのに気付く。 その顔は無残にも腐り崩れ、僅かに残った眼球は、空しく眼孔の奥からマスク男を見据えていた。 マスク男は削ぎ落ちた右頬をダラリと広げ、汚らしい歯を奥まで晒しながら笑う。 「いよーぅ、大将…」 その男は、マスク男が己の欲望の為に裏切り、罠にハメて殺した相棒であり、彼の唯一の友人であった。 大将はベッドの左側にぶら下がっている『銃』を指差し、物欲しげに口から汚れた泡を吹き出す。 「これか?だーめだね。こいつはオレのだ」 マスク男はその姿にこれっぽっちの良心の呵責を感じる事はなく、背徳的に嘲笑いながら続けた。 「こんなもんに執着するなよなぁ、大将。お前はさっさと天国に逝っちまえ。地獄を得るのは俺の仕事だ…なぁ?」 蝿の羽音で目を覚ましたマスク男は、自分の抉れた頬に蛆を植え付けようとした蝿を拳で握りつぶし、手の平を広げてその屍を見つめた。 蝿は卵を体内で孵化させ、蛆を直接産み付けて出産する。 だからマスク男の汚い手の平で潰れたそれには、飛び出した蛆が未だ恨めしげに蠢いていた。 「大将、起きろ大将」 小汚い部屋のボロいドアを叩く音に気づき、マスク男はトレードマークの醜いガスマスクで醜い素顔を隠すと、深々と汚い帽子を被り、ドアの向うで自分の名を呼ぶ鍛冶屋の青年に言った。 「動いたか?」 「アンタの作戦通りだ。治安部隊がここを特定して向かってる…本当にやるのか?」 マスク男は抉れた頬から滴る涎を「ズルリ」と啜り、下劣な声でその問いに答える。 「役者は揃った。後はクライマックス、それから幕引きだけだ…」