[1] <1>  空は青く澄んでいて、雲がゆっくりと流れている。 私は地面に仰向けになって、ぼんやりとその様子を眺めていた。 何の気もなしに、ため息がひとつ出る。 まさか剣士にもなって、ポポリンにやられるなんて。 情けないったらありゃしない。 こんな恥ずかしい所、誰かに見られる前に早く帰っちゃお――と思った丁度そのときだった。 「お嬢ちゃん、こんな所で何をしているんだい?」 ふいに頭上からそんな声が降ってきて、驚いた私は「ひぎゃっ」と蛙が潰れたような悲鳴をあげてしまった。みっともない。 その様子がよっぽど滑稽だったのか、声の主はクスクス笑いながらしゃがみこみ、そのまま私の顔を覗き込んできた。 ものすごい至近距離で。 「いくらいい天気とはいえ、ここで昼寝なんてしてたら風邪引いちゃうよ?」 「……いえ、昼寝ではなくてですね……その…。」 ポポリンにやられたんです―――なんて恥ずかしくって口が裂けても言えない。 私が口ごもっていると、その人はまたクスクスと笑い出し、すっくと立ち上がると 「リザレクション !!」 突如、蘇生の呪文を唱えてくれた。 身体に力がみなぎり、手足の感覚が戻ってくる。 私は大慌てで立ち上がって、その人に向かって大きな声で「ありがとうございます!」といって勢いよく頭を下げた。 初めてみた奇跡の魔法に興奮しちゃったから。 「いえいえ、これが僕の仕事だから。 そんなに畏まらないで。」 その人の台詞はまじめそのものだったけど、顔は本当におかしくてたまらないといった風だった。 やっぱりこんな所で剣士が倒れているなんて、よっぽどおかしなコトなんだろうな…。そう考えたら、顔も耳も熱くなってしまった。 その人は私を一通り見回すと、にこりと笑いかけてきた。 「僕はパイスっていうんだ。 プリーストのパイス。 お嬢ちゃん、お名前は?」 「あっ、はいっ、えっと、私はミスティルっていいます。」 どぎまぎしながら答えると、パイスさんはさらににっこりして「うんうん」と頷いた。 「ミスティルちゃんね。それで、ミスティルちゃんは……冒険者成り立てなのかい? 盾も鎧も持ち合わせてないようだけれど。」 「は、はい! つい3日前に郷里を旅立ったばかりで…クルセイダーに憧れて首都まで来たはいいんですけど、  まずは剣士を極めなさいって言われちゃって…。どうにか剣士にはなれたのですが、この様で…。」 「ふーん、クルセイダーになりたいのか。それじゃ、一人だと何かと辛いでしょ? うん、聖職者として  困っている人を放ってはおけないな。 ちょっとついておいで。」 そういってパイスさんは私の手を取ると、すたすたと歩き出した。 私はびっくりして心臓がドキドキしたけど、パイスさんが優しく微笑みかけてきたからそのまま黙ってついていった。 なんかいい人みたいだし大丈夫かな、って。 あ、あと、ちょっとした冒険心も。  ついた先は首都の一角で、そこには厚手のマントを羽織った女性が一人で座っていた。 その女性は私たちに気づくとこちらに寄ってきて、「WISで言ってたのはこの子?」と言って私に笑いかけてきた。 「うん、そうだよ。 …ええと、こちらは僕の友達で Wizard のシルフィ。 それで、この子はミスティルちゃん。」 「ミスティルです。はじめまして。」 ぺこりと頭をさげると、「ふふっ」と愉快そうな声がシルフィさんのほうから聞こえてきた。 「話はパイスのほうから聞いてるわ。 若いのにクルセイダー志望なんて感心ね。 だから、  私たち、あなたのお手伝いをしてあげたいの。狩りのお手伝いとか、装備を揃えるお手伝いとか。」 「え、でも…。」 見ず知らず、というか、出会って間もない人にそんなことまでしてもらっていいのかな。 申し訳ない気持ちになってパイスさんの方を見ると、そこにはとびっきりの笑顔があった。 「大丈夫、心配しないで。 聖職者は人を助けるのが役目なんだから。 それに、可愛い可愛い後輩冒険者を  育てるのは、先輩冒険者の務めみたいなものだしね。」 そう言ってパイスさんは私の頭を撫でてくれた。 となりでシルフィさんも笑ってる。 私は、嬉しくって胸がいっぱいになって「ありがとうございます! よろしくお願いします!」って叫んだ。 いつか絶対二人に恩返しするぞ、って心に誓って。 <2>  「ふーん、馬子にも衣装、とはよく言ったもんだねぇ。」 「…それってどういう意味です。」 そのまんまの意味さ、と言ってパイスさんが笑った。つられて私も笑ってしまった。  プロンテラ王城前。 私はつい今しがた、クルセイダーへと転職を果たしたのだ。 パイスさんとシルフィさんに出会ってから、二人はほぼ毎日のように私のお手伝いをしてくれた。 パイスさんの支援魔法やヒールのおかげで、一人だったら絶対に相手にならないようなモンスターとも戦えた。 シルフィさんの豊富な知識のおかげで、どんなスキルが有用でどんなステータスを鍛えていくべきかも迷わなかった。 二人がいたからこそ、私はこんなに立派なクルセイダーになれたんだ。 だから、今度は私が恩返しをする番。 優しくてあったかくて、とっても大好きな二人の盾に私がなる。 そのために、クルセイダーになったら『献身』を身に着けよう、ってずっと思ってたんだから。 そのために、ずっと体力を鍛えてきたのだから。  がさり、と音がして、目の前が花でいっぱいになった。 はっと我に返ると、シルフィさんが私に花束を差し出してにっこり微笑んでいた。 シルフィさんの「おめでとう」という言葉に、私はとても、とーっても嬉しくなって。 嬉し涙を流しながらそれを受け取った。 あとちょっとで二人に恩返しできるんだ。二人の役に立てるんだ。 がんばろう。 がんばらなきゃ。 パイスさんとシルフィさんとずっと一緒にいるためにも―――。 <3>  「ふぅ……。」 ――いけない、またため息が出ちゃった。でも仕方ないんだ……だって寂しいんだもん。 このごろ、一人でいるコトが多い。 なんでだろう、って考えてもわかんない。 本当に突然だったから。 そう、ある日突然、パイスさんとシルフィさんに会うことができなくなってしまった。 何度かこっちからWISを飛ばしてみたけれども、一度も返事は返ってきていない。  『献身』を習得したことを告げたとき、二人はとても喜んでくれた。 そのまま3人で初めての公平な狩りをしたときも、二人はとっても嬉しそうだった。  「モンスターに襲われてもぜんぜん痛くないっ!」  「詠唱に集中できるわ! 途中で止められたりしないの!」  「これなら全滅することなんてなさそうだよ!」  「ペアのときよりずっと安定して狩りが続けられるわね。」 『献身』の力によって、二人の受けた傷や痛みはたちどころに私へと転嫁される。 けど、そんな苦痛なんて私はへっちゃらだった。 だってすぐにパイスさんからヒールが飛んできたから。 やっと二人の役に立てたことが嬉しくってしょうがなくって。 なにより、パイスさんのヒールを独り占めできるのが快感だった。 そのあとも、二人からの誘いで何度か3人で狩りにでかけたりしたけど。 それなのに、突然…。 『もしもし、パイスさん…?』 最近は毎日数回WISを飛ばしてる。たとえ返事がこなくても、これを止めたらもう二人と会えなくなる気がして。 ちょっとでも寂しさを紛らわしたかったのもあったかな。 けど、この日はいつもとは違ってた。 『………なんだい?』 返事なんて来ないと思ってたから、私はすごくびっくりして、でもそれ以上に嬉しくって…思わず涙を零しながらそれに応えた。 『ぅわぁ…パイスさんっ。 今までどうしてたんですか! ずっと連絡取れなくって心配してたんですよ?!』 『……あぁ、ごめんごめん。ちょっと忙しくてね。 …それで、今日はどうしたんだい?』 『えっと…どうしたってわけでもないんですけど……今はどこに居るんですかっ?』 どうしても直に会って話がしたくて、少し強い口調で問いただしてしまった。 しばらく返事がこなくて、どうしたんだろう?って思い始めた頃、やっと応えが返ってきた。 『…ああ、うん。 今、シルフィと一緒にグラストヘイムで狩りしてたんだ。 古城の2階にいるから来てくれるかい?』 すぐ行きます! とだけ伝えて、私は、準備もそこそこにグラストヘイムへと向かった。 なぜだか、胸がドキドキしていた。  久しぶりに会った二人は、どことなく雰囲気が違うような…ちょっと変な感じだった。 普段みせていた素敵な笑顔はどこにもなくって。 どこか疲れたような、気だるさみたいなのが漂ってた。 「久しぶり、ミスティルちゃん。」 そう声をかけてきたパイスさんの顔は物憂げな笑みをたたえていて、私は胸がひどく締め付けられるような思いがした。 隣ではシルフィさんも似たような表情で佇んでいる。 心配や不安といった感情が心の中でむくむくと大きくなる。 いったい何があったんだろう? なんで二人はこんなに辛そうにしてるんだろう? 堪らなくなって口を開きかけた私を、ガシャリという音が遮った。 はっとして音のした方を見遣ると、そこには中身のない空っぽの鎧――レイドリックの姿があった。 まずいことに、シルフィさんのすぐ横である。 「ディ、ディボーション !!」 慌てて二人に『献身』をかける。 直後、高く振り上げられたレイドリックの大剣が、ずしり、とシルフィさんの肩口にめり込んだ。 と同時に、私の首元に激痛が走る。 どうやら間一髪で間に合ったみたいだった。 じわりと肩の辺りに暖かいものがにじむ。 「い、今のうちに攻撃をっ! パイスさん、支援とヒールをお願いします!」 大声を出したために余計に血が溢れちゃったみたいで、インナースーツにどんどん血が染み込んでいくのがわかった。 額にじっとりと脂汗が浮かぶ。 でも大丈夫。 今はパイスさんが一緒に居てくれるんだから。 すぐにヒールしてくれる。 こんな傷、すぐ治っちゃう。 そう考えてじっと耐えている私に次に来たのは、ヒールではなく脇腹の鈍痛だった。 「うぇっ!?」 思いがけないダメージを受けて、私はおかしなうめき声をあげて両手で脇腹を抑えながら肩ひざをつく。 ずるり、とお腹の中身がこぼれる感覚。 鎧の内側なので抑えようがない。 見れば、シルフィさんのお腹をレイドリックの大剣が横から背骨の辺りまで深々と切りつけていた。 もちろん、"私が"あの傷と痛みを受けているんだ。 何あれ…。 気持ち悪いよ痛いよ吐きそうだよ…。 どうなっちゃってるの? パイスさんは? ヒールは? 苦痛と焦りで混乱しそうになるのを必死で堪えて、私はまた大声を上げた。 「パイスさん! 早く! 早くヒールを!! シルフィさんもレイドリックを倒して!!」 けれども二人はまったく動かない。 なに? なんなの? 一体、二人はどうしちゃったの?! 「お願いだからヒールを! ポーション忘れてきちゃったんです! 早くしないと私持たない!!」 なりふりなんか構ってられなくて、私は泣き叫んだ。 叫ぶたびに鎧の中にお腹の中身がずるずるとこぼれていく。 私はその気持ち悪さに必死に耐えなくちゃならなかった。 それでも二人は動かない。 ただただじっと佇んでいる。 レイドリックが大剣を横に大きく振りかぶる。 あっ、と思った次の瞬間、大剣はそのまま滑るようにシルフィさんの左膝へと打ち付けられた。 ぐしゃり、という嫌な音が"私の足から"して、バランスを失った私は前のめりに倒れこんでしまった。 膝が砕かれた…膝の辺りが火でもついているように熱い…その先は……その先は? レイドリックの大剣はものの見事に振り切られていた。 けれど、シルフィさんの足は元のまま。 つまり…。 ああ…足…私の左足…膝から下、持ってかれちゃった…。 痛みとみじめさで今まで以上にぼろぼろと涙が溢れる。 そのとき、今まで静かだった奥の闇からガシャン、と音がした。 びくりと身体が震える。 ガシャリガシャリガシャン……。 1匹じゃない、複数のレイドリックがこちらに近づいてきている! 「いやぁぁぁぁぁ!! パイスさん! シルフィさん! 目を覚まして!!」 ガシャガシャガシャガシャ…。 もうレイドリックたちはすぐ側まで来てる! 「死にたくない! 死にたくないよぉ!! 助けて! 助けてぇっ!!」 「ストームガスト !!」 刹那、氷の嵐が吹き荒れて、レイドリックたちは完全に凍りつき動かなくなった。 呆然とする私の側に、コツ、コツ、とハイヒールの音が近づいてきて、止まった。 シルフィさんだった。 その顔にはいつも通りの素敵な笑み。 よかった…やっと目が覚めたんだ…私、助かった…。 私はほっとして、汗と涙と血と砂でぐしゃぐしゃになった顔で微笑み返した。 次の瞬間。 ゴッ!!! 鈍い衝撃が、私のお腹を襲った。 「ぐぇっ!」 蛙が潰れたときとまんま同じ呻きをあげて、私は転がった。 蹴ったのはシルフィさんだった。 ワケがわからなくって、混乱して、頭の中がぐちゃぐちゃになって。 シルフィさんの顔は、ちょっと前の笑顔がまるでウソの様に、恐ろしい表情をたたえていた。 「この小娘が! 何度も何度も毎日毎日うざったいくらいWISしてきて! あんたのおかげで私もパイスも  ノイローゼになったんだから! このっ、このっ!」 じゃあ、さっきあんなに物憂げな顔をしていたのは、私が原因…?! シルフィさんは繰り返し繰り返し私を蹴りつけてきた。私は抵抗もできなくって、でも必死になって哀願した。 「ごめんなさいごめんなさい。 だけど私、二人の役に立ちたくて…二人と一緒に居たくって…」 「何言ってるのよこの役立たず! 私たちはね、あんたのこと捨てたのよ! 邪魔だからね!」 「捨て…た…? そんな、私、二人の役に立てるように、シルフィさんに言われたように修行を…わぶっ!!」 蹴りがもろに顔面に入って、前歯が折れた。鼻が曲がった。 私はぼろぼろになりながらも、なんとか言葉を紡ぎ出そうと頑張った。 私の気持ちを…思いを伝えたくて。どんなに二人が大好きで、どんなに二人と居たいのかを。 シルフィさんはそんな私をキッと一にらみすると、懐から短刀を取り出し、カッと自分の喉を掻き切った。 けれどもやっぱり、シルフィさんの喉は相変わらずきれいなままで。 代わりに私の喉が熱くなり、ヒューヒューという笛のような音が漏れだした。 ゴポゴポと血が気泡を伴って溢れる。 苦しい。 息が…っ。 「あっ…あっ…ああああ――――っ!!」 我慢が出来ず、私は喉を掻きむしる。 手が血で真っ赤に染まり、喉の傷は余計悪化した。 「ふん! 反論しようなんて考えるからそうなるのよ。 とことんムカつくわね、あんたって。」 ペッと私の顔に唾を吐きかけると、シルフィさんは後ろを向いてパイスさんにしゃべりだした。 「だいたいパイスが『献身クルセイダーがいれば楽になるよ』なんて言うのが悪いのよ!  結局手間とお金をかけて出来上がったのはこんな経験値吸い取り娘じゃないの!  狩りは安定したけど、効率が落ちるなら本末転倒よ!!」 え…それって…  ヒューヒュー。 私が…今、こんな目にあってるのって… ヒューヒュー。 効率が落ちるって…そんな理由のせいなの…? ヒューヒュー。 「何言ってるんだよ、シルが献身クルセイダーを探すように言ったんじゃないか。  こいつを見つけたとき、『ちょうどいい芋娘見つけた』って言ったら『すぐ連れてきて!』って言ったのは誰だよ。」 「だって、世間知らずな娘なら私たちの好きなように育てられるじゃないっ!  ちょっと優しい顔してあげればほいほい言う事きくしね!」 芋娘…世間知らず…二人とも、私のコトをそんな目で見てたんだ…。 ヒューヒュー。 私に優しく接してくれたのも、クルセイダーになるのを手伝ってくれたのも、全部全部、私を利用するためだったんだ…。 そっか、そっか…普段の二人も、とびっきりの笑顔も、どれもこれも嘘だったのね…。 大好きだったのに…とってもとっても大好きだったのに…。 ヒューヒュー。 ふっ、と二人の言い争う声がやんだ。 「おいシル、そろそろ氷が…。」 「…みたいね。とりあえず、街にもどりましょ。」 あ…わ、私は…?  目で一生懸命訴えかける。 視線を感じたのか、くるりとシルフィさんが振り向いた。 そして、私の顔をみてにやりと笑うと 「あんたはそこで転がってなさい。 すぐにレイドリックが止めをさしてくれるから。   ったく、そんな顔しないの。 元々あんたを始末するためにここに呼んだんだからね。  それじゃあ、パイス。」 「おう。」 短い詠唱の後、パァァァっと光の柱が立ち上る。 ワープポータルだ。 「それではごきげんよう。またどこかで会えるといいわね。」 心にもないことを言って、手をひらひら振りながら光の中に消えるシルフィ。 待って、私を置いていかないで! 私も一緒に連れてって!! 最後の力を振り絞って一生懸命這って行く。 あと少し、あと少し! 下半身は半ば千切れそうになり、喉はピューピューと激しく音を立てた。床には血の真っ赤な道が出来上がる。 けれど無情にも、パイスさんは私など待つ気はないようだった。 パイスさんはワープポータルに入る間際、私に一瞥をくれると 「きもちわりぃ。」 とだけボソっといって、光の中に消えていった。 ほどなくして全ての氷が砕け、凍結されていたレイドリックたちが動き出した。 そのいくつもの大剣が頭上に振り上げられる動作は、私にとってあまりにも緩慢で。 私は呪いの言葉を吐きながらそれらが打ち下ろされる様を見つめていた。 そうして、私の意識は、途絶えた。 END