「ファイヤー・・・ウォール!」 小鳥のように澄んだ声で魔法が唱えられ、マジシャンの少女の目の前に轟々と燃え盛る炎が上がる。 彼女を攻撃せんと飛び掛った、老人の顔をした大きな時計・クロックはその炎に体を焼かれてのた打ち回り、 やがてバラバラに崩れ落ちた。 まだ火の残っている残骸が動かないことを確認すると、1つ深呼吸して、壁際に座り込んだ。 この時計塔2階は、火の魔法を得意とする魔法使いがよく訪れる。 彼女―名前はリスティアといった―がしていたように、まずファイヤーウォールで進路を遮り、さらにファイヤーウォールで攻撃することで無傷で敵を倒す事が可能であり、 またクロックは火に弱く、魔法使い達が実力をつけるための相手として、格好の的となっていた。 ただし、ひとつ間違えて攻撃される隙をつくろうものなら、確実に命に関わることとなる。 敵はクロックの他、いきなり襲ってくるモンスターも数多くいるため、常に油断は許されなかった。 「休憩終わりっ」 と、リスティアは立ち上がった。 休憩と取っていると言っても、その間も襲ってくるモンスターを警戒しなければならないため、精神的には休めているとは言い難かった。 そんな状況が既に数時間が続き、顔には少々疲れが表れていたが、次の相手を探しに歩き出す。 さほど時間も掛からないうちに、またクロックを見つけた。 攻撃範囲に入らないよう距離を取り、魔法詠唱の為に息を吸う。   その空気は、やけに埃っぽかった。 「ファぃっ――ごほっ!?げほっ!」 喉の奥を乾いた塵が刺激し、リスティアは咳き込んだ。 振り返ってみると、背後には埃の塊が浮いている。その塊にはなぜか顔があった。 それがカビと埃のモンスター・パンクだと認識したとき、その口からカビ臭い息が吐かれた。 慌てて顔を背けるも遅く、その空気を少し吸ってしまった。 喉を異物感が再び襲う。咳に苦しみ、注意力を切らしていた自分を責めつつ、その場から逃げ出す。 近距離にいては、魔法を唱えている最中に攻撃されてしまう。反撃に出るにはまず距離を取る事が必要だった。 狭い石造りの通路を、苦しい胸を抑えて走った。…その足が急に止まる。 床が無い…というか断崖の上だった。このフロアの中心の床にある、とても大きな時計と、その上を大きく揺れている振り子が良く見える。 近くで見れば身長の2倍はあるだろうクロックが、足元のずっと下で迫力なくピョコピョコ跳ねていた。 「誰よぉ、こんな構造に設計した人は!」 そして…おまけとばかりに、目の前にはパンクが4匹。 こちらに気がついて既に近づいて来ている。後ろの1匹もしっかり付いてきていた。 「最っ悪…」 ここはすぐに逃げるべきと判断し、腰の道具入れから蝶の羽を取り出そうと… 「ごほっ!ごほごほっ」 パンク達が攻撃を開始した。目にまで息が吹き付けられ、その刺激で目を開けない。 手探りで探したが、なかなか見つからない。その間も、埃っぽい空気が容赦なく吹きかけられた。 「げほっ!げほっかはっけへけへっ……」 肺の空気が無くなってしまいそうなくらい深く咳き込み、その苦しさに目から涙が溢れた。 水分が埃に吸われてしまったかのように喉は渇き、ヒリヒリと痛む。 そして、肺が出した分の空気を取り戻そうと膨らみだす…… 「うげへっ!!がはっ!」 吸い込みが終わりきらないところで、また吐き出される。 鼻水まで出てきて鼻が詰まり、さらに呼吸を困難にさせた。 身体の防衛機能らしいが、守るべき物の状況をさらに悪化させているようにしか思えず、酷く苛立ちを覚えた。 必死に道具入れをガチャガチャと漁り、やっと蝶の羽らしき感触のものを探し当てると、夢中でそれを握りつぶし、身体に振りかけた。 「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ……はぁ……はぁ………助か…た…けほっけほっ」 ワープの先はアルデバランの街。 さっきまで中にいた時計塔が目の前にそびえ立っている。 すっかり消耗したリスティアは、ヨロヨロと花壇のブロックへ座り込み、ただひたすらに新鮮な空気で呼吸をした。 数分もすれば落ち着いてはきたが、喉の埃っぽさと痛みは相変わらずで、胸と顎にも筋肉痛のような痛みがあった。 「はぁー…もうヤダ。今日はもう狩りやめよーっと」 呟いてみて声がかすれているのに気がついた。 綺麗な声が彼女の自慢できるポイントだった。たぶんダンサーを本業にしても十分に渡っていけるくらいだと思う。 それ故に、このしわがれ声はちょっとショックだった。 すぐ近くにいたカプラさんに倉庫から緑ポーション(これでうがいすると喉にいいらしい)を出してもらうと、またヨロヨロと歩いて宿へ向かった。 次の日、激しい頭痛と高い熱にリスティアは目を覚ました。 もともと体が強い方とは言えず、ひどい風邪を引いたことも何度かあったが、こんなに酷くはなかった。 昨日散々痛めた喉も相変わらずで、咳も痰もよく出る。咳をする度に胸の中で何かが動き回るような感触もした。 「氷の魔法も覚えておけば、熱冷ますのに使えたのになぁ…」 力なくボソボソと独り言。 喉の渇きが酷くなった気がしたので、またうがいをしようとベッドから起き、身体を揺らしながら歩きだした。 が、 「げほっ!ごほごほっ!ごほっ!くはっ」 3、4歩よろよろ歩いたところで激しく咳き込み、その拍子にもともと取れてなかったバランスを崩して倒れてしまった。 荒い息をしては、また咳。また咳。痛む呼吸器官を無理やり動かされて、すごく気分が悪かった。 「うごっほごほッッ!!……!?」 そして一際大きな咳をした瞬間、胸の中で動いていた何かが、口から飛び出し、床に転がった。 涙でぼやける視界に映ったのは、黒っぽい塊。今まで体内にあったせいか、湿ったような表面が見える。 手で涙を拭い、よく見れば… 「埃?」 それは埃の塊だった。昨日酸欠死寸前まで吸わされた、パンクの息に含まれていたものだろう。 さっきから感じていた胸の異物感はこれが原因に違いなかった。 正に胸につっかえていた物が取れたという、ちょっとだけ奇妙な快感を覚えつつ、起き上がろうとした。 ――その時。 「…えっ?」 リスティアの口から、かすれた驚きの声があがる。 目の前の埃の塊が、小さくモゾッと動いた。 気のせいだろうか…いや確かに動いたように見えた…そんなことを考えていると、また塊は不気味に震えだした。 「なっ…何これっ、けふッ」 嫌な予感がして、埃から目を離さずに、床を這うように恐る恐る距離を取る。 埃の震えは段々と大きくなっていく。 その内に塊の両端から小さく細い何かが生えた。 「ひっ…あ…あぁ…」 リスティアの顔は一気に青ざめ、その視線の先にある埃のように、身体をガタガタと鳴らした。 埃はピョコピョコと状況に似合わない仕草で手を上下に振ると、ふわっと宙に浮いた。 そして180度方向転換をすると…そこには、もう見たくも無いほど見せ付けられた「顔」があった。 「いやあああああああああああぁぁぁぁぁあぁぁぁあぁぁぁああぁぁぁぁあぁぁぁ!!!」 それは心の悲鳴。実際に声を発したつもりだったが、肺から押し出される空気は声帯を震わせることは無く、その隙間をすうっと通り過ぎるだけだった。 (なんで?なんでパンクがここにいるの!?なんで私の身体から!?やだ、来ないで!来ないで!!) パンクが虚ろな目で近付いて来る。這って離れた距離などたかが知れている。 パンクの移動は非情にゆっくりしたものだったが、リスティアの目の前に辿り着くのにそう時間は掛からなかった。 埃の塊が口を開き、空気を吸って膨れる。そして、頬を撫でるような不愉快な流速で、不快な空気が吐き出された。 酒場の酔っ払いが、わざと酒臭い息を嗅がせる嫌らしさとか、例えとしてぴったりとくる。 その攻撃は顔を背け、息を止めて何とか防いだ。 だが、パンクはすぐさま同じ攻撃を仕掛ける準備に入る。そこに… 「ごほっ!ごほっ!ごほっ!」 タイミングが悪かったか、時間の問題だったか、リスティアは咳き込み、肺の空気は無理矢理押し出された。 苦しくて息を吸う瞬間、狙ったかのように吐き出される嫌な空気。 「げほっ!!げほっ!!げほがはっ!!!」 昨日たっぷりと味わった激痛が再び襲い掛かる。 このままではダメだと必死に手を振り回して抵抗するも、パンクはヒラヒラをそれを避け、 隙を突かれては息を吹き付けられた。 声は出なくて魔法も使えないし、宿の人の助けも呼べない。 逃げ出そうにも熱と頭痛でろくに動けない。 そんな絶望の中、さらに追い討ちをかける様な事が起こった。 胸の中に、異物感を再び感じ始めた。その感じは、朝起きたときの感覚とよく似ていた。 (もしかして…パンクが私の中で繁殖してる!?私の肺の中、カビだらけなの!?) リスティアはそれを想像してしまった。 肺の中から気管をびっしりと覆い、肉を腐らせていくパンクの菌糸。 意思を持ったカビの胞子と埃が集まり、動き回る小さなパンク…。 「うっ!おぇっ!」 胃の中身が逆流する。と言っても、昨日食べた物など残っていない。そのほとんどは胃酸だった。 「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁがああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっあ゛ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁがはっっっ!!げへっ!!げっっっっほっ!!がっっっはっ!!ごっっっほっ!!!!」 リスティアの声とは思えない化け物の悲鳴、そして狂った犬が吠え散らしているかの様な、それはひどい咳。 顔は血が噴出さんばかりに赤く腫れたようになり、口は顎が外れ、端が裂けんばかりに広がり、鼻水と涎が区別出来ないほどに溢れ、胃酸と混ざり撒き散らされる。 「ごっっほ!!ごっほごっほ!けっへ!けへっ!」 見開かれた目も赤くなり、息苦しさに悶え狂い、長い髪が見苦しく乱れる。 「けへけへけへケッヘケヘケヘケヘ…ケヘ………ケヘ…………………ケヘ…………………………………………」 咳はどんどん弱々しくなっていき、最後に空気が吐き出されたかどうかもわからない程度のものが出たところで、ピタリと止まった。 が、同時にリスティアがピクリと動くこともなくなった。 ――同日昼 プロンテラ 「ただいま!ない聞いた?」 「あ、おかえり。って帰ってきていきなりどうした」 「今朝、アルデで変な枝テロがあったんだってさ」 「変なの?」 「古木の枝ってさ、普通出てくるモンスターって使うたびに違うだろ?」 「うん」 「そのテロ、何でかモンスターはパンクばっかりだったんだって」 (おしまい)