炎に消えて  うす暗く果てしない、どこまでも続く闇はまるで地獄にまで繋がっているかのようだとアリス・クィオは思った。  プロンテラ地下下水道の奥――たしか地下三階のは――そこでわたしは……迷っていた。 「もう! どこなのよここは!」と叫びながら怪物を一閃した。ツルギに倒した怪物の液体が付着する。  なんだがいやな臭いがする。  下水だからといっても、この水は蒸留して生活水に使うのだからそれほど汚いはずはない。  たしかにジメジメしているから怪物も沸きやすいのだろうけど。わたしはレンガの敷き詰められた床に腰を下ろした。  ノービスから剣士へと転職してまだ間もない。戦闘経験だって少なすぎる。  では、なぜわたしが下水にいるかと言えばそれは誘われたからだ。誰に? もちろん知っている人物だ。 「姉さまはどこにいらっしゃるのかしら」とわたしはあたりを見回す。「暗くて先が見えないし、平気かな」  わたしが姉さまと呼ぶその人はノービスの時に出会ったウィザードの女性。  紫色の髪をした人で、やさしくて美しい≠ニわたしは初めてその言葉を本当に使える人を見た。  わたしがノービスの時からずっと面倒を見てもらっている。  正直な話をするならばわたしは姉さまに対して特別な感情を抱いている。  そう、同性を愛するということ。それはすばらしいことだ。  決して異性では達することのできない感情の高ぶりを、そして同姓だからこその思いやりをしてあげられた。  時にそれは献身とも言う。 「あれは――」  通路の暗闇のむこうにぽぅと明かりが見えた。わたしはあわててその明かりに駆け寄る。  それは姉さまのサイトだった。 「ごめんなさいね」と姉さまは言った。「帰り道を探していたのだけれど、わからなくて」 「平気ですよ!」 「そうかしら、ここは暗いし汚いしクィオも早く帰りたいでしょう?」 「でも……」クィオは姉さまといられればそれだけで充分なのだ。  姉さまがクィオの頭の上にそっと手を置いた。わたしの透けるような白髪を撫でる。  わたしは姉さまが美しいと感じて、思わずその唇を奪った。 「クィオ……」と姉さまは言った。 「えへへ」とわたしは言った。  幼い年のわたしにしてみれば姉さまは母であり姉でありそして恋人なのだ。 「姉さま、わたしこでも強くなったんですよ。ここぐらいならへっちゃらです」 「なら、もう少し奥へ行きましょうか?」 「奥ですか」 「怖いの?」 「いえ怖くはないです」クィオは口を閉じて何か考える。  姉さまはわたしの手を握って地下下水の奥へ奥へとすすんでいく。途中の怪物など雑魚でしかない。  そうしていくうち、通路が段々と狭くなり怪物の量も増えてきた。  ゴキブリの盗蟲にキノコのポインズンスポアに蝙蝠のファミリア、ネズミのタロウまでいる。  それらを姉さまがサンダーストームで一掃した。 「雑魚も増えれば……厄介ね」  サイトの明かりがくるくると回る。 「でも姉さまとわたしのツルギがあればどんな敵でもへっちゃらです!」 「あまり過信しすぎるのもよくないわ」  姉さまはそう言ってくれるけども、わたしは姉さまを守るために力を鍛えるんだ。  わたしたちは盗蟲の群れに遭遇した。 「ファイヤーウォール!!」  姉さまが炎の壁を作り敵の進行を阻止する。  わたしは姉さまに近寄る敵を切り続けた。 「バッシュ!!」 「ソウルストライク!!」  わたしは踊っている。  姉さまの呼吸に合わせて舞うんだ。  姉さまの敵はわたしの敵だ。そしてわたしは姉さまの剣であり盾なんだ! 「ヘブンズ……きゃ!」  と姉さまの叫び声にわたしはすぐさまに反応した。  いけない、離れすぎた!?  駆け寄っていく途中、振り下ろしたツルギでポイズンスポアを裂いて、振り上げの動作でファミリアを殺す。  姉さまはゴキブリの群れに襲われている。ファイヤーウォールの合間から敵が潜り込んだ!? 「姉さまー!」わたしはツルギに力を矯める。渾身の一撃を床にぶつけた。エネルギーの爆発は周囲の怪物を巻き込みながら大爆発する。 「マグナムブレイク!!」  蹴散らした怪物の間を縫って、わたしは姉さまに駆け寄ろうとする。だけど死に底ないの怪物が立ちはだかり思うようにいかない。 「待ってください、今助けます!」 「いけない」と姉さまの叫び。そして「アイスウォール!!」  わたしと姉さまの間に氷の壁がそびえ立った。  なぜ? どうしてこんなことを? これでは助けにいけない。  透明な壁のむこうには姉さまが一人で戦っている。わたしはどうすればいい?  姉さまの足にゴキブリが噛み付いた。「くっ」それでも魔法の詠唱は止めない。「サイトラッシャー!!」  炎の嵐に怪物達が吹き飛ばされる。  やったの?  わたしは安心したその瞬間に、先ほどよりも多くの怪物が波のように襲い掛かってくる。  姉さまはすぐさまに魔法を詠唱しようとしたが、怪物の動きのほうが早くてどうしようもなかった。  姉さまの体中にゴキブリが這いずりまわる。その牙で至る所を噛み付いた。 「ぎゃあ! うぅ……ファイヤー……あぁ!」  姉さまの足を手を胸を顔を、ゴキブリどもは容赦なく、姉さまを殺そうとしている。  それでけじゃない、姉さまの大事な場所までもやつらは噛み付こうとしている。 「やめてぇ! やめて! いやいやいや!」  わたしはもう見たくなかった。この氷の壁のむこうで姉さまが犯されていくのをわたしは見ているだけなんて。  そんなのは悲しいだけ。わたしは無力でしなく、姉さまを助けることさえできなかった。目を瞑っても声だけは聞こえる。  助けて、助けて、クィオ! そうわたしは聞こえた。  助けたい、でも、助けられない。 「がぁ、ぐぅ、ひぎぃ!」  もう、やめて! これ以上わたしはここにいたくない!  「ごぉ、げぇ、ごぼぁ!」  このツルギはなんのためにあるの!?  わたしの力は姉さまを助けるために存在しているはずなのに!?  「もう! いっそ殺して!」と姉さまの望み。ゴキブリは姉さまのお腹を破り食い散らかした。  わたしには血と臓物にまみれた姉さまさえも美しく思える。  それでも涙でわたしの視界は曇っていく。  姉さまの口からは血の泡が噴出して、何も言わなくなった。  わたしは無意識のうちに氷の壁を叩きわっていた。 「姉さまに触れるなぁ!」  それはオートバーサークだった。  わたしの奥底に眠る力が暴れだす。もうたった一つのことしか考えてられなかった。  姉さまを助ける。今はそれだけなのよ! 「うわあぁぁぁ!」  ツルギを遮二無二に振り回し。ゴキブリの群れがわたしにターゲットを変えた。  牙が腕に噛み付こうとも、牙が鎧を砕こうとも、わたしは攻撃をやめない。  そしてわたしは生き残った。  姉さまの死体のそばでわたしは己の傷を癒すこともせずに姉さまを抱き上げた。 「クィオは平気なの?」  弱弱しい姉さまの言葉。 「……よかった」   死ぬかもしれないときに、わたしの身を案じるなんて、この人はなんてやさしいのだろうか。 「クィオは綺麗ね」  そんなことはない。わたしよりも姉さまのほうがずっと綺麗だ。 「あぁ、うわああああああ!」  下水の臭いと血の匂い。怪物の死骸の中でわたしは姉さまの死を泣き叫んだ。  帰ったら、ちゃんと姉さまをお墓に埋めてあげよう。そして墓にはいつも姉さまのためにわたしが一緒にいてあげる。  そう、これからもずっと一緒に――。  わたしの視界が暗くなる。  背中に受けた傷がひどく熱く感じる。  姉さま、わたし姉さまを助けることが……できたかな? 〈了〉