『口の悪い女』 地下水路の片隅に、三つの影があった。 そのうちの一つは、ネズミ、しかし、ネズミとはいえ、通常のネズミなどより遙かに強力なモンスター、クランプである。 そして、後の二つの内の一つは、およそ、このじめじめした地下水路にふさわしくない 甲冑に身を包んだ、髪の長い美しい女であった。 「はっ!!」 女の声が地下水路に響くと、前方のクランプは前足を切断されていた。 「まったく……害獣駆除なんて任務じゃないのに……」 と、愚痴をこぼしながらも、女騎士は止めを刺すのを忘れない。 剣を心臓に突き刺し、ひねりを加えると、クランプはすぐに動かなくなり、女は剣を抜く。 「さ、さすが先輩ですね………」 もう一つの影は、女の後ろに控えている、十代とおぼしき、同じく鎧姿の少年だった。 少年が後ろを振り向くと、通路や水路は、モンスターの屍が累々と転がっている。 そのほとんどが、目の前にいる女騎士によって倒されているのだから、感心するのも無理はない。 「はぁ……なに言ってるの、そんなこと言うヒマがあったら、アンタももっと動きなさい。  そんなことだから、いつまで経っても騎士見習いから先へ進まないんじゃない」 辛辣な言葉を残して、女騎士は少年の方を振り向きもせず先へと進んでいった。 女の言葉にしばしへこみながらも、少年もとぼとぼと後に続いた。 「はぁ、でっち上げみたいな噂で休日潰されるなんて、ついてない……」 大袈裟に溜息をついて、女は先へと進んでいった。 何故この二人がこんな場所にいるのかというと 最近、地下水路に奇妙なモンスターが徘徊している、との噂がプロンテラで流れていたからである。 冒険者がよく通うこの場所で、最近、出現するはずのないモンスターが出現し、冒険者達を襲っているらしい。 地下水路がどこか、モンスターの巣窟と繋がっているだとか とあるアルケミストが、ここでモンスターの研究をここでおこなっているとか そういう噂がまことしやかに流れる中、騎士団に、この事件の原因を、究明し排除することが命じられたのだった。 そして、広い地下水路をくまなく探す、ということで、二人一組という少人数で広範囲を探すことになったのだが……。 できたペアの一つがこの二人というわけである。 「ついてない、ホントついてない。  しかもアンタみたいなドジとペアを組まされるなんて、ついてないにも程がある」 「先輩……そこまで言われると、さすがに傷つきますよ……」 女騎士の罵詈雑言が地下水路に響く中、二人がしばらくがあちこち見回っていると、女はとある奇妙な気配を感じた。 「どうしたんですか、先輩? 急に立ち止まって……」 「アンタもこれくらい気付きなさい、騎士はただ強ければいいってだけじゃなくて観察力も必要よ。  あの5番隊のバカ隊長みたいになるんじゃないわよ」 「し、失礼ですって……えっと、それで……なにかあるんですか?」 本当に何も気付いていない少年に、再び溜息をつくと、女騎士は目の前の壁のある場所を押した。 すると、少し離れた場所の壁に、人一人通れる位の穴が空いたのだった。 「な、なんですかこれ!?」 「分からないから調べるのよ。さっさと来なさい」 そこはまるで実験室のような空間だった。 「まさか……本当にここに?」 「へぇ、ありがちな噂かと思ってたんだけど……」 そう言って、女達が部屋に踏み居ると、そこにあったのはフラスコやビーカーといった実験道具 あるいは禁書と呼ばれる類の魔導本や得体の知れない肉片や骨。 そして、何十本もの折れた枝。 「これで、はっきりしたわね……」 事件の原因を確認して、奥のスペースに行こうとしたその時、女は立ち止まった。 「ど、どうしたんですかせんぱ」 少年は奥の覗き込んで絶句した。 そこにあったのは一体の死体、頭のないアルケミストだった。 「…………ま、悪事を働こうってヤツの結末なんてこんなもんね」 死体を目の前にしても女はどこ吹く風といった感じである。しかし、少年はがたがたと震えている。 「せ、せせせ、せせせん、ぱぱっぱ」 「落ち着きなさい。そんなんじゃ他のみんなになめるられるわよ」 そう言って女はアルケミストの死体に近づく。 おそらく怪力による一撃で粉砕されたであろうと女は推測する。 研究していたモンスターか、あるいは古木の枝で呼び出したモンスターにやられたのだろう。 女の中では警笛が鳴り響いていた。 想像以上に今回の任務は危険だと判断する。 能率重視での二人一組での捜索、討伐では危険が高い。 「一旦戻るわよ」 「え、は、はい……」 すぐさま、部屋の出口へと向かう女の背を、少年はただ追いかける事しかできなかった。 そして、女と少年が水路へと戻ると、眼前には、またもクランプがいた。 「ふぅ、特別手当でもなければやってられないわ……」 女が剣を構え、モンスターに斬りかかろうとしたその時 下の水路の中から触手が飛び出し、少年に巻き付いた。 「うわっ!」 すぐさま絡みついてくる触手を少年はなんとか引きはがそうとするが 騎士とはいえ、さほど屈強には見えない、新米の少年の力では触手はびくともしなかった。 数瞬で目の前のクランプを倒した女が駆けつけ、白刃が少年を拘束する触手を切り刻む。 他の触手はひるみ、なんとかその隙に少年を助けることが出来た。 「せ……先輩………」 その目は、助けて貰った感謝以上に、得体の知れないものに捕らわれていた恐怖で彩られていた。 「ほら! ボケッするな! 死にたいの!」 後輩を叱咤しつつ、女はすぐさま体勢を整える。 「ペノメナ……こんな所にいるってことは……」 この地下水路にいるはずのないモンスターを前に、女の予感は当たっていた。 この周辺に古木の枝によって呼び出されたモンスターがいる可能性は高い。 しかも、あの古木の枝の数からすると、かなりの数がいると考えるのが妥当だ。 実際、新たなモンスターを目の前に女騎士は、肌に感じるプレッシャーから、どの程度、モンスターが潜んでいるかがある程度分かる。 女はかなりの数が潜んでいると踏んでいた。 向こうは、一瞬のうちに触手を切断されたことを警戒してか、今のところこちらに手を出してこないが 背を向ければ、数にものを言わせて、すぐさま攻撃を仕掛けてくるのは明白だ。 女騎士はいかにしてこの数をどうにかするか、と攻めあぐねていた。 無闇に近づくのは得策とは思えないが、離れることも難しい。 背後に少年は、おそらく役に立たない。実戦経験もろくにない新人を連れてだと、むしろ不利と考えた。 「アンタは他のみんなを呼んできて、私はそれまでコイツを引きつけておく」 「で……でも………」 「アンタじゃそれぐらいしか出来ないでしょ! いいからはや」 女の言葉はそこで遮られた。少年の目の前から、女は姿を消えていた。 「ぐはっっ!!」 彼女の細い体は地下水道の壁にしたたか叩きつけられ 受け身をとることもできず、吹き飛ばされた衝撃をまともに受けてしまった。 しかし、かなりの衝撃を受けたとはいえ、甲冑のおかげで、なんとか戦闘は続行可能らしく 片膝をつきながら、剣で体を支えてなんとか立ち上がると、さっきまで自分がいた場所を見据える。 そこには新たなモンスターが立ちはだかっていた。 2m半程の人型であるが、その体型は実に奇妙だった。 肩幅が異常なまでに広く、腕の筋肉が恐ろしく発達している。 その反面、逞しい上半身と比べると、小さな下半身、だが、けっして貧弱ではない。 その小さな下半身はむしろ、上半身の逞しさを引き立てていた。 そして、肌の凹凸が異様なまでに多い。筋肉繊維が異常なまでに膨らんで、それ自体がむき出しのような外見である。 しかし、それは筋肉ではなかった。 ペノメナの触手だ。 一体幾体のペノメナで出来ているのか分からないが、その巨人はペノメナで構成されていた。 少年は目の前のモンスターに、ただ震えるばかりで、剣を抜くことすら忘れている。 新たに現れた巨人は、少年の方に目を向ける。 「た………助け…………」 屈強な上半身から、拳が放たれ、それが少年に直撃する直前、巨人はいきなり手を引いた。 その手からは、奇妙な色をした血が流れている。 少年が横を見ると、肩を上下させながら、なんとか剣を構える女騎士の姿があった。 「……あ、アンタは早くここから逃げなさい………」 「で……でも…………ひっ!」 巨人の背後から、またも触手が迫る。 少年に迫ったそれを切り払いながら、彼女はモンスターの前に立ちはだかった。 「足手まとい………なのよ………いいから、早く行きなさい!!」 女の怒声に、ひるみ、少年はようやく、この場に置いて、自分が必要とされない存在か理解する。 明らかに護られている現状、そしてこの場で何もできない自分。 それが現実だった。 不甲斐ない自分に歯噛みしながらも、女とモンスターを交互に見ると、少年は決心した。 「た、助けがくるまで、持ちこたえてくださいよ!!」 そう言って、少年はもと来た通路へと駆けだした。 すぐさま少年を捕獲しようと触手が伸びるが、女はそれを許さない。 一瞬のうちに少年を捕らえようとした触手は地に落ち、のたうち回る。 「……まったく………世話が焼けるんだから、あのドジは…………」 軽口を叩いてみせるが、それは、少しでも自分を冷静にさせるため、と女は気付いていた。 状況はかなり不利だ。未だにペノメナは大部分を倒せていない上、新たな敵。 加えて、先程の一撃は、いまだ彼女に深刻なダメージを残している。 さっきは気力を振り絞って少年を助けたが、正直剣を構えるのがやっとなのだ。 「……終わったら、長期休暇くらいつけなさいよ………」 巨人は一度傷をつけた相手を警戒してか、動こうとしない。 しかし、ペノメナはまたも彼女に襲いかかる。 今にも倒れそうになる体に鞭を打ち、騎士は剣を振るった。 一向に減る様子のない攻撃、来る方向が分かっているからいいものの 隙を見せれば、すぐにでも、彼女を拘束しようとする。 「ぐっ!……このっ!!………」 次第に太刀の鋭さが失われていくのが分かる。だが逃げることはできない。 こうも体力を消耗していては、背中を見せただけでもはや触手に捉えられてしまう。 そうなれば、あの巨人によって撲殺されるのは目に見えている。 「………いつになったら………応援が来るのよ…………」 そう言いながら、振り切った腕に力を込め、返す刀で触手を切り裂こうとしたが、それは敵わなかった。 右腕が動かない。ふと右腕を見ると、そこにはあるはずのないペノメナの触手が絡みついていた。 見れば、その触手は巨人の体から伸びていた。 接近すれば、騎士の剣によって切り裂かれる恐れがある。故に、リスクの少ない方法を取ったということ。 触手の猛攻と、巨人本体に気を取られて、周囲への警戒を怠っていたのだ。 (アイツにあんなこと言ったるのに………) しかし、己の未熟さを悔いるより先にすぐさま、左手に剣を持ち替えて、切断する。 だが、その隙を前方のペノメナが見逃すわけがなかった。 両手にからみついた触手は、そのまま彼女を持ち上げ、残る触手は彼女の両足を固定し、女騎士は、大の字姿で空中に磔にされる。 精一杯の力を振り絞って振り払おうとするも、そんな抵抗など無駄以外のなにものでもなかった。 目の前に巨人が立っている。先程の礼だと言わんばかりの怒りの形相で女を睨みつけ、拳を握る。 「………や………やめろ…」 巨人は握りしめた拳を振りかざし、女騎士の腹へとぶち込んだ。 「ごふぁっ!!………ぐ………が…………」 触手によって体を拘束されているので、後ろにとばされることはなかったが それはオーガの攻撃の衝撃を、全て受けるということに他ならない。 甲冑は内側へとひしゃげ、女の目から、涙がこぼれ落ちる。 左手に持った剣は、床に落ち、金属音が地下水路に響き渡る。 手足が痙攣し、意識が飛びそうになるのを必死でこらえていると容赦のない二撃目が襲いかかった。 「げぶふぁ!!………ごふっ!ごふっ!…………」 鎧を固定する金具が取れたのか、ひしゃげた鎧は、オーガの拳が引かれると、音を立てて床へと落ちた。 血の混じった吐瀉物が巨人にかかるが、そんなことを気に止めない。 朦朧とする意識の中、女が巨人の顔を見ると、その顔には、歪んだ笑みが浮かんでいた。 剥がれた鎧から覗く女の肢体、甲冑に護られていたとはいえ 服は既に、巨人の攻撃によってズタズタになっていた。 破れた服から覗く女の白い肌は、巨人の拳によって粉砕された場所は変色していた。 今目の前にいるのは、己を傷つける騎士ではなく、抵抗する力を失った、か弱い女なのだ。 自分に危害を加えた騎士の変容ぶりに巨人はただ喜んでいる。 「も……ゆる……し…………」 そんな声が巨人の耳に届くはずもなく、三撃目の拳をオーガが放つ。 防具も何もかもが無くなった状態で受けた拳は、女の胸部に突き刺さる。 形のいい胸は潰れ、折れた肋骨が内側から女の乳房を突き破る。 金属板さえへこませる拳は、それだけにとどまらず、そのまま女の胸に埋没し鮮血が飛び散る。 女の体は、拳の衝撃に体が僅かに浮かび上がり、そして、力無く触手にぶら下がっていた。 もはや痛みすら感じなくなった今。女の耳には嫌な声が聞こえていた。クランプの鳴き声が周囲から聞こえる。 このまま、自分の体を貪るのだろうと、どこか他人事のように思えた。 薄れゆく意識の中、女が最後に思い浮かべたことは……。 あのドジ、ちゃんとみんなと合流できたかな………。 そこで女騎士の思考は途絶えた。 少年が、他の騎士を連れて現場にやってきた時には、すべて手遅れだった。 その場にいた巨人や、ペノメナ、そしてクランプを全て殲滅したとき、そこにいた女騎士の姿は無いに等しかった。 他のモンスターの肉塊に混じり、彼女の遺体を識別することすら困難となり そこにあったひしゃげた甲冑と血まみれの剣、それと長く美しい髪だけが、ここに彼女がいたことを示していた。 口の悪い女だった。 だけど、彼女は自分を一人前にしようとしてくれていた。 そして、足手まといの自分を助けるために………。 日頃から悪態をつく彼女の姿を思い出し、少年は一人涙した。