『雨の日』第三章 雨の日はあまり気分が良くない。 多分、今日もああなるだろうから。 窓から見下ろす町並みは、活気がない。 雨のせい、とうだけでなく、あのテロ以降、人々はみな怯えているのだ。 溜息をつき、イスから腰を上げる。 もうそろそろ帰ってくる頃だと思う………。 ドアの開く音が聞こえ、私は振り向いた。 「…………」 無言でドアの前に立っている。 ずぶ濡れになっており、着ているものはボロボロ、加えて全身傷だらけ。 全く……………。 「また、無茶なことをしていたの?」 「…………大丈夫だ…………」 そう、いつも通り“大丈夫だ”の一点張り。 「作戦は明後日だって言ったでしょ……」 「明日ヒールをかける……」 重要な作戦を目前にして、よくそんなことが言えるわね。 「とりあえず体くらい拭いたらどうなの?」 用意していたタオルを渡すと、無言で受け取り彼は体を拭き始めた。 「ほら、座って」 言われるがままに、彼はイスに座る。私も用意していた濡れタオルで、彼の体の汚れを拭きはじめる。 見た目もそうなのだが、直に触れてみると、はじめてあった時と比べて、格段に逞しくなったことが分かる。 だが、いくら逞しくなったと言っても、あんな行為は無視できない。 「こんなことをして死んだりしたら、あの子になんて言うつもりなの?」 彼の体が僅かに揺れる。顔を見れば、表情も少し強張っている。 「どうかした?」 「………いや、なんでもない…………」 今の反応は少し気になったが、とりあえず、体を拭くのはここまでにして、私は薬箱を棚から取り出す。 傷口に薬を塗り、包帯を巻く。新しい傷は見えなくなるが、古い傷跡が目につく。 短期間でここまで強くなるには、確かに実戦重視、と言うのは分かる。分かるけれど………。 「……あなたの場合、もう少し控えた方がいいわ。  少なくとも、毎回、瀕死の状態で阿修羅覇凰拳を打つのは止めなさい………」 「……大丈夫だ…………」 相変わらず………この男はこういうことになると……自分勝手だ。 彼とコンビを組んでもう一年になる。 あの日、謀反を起こした騎士団によるテロ事件の被害者のアコライト。それが彼だった。 目の前の恋人の死体。話によると、あの日プリーストになったばかりで、新たな門出を祝っていたと言う。 笑顔で送り出してあげようとした矢先に、こんな別れになってしまったそうだ。 あの時、プリーストの前で、彼はずっと泣いていた。 あの時の姿を見る限りでは、彼はずっと悲しみに浸るだけかと思っていたが、丘の上の二つの墓の前では、そう感じられなかった。 ひたすら湧いている自責の念。そして無意識のうちに抑えているが、今にも爆発しそうな、身を焼き尽くす程の怒り。 私は彼に、復讐の機会を与えると言って、その場を後にした。 そして、一ヶ月経った時、アサシンギルドにやってきた彼は以前とはまるで別人のようだった。 モンクとなった彼は、たとえ目に見えなくとも、怒りそのものを覇気として身に纏っているかのような雰囲気と 明らかに死線を幾つか越えてきた目、そして揺るぐことのない復讐の怨念を持っていた。 まさに復讐者と言うのにふさわしく、その内に秘められた何かに、私は引き寄せられた。 確かに、彼の潜在能力は凄まじかった。加えて、復讐の炎はいかなる相手であれ容赦をしない。 そして、この数年における対人戦の結果、彼は瞬く間に強くなっていった。 おそらく、今では私より強いかもしれない……。 そうして……一年が経った。 体の汚れも落ち、治療が一通り終了すると、彼はベッドに倒れ込み、泥のように眠っている。 雨の日はいつもそう。修行と称した半ば拷問のような狩り。 確かに毎回帰ってくるからには、引き際を見誤らないのは、この男にしては冷静だ。 だけど………問題は他にもある。 「……ぇ………ねぇ………ね…てば!」 「え?」 横を向くと、そこにいたのはあの人だった。 「まったく、いくら呼んでも返事をしないんだから」 「え? ああ、すいません………」 「まったく、困ってものよ、ねぇ?」 そう言って、あの人はあの子に同意を求める。 「そうそう、考え事をするといつもこうなんだから」 「わ、悪いと思ってるけどさ………」 二人は顔を合わせると、“ねぇ〜”と互いにオレを非難している。 ふと、あの人は意地の悪そうな顔をして、あの子に訊ねる。 「で、二人とも順調なの?」 途端にあの子の顔が真っ赤になる。 「な、なに言ってるんですか!……私と彼は、別にそんな………」 「……私は別に何が順調かなんて言ってないんだけどね〜」 「………あう………」 微笑むあの人、照れ隠しに笑うあの子、そして、オレも釣られて笑ってしまう。 居心地がいいな……幸せってこういうことを言うんだろうな。 「君はモンクになったんだ、さぞかし強くなったでしょうね」 ふと話題を振られた。この人に、そんなこと言われると……やっぱり嬉しい。 「い、いえ、あなたに比べればまだまだで………」 「腕力はあの頃からあったもんね」 「いやいや、当たらなくちゃ意味ないですし……」 「謙遜しちゃって」 ふふふ、と笑いながら、こちらを見つめる。 「でも………」 「え?」 あの人の顔が急に無表情になり、こちらを見ている。 すると、いきなりあの人の腹部が変形した。 内部から何かが飛び出そうとしているかのように、異常な凹凸を繰り返している。 そして、それはチェインメイルを突き破り、臓物を辺りに散らした。 「なんで、私がこんな姿にまでなって護ったあの子を、助けることができなかったのかな?」 マンドラゴラの触手が次々と腹を突き破る中、あの人は無表情のまま、こちらを見ている。 「な、あ………え?………」 なんだ?なんなんだこれは? い、いや、それより……大変だ、早く治療をしなければ。 「は、早く治療を、手伝っ……」 振り替えれば、そこにいたのは、胸を剣で貫かれたあの子だった。 「……そうそう…………なんで私を助けてくれなかったの?…………」 その目からは血涙が流れ、胸からも溢れ出るそれと共に、足下に紅い血だまりを作る。 「あ、ああ、そ……それ………は………」 動けない。でも、二人が迫ってくる。 そうだった、オレが……オレがこんな目に遭わせ……………。 ごめんなさいごめんなさい   ごめんなさい  ごめんなさいごめんなさい  ごめんなさいごめんなさい  ごめんなさい  ごめんなさい   ごめんなさい ごめんなさい   ごめんなさい ごめんなさい  ごめんなさい    ごめんなさいごめんなさい ごめんなさいごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさいごめんなさいごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさい ごめんなさいごめんなさい   ごめんなさい ごめんなさいごめんなさい ごめんなさい ごめんなさいごめんなさい  ごめんなさい ごめんなさい ごめん……なさ……… 『謝ったって………もう私たちは………死んでいるのよ………』 『なんで、なんであなただけまだ生きてるの?』 『答えて、なんであなたはまだ……』 「うぁぁぁあぁぅうああぁぁぁぁあああぁぁぁっっ!!!!!」 耳を貫くような悲鳴。 隣を見れば、ベッドの上には、歪んだ顔を涙でぐしゃぐしゃにした彼がいた。 いつもの姿からは想像できないほどに怯えきっている。 ………雨の日はいつもこうなる…………。 「はぁ………はぁ………はぁ………」 辺りを見渡すが、現状を把握するまでには時間がかかる。 「う、ううぅぅぅっ………あ、あああぁぁぁぁ………」 まだ、夢の中にいるかのように、彼は落ち着いていない。このまま放っておくと、あまりいいことにはならない。 「とりあえず、飲んでおきなさい」 私は、アサシン御用達の違法スレスレの半ばドラッグに近い精神安定剤を渡す。 「……………」 飛びつくように、それを私の手から奪い取り、そのまま嚥下する。 少し立つと、夢だと分かって安堵するが、今度は力無く、涙も拭かずに、ただ項垂れている。 そう、雨の日は彼にとって、とても辛い事を思い出してしまう日。 尊敬する人を目の前で亡くし、愛する人を護れなかった日。 いつまでもその影に捕らわれて、目に見えない亡霊に怯える日。 「………………」 とりあえず落ち着きはするものの、じきに震え出した。 「………なんで、あの時オレは無力だったんだろう…………」 誰に言うわけでもなく、ただ独り言のように彼は呟く。 「あの日、なんでオレはなにもできなかった?  なんでオレはもっとうまくやれなかった。  なんでオレは……………」 落ち着きはするものの、ただブツブツと呟くばかり、彼の気分は鬱になる一方だ。 このままというのも良くない。私はそっと立ち上がり、彼の前に座る。 目の前にアイツがいる。こちらの目をじっと見ている。 だが、いつの間にか、そっと顔に手が触れる。 目の前に、アイツの顔しか見えなくなる。そして、唇に柔らかい感触。 思考は一時停止する。 そして、ごく自然に顔が離れた。 「落ち着いた?」 「………あ、ああ………」 さっきまでの気分は確かに薄らいでいた。そう言われて、ようやく涙を拭いた。 涙を拭き終えたのを見ると、あいつが自分の服に手をかける。 呆然とするオレを後目に、白い肌が露わになり、生まれた時の姿になってオレに前にいる。 「………悪い……………」 「気にすることはないわ、あなたは私のパートナーなんだから、滅入ってもらうとこっちも困るの」 そういって再び唇が重なる。 脳が痺れ、感覚が麻痺する。そして、さっきまでの胸を締め付けるような想いがだんだんと薄れていった…………。 隣を見ると、彼の寝顔が見える。寝足りなかったのだろう、気分が落ち着けば、安眠はできるみたい。 少なくとも、表情を見る限りでは悪い夢をみているわけではなさそうだ。 彼を起こさないように、ベッドから降りると、私は服を着る。 もう何回、体を重ねたのだろうか。 雨の日になると、死ぬ寸前まで戦ってくる、或いは部屋に籠もって震えている。 貴重な戦力を、まさか薬漬けにするわけにもいかないとなると、とった行動は一つ。 快楽に身を委ねさせるだけだった。 一時的ではあるが、彼は落ち着く、しかし、起きた時は、何故か機嫌はよくない。 彼はこの世界で生きていくのに向いていないのだ。 優しい人。だからこそ、大切な人を奪った人間を許せないのだろう。 そして、だからこそ、その人を護れなかった自分にも厳しい。 そして、その優しさが、憎悪となり、力となり、同時に彼自身を壊そうとしている。 「不器用な男ね……」 でも、私は……少し羨ましかった。彼も、殺されたあの子も。 そこまで……想う人が、想ってくれる人がいるなんて………。 外を見れば、雨はまだ降り続いていた。 作戦の日には、やんでほしいわ………。 目を覚ますと、料理を運んでいるあいつがいた。 そして、自分を見れば、裸で寝ていた。そうか……また………。 「なにがモンク<修行僧>だ………」 いつもそうだ。過去から逃げようとしている。そして、選んだのが、快楽に身を委ねること………。 こんなことで……あの子の仇なんて取れるのか? 真っ正面から、過去を受け止めることができない男に、そんなことが出来るのか? 確かに、自分の弱さにも腹が立つが、もう一つ……申し訳ない気もする。 あの時……あの子の気持ちに……気付いてなかったわけじゃなかった。 今になっては本当のところは分からない。しかし……もし、オレの考えが当たってるなら……。 あの子の気持ちを踏みにじってる気がする。 雨の日の目覚めはやはり……悪いな。 起きたオレに気付いたのか、あいつがこちらに声をかける。 「起きたみたいね。それじゃ、食事にする?」 テーブルには、既に料理が並んでいる。 服を着つつ、目覚めにヒールをかけると、昨日の傷は瞬時にふさがる。 イスに腰を掛けると、もう、あいつは食事を終えたらしく、食器を片づけて、隣のイスに座っていた。 「食べないの?」 「あ、ああ………」 言われて、オレはテーブルの上のパンを手に取る。 「分かってるでしょうけど、明日が計画を実行する日だからね」 「分かってる……」 「今日は雨だけど、どこかに行かないでよ」 「分かってる」 「多分、今回の作戦次第で全ての決着はつくわ、でも、そのかわり今まで以上の激戦になるでしょうね」 「そうか……」 「……………」 「……………」 もそもそとパンをかじりながら、息苦しい沈黙を紛らわす。 明日、あの子の仇を取れるか、或いは死んでしまうのか、そのどちらかである可能性が高い……かもしれないな。 「私も死んだら、あの場所に埋めてくれるのかしら?」 突然の発言に、思わず口のものを吹き出しそうになった。が、なんとか飲み込む。 「縁起でもないことを言うな」 そこで、何故かあいつは少し怒ったような口調になった。 「そう、他人をあの場所にいれるのは嫌なのね」 「そんなこと言ってないだろ!」 何だよ、こんな時に……。 「違うの? 私と寝た後はいつも、随分と機嫌が悪そうじゃない」 「そ、それは………」 「どうせ、冷酷なアサシンなんかより、あの子を抱きたかったんでしょ」 「──!!──」 床に倒れているあいつを見て、ようやく自分のしでかしたことに気が付いた。 拳に残る殴った感触。 口から血を流すあいつ。 「す、すまん……大丈夫か……」 何言ってるんだオレは、自分でやっておいて………。 「今すぐヒールを」 「いいわ、別にたいしたことじゃないし」 そう言って、あいつは起きあがる。確かにダメージは少ないみたいだが……。 「で、でも……」 「悪かったわ、あんなこと言って」 「………」 「気にしてないから、あんなこと。それより、あなたこそ気にしないで。明日は大変なんだから」 気にするな、か…………。 「食べ終わったら、指定通りの場所に来てね」 何事もなかったように、あいつは部屋から出ていった。 なにやってるんだオレは………。 扉を閉めると、さっきの自分の言ったことが信じられなくなる。 なんで私があんなことを言うの? 彼が悪いわけでもないのに、なんで私が怒ってるの? 挙げ句の果てには、彼を困らせるようなことをして………。 「なにやってるのかしら……私………」 ここで立ちつくすわけにもいかないので、指定場所へと移動をする。 でも、私の心は、どこか晴れなかった。 とある都市の郊外、降り続ける雨の中、私達は三つの影を追っていた。 前方にいるのは三人の騎士。かなり足が速い。しかしそれ以上に……手強いだろう。 謀反を起こした騎士団とその団長。今や裏の世界では、その名を知らぬ者はいない程の有名人。 だが、裏の世界で有名などというのは、あまりいいことではない。 狙われる危険は無論高く、情報を掴みやすいので、今回のように襲撃される。 そう、向こうにしてみれば、いきなりの襲撃だっただろう。 こちらもだいぶ手間と時間がかかった今回の作戦。ここまで来たからには目標は二つ。 狙いは騎士団団長と、古木の枝を改良、生産している連中だ。 そう、この二つさえ抹殺出来れば、この戦いは終わる。 私達は、団長の追跡班として配置され、今まさに、その目標を追っているところだ。 「クソッ! おい! お前らなんとかしやがれ!」 声に従い、三人のうち二人がこちらに向かう。一人逃げたのは無論団長だ。 「頭だけでも逃がすつもりね」 せっかくここまで追いつめたのだ、逃すわけには行かない。 「ここは私に任せてアナタはあの男を追って」 迎え撃とうとしていた彼はこちらを驚いた顔で見ている。 「し、しかし……お前一人にここを任すのは……」 「………言い方が悪かったわね。あなたに向こうを任せるわ。  あの団長、武道派で有名だから、一対一なら私よりあなたの方が向いてる。  あと、向こうにはまだ敵がいるらしいから……。  それに……あなたの目には、もうあの男しか見えていないでしょ?」 「………悪い」 「させるかよ!」 そう言って、一気に駆け出した彼の前に騎士の一人が向かおうとする。 彼の前に騎士の一人が立ちふさがる前に、私は無防備な背中をカタールで斬りつける。 「ぐぎゃぁっ!」 咄嗟にこちらに気付いたのか、致命傷とまではいかなかったが、その間に彼は走り去ってゆく。 「あなた達の相手は私よ」 どんどん小さくなって行く彼の背中を視界の隅に置きながら、私は二人の騎士と対峙する。 「はっ、はっ、はっ、はっ…………ぜはーっ、ぜはーっ、はー……ふぅ、こ、ここまで来れば……」 「待てよ」 「!!」 騎士がこちらを向く。一目だけなら、こいつの本性など分からないだろう。 人の良さそうな顔、上辺だけの笑顔。そして、今まさにオレに向けているふざけた敵意。 間違いない。あの日、あの子を、殺した、あの男だ。 「ちっ! なにやってるんだアイツら………」 そういいながらも男は剣を抜く。 「まぁ、いい。こうなれば………」 「あの日………」 「あ?」 「あのテロを起こした日………お前は覚えているか?」 「ああ、覚えているとも」 「そこで……殺した人間のことも覚えているか?」 「さぁな」 「あの日………一人のプリーストを殺しただろう」 「……………」 覚えていないらしく、オレが何故こんなことを言っているのか分からない、と言う顔をしている。 「辱めた上でな………」 この言葉で、ようやく思い出したらしく、表情が変わる。 「………そう言えばそんなこともあったな………最近の暗殺者はそんなことまでお見通しか」 「分からないのか?」 「はぁ?」 思ったより察しが悪い。確かに、あの男の中では、オレは既に殺されているのだから、仕方ないとも言えなくはないが………。 「プリーストに、連れがいただろう………」 「………!? まさか、お前……」 「そうだ、あの時のアコライトだよ」 「ちっ、オレとしたことが、ツメが甘かったか………。  それにしても、よくここまでできるもんだな。あの愛しい愛しいお姫様の敵討ちかよ」 このふざけた態度、最早こいつを目の前にすると、オレの中には黒い衝動しか生まれない。 「お前だけはオレが殺す」 「やってみろよ」 男が剣を構える。ツーハンドクイッケンの構えだ。 「今度こそお前も女と同じ場所に逝け!!!」 騎士はすかさず間合いを詰め、そのまま攻撃に移った。 横一線に放たれた鋭い太刀をなんとかかわし、懐に潜り込もうとする。が、すぐさま二振り目が返ってくる。 こうなると、剣の間合いの外に出る他がなく、オレは大きく下がった。 「どうした! オレを殺すんじゃなかったのか!!」 そう言いながら、すぐさま接近して斬りかかってくる。 巧い。 拳の射程距離に持ち込ませない。それでいて、指弾を撃つ距離と時間も与えない。 己の得意な距離へ戦いを運ぶことを得意としている。まずいな……。 男の連続攻撃に対して、オレはなかなか手が出せず、避けるだけだった。 さすがに全てを完全にかわすことは難しく、何回か身を切られる。 決して致命傷にはなってないが、危険だ。 「くっ!」 軌道を変えた斜め下からの斬撃に反応が僅かに遅れ、肩を裂かれる。 しゃがんでかわすが、上から刃がこちらに迫る。 「死ねやあぁっ!!」 速い! …………だが…………。 ふと、あの日の事が頭に浮かぶ。 モンスターの大群を次々と切り伏せていったあの人……。 記憶は古いものだが、まるで昨日のことのように鮮明だ。 そして……今目の前にいる男の剣は………。 「あの人に比べれば圧倒的に遅いな」 「なっ!!」 上段から打ち下ろした剣の腹は、オレの両手によって進撃を抑えられていた。 下にかわせば、上から打ち込んでくると踏んだのだが、うまくいった。 「はっ!」 力をこめると、安っぽい音を立てて刃は折れ、瞬間、騎士は呆然とする。 その隙を見逃すつもりなど全くなく、男の両手首に、それぞれ拳を放った。 「がっ!!」 骨の砕ける音。手元から落ちる折れた剣。 そして、こちらを見つめる驚愕の眼差し。 「まだ戦いは終わっていないぞ」 男の無防備な顎に突き刺さる拳。尻餅をついて倒れる男。 ただ呆然として、今だ現状を把握していない。そして、その上に乗りかかる自分。 そこでようやく男は我を取り戻した。 「た、助けてくれ……降参だ、そ、それに……生け捕りにしろ……くらいに言われてるんだろ!?」 「……………」 「そ、それに、あのプリーストだって、こんなことを望んでいるとは限らないだろ!」 殺した本人がそんなことをいけしゃあしゃあと言うのは癪に障るが、確かにあの子は復讐なんて望まないだろう。 「………そうだな………」 僅かな期待にすがる騎士の姿が目に映る。 「あの時………」 「へ?」 「あの時、お前があの子を殺して、オレを殺し損ねて、そして今、オレの方が強い。  お前が死ぬ理由にこれ以上のものはあるか? 言ったはずだ、お前だけはオレが殺すと」 「や、やめ」 殴る 口から血が飛び散る。こちらにも降りかかるが、雨がすぐさま洗い流してくれる。 殴る 鼻柱が歪む。それなりに面はよかったが、二度と人前に出られない顔にする。もっとも、人前にでることが出来ればの話だが 殴る 歯が飛ぶ。前歯、犬歯、奥歯、どこの歯と言わず、全て折ってやる。満足に飯を食えないくらいにだ。 殴る 頬が腫れて変色し、醜く膨れあがる。紫と赤の混ざったそれは、腐った果実のようだ。 殴る 瞼はもはや目を隠している。いや、そもそも眼球自体潰れているかもしれない。 だがそんなことはオレにとってはどうでもいい。 あの子を殺したコイツだけは許せない。何回殺そうが許すつもりなどない。 殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る  殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る殴る 気付けば、男はもう何も反応しなくなっていた。 いつの間にか、息絶えていたのか……いつからだったのだろう………。 「よくよくついてないな………」 その声で、ようやく、近くにまだ人がいることに気付く。 顔を上げると、そこにいたのは三人。 それぞれ女のアルケミストとセージ……そして………。 二人の間に立つウィザードの男。 なんて日だ。憎い人間を二人も葬ることが出来るとは。 見間違えるはずもない……あの時の………あの人を見殺しにしたウィザードだ。 「団長! 生きてますか! 団長!………やっぱり無理か………」 「早く逃げましょう。最早、あの騎士団に構うこともありません」 女のアルケミストは淡々と述べる。 「そうです、ともかく、早く………」 セージも、ウィザードに退散を進言する。 だが、お前を逃すつもりはない。 「待てよ………」 「モンクか………最近噂の、二人組の一人だな………」 「まさかこんな所で会えるとはな………」 「なんだ? お前など……」 「アンタ、前に一度、郊外で古木の枝の実験してただろ」 「………まぁな、それがどうかしたか?」 「そん時、運悪くお前は怪我をした。そして、とある騎士に助けられた、が、連れのノービスをブッ倒してそのまま逃げただろ?」 「………誰だ、お前は?………」 「察しが悪いな、あの時のノービスだよ………」 「……ほぅ…………」 さほど驚いた様子もなく、ウィザードは退路を確認する。 「しかし、あの時の小僧に追い込まれるとはな………とんだ茶番劇だな」 「……………」 何かを思いついたように、ウィザードの顔が歪んだ笑みを浮かべる。 「それにしても………あの時のあの女、つくづくいい見物だったな」 「………なんだと?」 どういう事だ? あのまま蝶の羽を使って帰ったんじゃ……。 「なぁに、失敗作とは言え、改良した古木の枝が呼び出したモンスターを見届けたかったのさ」 「わざわざ人の蝶の羽を奪っておいてか…………」 鼻でオレを笑い、ウィザードは話を続けた。 「それにしても、あの女には驚いたよ。あれだけの数を、一人でほぼ殲滅するとはな。  だが、そんな女が、マンドラゴラ如きにいいようにされているのは見物だったな」 「黙れ」 落ち着け、明らかにこれは挑発だ。 「……お前も見てたんだろ、どうだったんだ?  あの女、バカだったが顔の方はよかっただろ?  犯されている姿なんて興奮しただろ?」 「黙れ」 なんだ、なんでこんな簡単に反応してるんだオレは。 「それとも、ろくに声もあげないマグロ女には下半身は反応しないのか?」 「黙れ」 落ち着け、このままだと相手の思うつぼだ。 「ああ、そうそう、あの女、ちゃんと死んだんだろ。一応、唯一命令をきくマンドラゴラに  腹の中を掻き回すように合図を送ったんだよ」 「黙れっつってんだろ!!!!」 自分の放った怒声に、自分で驚いた。オレは………怒ってるのか? 考える前に、体が動いていた。だが、ウィザードの方には向かっていなかった。 向かう先は、オレの死角に回り込もうとしているセージの女。どうやら、怒りは別の方向に向いているらしい。 怒りは、より確実な死を相手にもたらすために、こちらに反応したようだ。 呪文を詠唱し、今まさに魔法を放とうとしているセージの姿が近くなる。 「ファイ……」 「悪いな」 「……………」 口づけさえ出来そうな位置にオレとセージはいた。 セージの豊満な双丘の間から、オレの二の腕が生えていた。 上腕には生肉の暖かさ、拳には外気と雨の冷たさを感じる。 右腕は、セージを貫通していた。 信じられないものを見るような目で、セージがこちらの目を見る。 そして、それはすぐに苦しみと悲しみの目に変わり、涙が頬を伝う。 胸は痛む、だが、この女も古木の枝の制作に携わっていた、ということが同情の念を塗りつぶす。 何を考えたのか、セージがオレの二の腕を掴んだ。そして、オレはその意を悟る。 新たな驚異を感じとり、オレはすぐさま、セージの細腕を左手でへし折る。 ささやかな抵抗はあっさりと終わる。両腕とも、ありえない方向へと曲がり、指は全て剥がれた。 そして、露出した腹部を、思い切り蹴飛ばした。 陥没する白い腹、一際苦しそうな顔をするセージの胸から、オレの腕は抜ける セージはそのまま宙に飛び、そして炎上した。 ウィザードが放った火炎玉は、同胞の女を火達磨にしただけに終わった。 奇襲が失敗に終わったウィザードは、すぐさまアルケミストに顔を向ける。 「なにやってんだ! 早くなんでもいいから呼び出せ!!」 「は、はい!」 アルケミストが、袋から古木の枝を出そうとするが、袋の中に入れた右腕は、枝を引き出すことなく地に落ちた。 何が起こったのか分からないアルケミストが、こちらを向くと。 その額には指弾によって開けられた紅い穴が見えた。 アルケミストは、糸が切れた操り人形のように、その場に倒れた。 「……………………」 愕然としたウィザードの顔がここからでも分かる。 最早、残ってるのはお前だけだ。 「フェミニストかと思ったんだがな…………」 「………そうだな、出来れば殺したくなかった。だからせめて、一撃でやった」 ウィザードの舌打ちがここまで聞こえた。当然……だろうな。 「それにしても、たった一人に……ここまでやられるとはな」 雨によって鎮火した、炭と化したセージと、アルケミストの亡骸を見つめるが、決して隙は見せていない。 この距離では、遠距離戦に長けたウィザードの方がまだ有利か……。 しかしながら、向こうもすぐに攻撃をしてこない。 こちらにも遠距離攻撃手段があることを考えてか、こちらを倒そう、という気配はあまり感じられない。 「一人じゃない。協力があったからだ。あいつが、あの男の側近を引きつけているから、ここまで来れた」 「成る程、もう一人の方か………いや、待てよ………」 ウィザードはなにやら思案顔をする。そして何が可笑しいのか、静かに笑い出す。 「確か、二人組の片方は女だと聞いたが?」 「女だからと言って、遅れを取るほどアイツは弱くない」 「くっくっく……それにしても………お前も女運が悪いな、いや、運が悪いのは女の方か?」 「何の話だ?」 「確か、お前は、女のアサシンと手を組んでるそうだな」 「…………」 「その女は深淵の騎士より強いか?」 「何を言って………」 「お前も察しが悪いな、あの女は、深淵の騎士の餌食になると言ってるんだ。  特定のヤツを呼び出せる古木の枝をアイツ等に持たせたからな」 「なっ!!」 思わず後ろを振り向くが、隙を見せたのは悪かった。ソウルストライクが直撃し、僅かによろめく。 「三人仲良く逝ってこい」 ウィザードの方を向けば、目の前には、ただ紅蓮色しか見えなくなった。 太陽が爆発したかのような光に周囲は覆われ、そして壮大な火柱が上がる。 「……思い知ったか、根暗野郎が」 つばを吐いて、ウィザードはその場を見つめる。 セージとアルケミストはもういない。騎士団も壊滅状態。 そして、はじめて見せる人のような寂しげな顔をする。 「また、一から出直しか」 背を向けて、この場を去ろうとしたその時、自分の胸から血が噴き出し、そのまま倒れる。 「な!? ど、どうし……たんだ……」 地面一面に広がる赤、なんだこれは? ふと己の胸をみると、そこには暗い穴が空いていた。 「なんだ……これは………」 そのまま、何が起こったのか理解する前にウィザードは意識を失った。 間一髪の所で間に合ったか。 向こうを見れば、気孔の弾によって、胸に風穴を開けられた男が倒れている。 ウィザードの言いたいことは分かっていた。だから、あえて乗ってやった。 隙さえ見せれば、向こうから仕掛けてくる。その直後を狙っての指弾による攻撃。 確かに賭ではあったが、あの状態だと、一番早く決着をつけるには、これしかなかった。 「くっ………」 直前に金剛をかけ、直撃だけは避けたとは言え、さすがにダメージは大きい。 己にヒールをかけながら、騎士とウィザードの死体を交互に見る。 「…………」 気分は晴れなかった。 二人の仇を取ったというのに、空しさだけが心を満たしている。 特に、あのウィザードの寂しげな表情に、筆舌しがたい空しさを覚えた。 結局……憎しみはなにも生み出さないとでもいうのか………。 ある程度傷が回復すると、、己の来た道を振り返る。 そうだな、今は、死んでしまった者のことを考えるより………生きてるあいつが危ないんだ。 「……もうあんな想いは御免だ……」 全力で駆け出した。 生きてろよ、もう嫌だ、あんな想いは嫌だ。 オレはあの頃とは違うはずだ。 なにもできないはずがない。もう無力なんかじゃないんだ。 雨は次第にやみつつあった。 そして、二手に分かれた場所にたどり着いた時、そこに見えたのは深淵の騎士。 右手に持った大剣を、高々と天に持ち上げている。 そして、その剣に串刺しとなっているあいつが見えた。 ………こんな所で終わりなんて………。 あの時、私は、あの男を主犯の騎士団長の元に向かわせるべく側近二人を相手に戦っていた。 さすがに団長の側近だけ会って、二対一では苦しかったが、もはや残ってるのは目の前の男だけ。 こちらもけっして無傷では済まなかった。特に、左足の傷はかなり深く、機動力は半減していたが もはや相手にはこちら以上に抵抗する力も残っていない。 最期の足掻きとばかりに、剣を無茶苦茶に振るうが、そんな錯乱した状態のものが当たるはずもなく カタールの一閃が男の剣を払い落とす。 錯乱状態に陥った目の前の騎士は、途端に、何かを思いだし、取り出す。 「くそう! なんでもっと早くに思い出さなかったんだ!」 その手に握られていたのは古木の枝だった。 使われる前に攻撃をすべきだったが、うまく動かない左足では、それも敵わずモンスターが召喚された。 黒い馬にまたがり、同じく漆黒の鎧を身に纏い、大剣を持つモンスター。 「笑えないわね………」 最強のモンスターの一つ、深淵の騎士だ。 「は、ははははははは、これでもうお前も終わりだ! さぁ、やっちまえ!」 しかし、深淵の騎士は男の声などまるで聞こえていないのか、一向に動かない。 「な、なにやってるんだ! 早くあの女を」 剣の一振りは、男の体は頭の先から股間まで真っ二つに切り裂き、二つに別れた男の死体が左右に倒れる。 失敗作を渡された、捨てゴマということか……。 動かなくなった騎士から、その視線が私に向く。 一瞬、動けなかった。初めて出会う敵、加えて先程の戦闘での怪我も無視できない。 基本的に、格上の相手と正面切って戦うことがない私には、この状況は不利なんてものではなかった。 例え無傷でも、私の腕じゃ、一対一では、深淵の騎士にはおそらく勝てない。 逃げるしかない………。 私は背を向けて走り出そうとした。 しかし、左足の傷が思った以上に深い。なかなか思うように走れない。 後ろから馬の蹄鉄の音が近づいてくる。ここで死ぬわけには………。 そう考えると、前を向いていた。 改めて対峙するとそのプレッシャーだけで押し潰されてしまいそうだ。 だが、ここでそのまま退いたんじゃ、殺されてしまう。 なんとか突破口を見つけるしか…………。 そして、深淵の騎士の剣が呻りをあげてこちらに向かってきた。 一撃でも喰らえば即、死に繋がるそれをかわしながら、攻撃の合間をぬってカタールを振るおうにも 体が萎縮してしまっている。回避にだけ専念し、攻撃にまで気が回らない。 時折、反撃にでるも、鎧に阻まれ、大したダメージを与えられない。 そうしていると、次第に、当たりそうなものが多くなってくる。 そんな攻撃の一つをかわそうとしたが、そこで、一際左足に痛みが走り、反応が一瞬遅れる。 剣は私の右腕のちょうど肘の上を貫いた。そして、漆黒の騎士はそのまま刃をずらす。 剣は肘の上から、中指と人差し指の間を一気に走り抜ける。 「うぐああぁぁぁぁぁっっ!!!」 見れば、右のカタールは外れ、右腕が二本になっていた。 嘘、なんでこんな……。 激しい出血と、痛みで、頭が働かない。 逃げなきゃ……私じゃ勝てない……。 左足の痛みさえ、気にならないほどに、私は混乱していた。 もう回避だけを行っていた。 だが、なんとかかわすものの、この足じゃ、いつまで避け続けられるか分からない。 向こうは、まだ完全には捉えきれていない。が 背後にかわそうとしたその時、背中に堅い感触が当たった。 背後は崖になっていた。こんな時に地形を把握していなかったなんて………。 足を狙って薙ぎ斬ろうとしたその一撃は、飛んでかわすしかなかった。 そう、深淵の騎士はこれを狙っていたのだ。 空中での無防備な姿、深淵の騎士の剣は、私の腹を貫いた。 剣が皮を突き破り、内蔵を押しのける。そして、そのまま、背中の皮まで突き破られた。 腹部への激しい痛み、そして内蔵に直接感じる剣の冷たさ。 「が……あ、あが………か………いぐあぁ!!」 剣に力を込めるのが分かる。 股間の方に力を込めて、剣を下ろすのか。 或いは、頭の方に剣を上げ、頭部もろとも切断されるのか。 どちらにしても、もう、私にはどうでもできない。 私……ここまでなのかな…………。 だが、顔を上げると、僅かな希望が見えた。 顔を上げると、光弾がこちらに迫っていた。 それが深淵の騎士の背中を直撃する。 深淵の騎士は振り向くが、もう、すぐ目の前にまで、両手を構えて彼は飛んでいた。 構えから予想される、上下からの拳による攻撃を察知して、深淵の騎士は避けたはずだった………が 彼の目的は騎士ではなかった。 そのまま、回避を成功させたと思わせて………彼は、大剣の腹に上下同時に拳を放った。 金属の砕ける音、衝撃で刺さった剣によって内部を掻き回される痛み。 さらに落下の衝撃で剣の欠片は腹から抜け落ちるが。痛みと同時に、出血もひどくなった。 「大丈夫か!!」 深淵の騎士を相手にしながら、こちらを気にしてる場合じゃないでしょ……。 相変わらず、あなたこそボロボロじゃない。 「……大丈夫なわけ……ないでしょ………」 彼は、私に近寄ろうとするが、そこへ折れた剣が襲いかかる。 彼は私と深淵の騎士を一瞥した後、すぐさま、反撃に出た。 戦いは彼が優勢だった。 深淵の騎士は先制攻撃を受けた上に、折れた剣の攻撃範囲に今だ戸惑っている。 彼は、常に自分に注意を向けさせるため、距離をとらずに相手を攻撃していた。 私に注意を向けさせないため……というのは分かる。 でも……私が持つかどうか、正直なところ五分五分だ。 振り下ろされた太刀を紙一重でかわし、彼は拳を連続で叩き込んだ。 最後に、両足で蹴りをくらわせると、騎士はそのままのけぞり、彼は蹴りの反動で少し離れた所へと着地する。 騎士がよろめいている隙に、彼は腰を据え気を集中させる。 錬りあげた氣が青白く輝く。 己の全気力をぶつけるモンクの奥義、阿修羅覇凰拳……これで決めるつもりだ………。 深淵の騎士は体勢を立て直し、彼に突撃する。 彼は、それを迎え撃つべく、腰を据え、タイミングを計る。 外した方が負ける。 時間の流れが遅くなったかのように、感じる。 彼と深淵の騎士との距離がどんどん縮まっていく。 そして、彼が動いた。 最高のタイミング。 「阿修羅覇お……!!」 今まさに、止めを刺そうという瞬間、私と彼の目があった。 それ自体は問題はなかった。そんなことで彼の集中力がとぎれるわけがないから。 そう、その一撃で決まるはずだった。だが、彼の動きはその一瞬止まった。 宙を彼の右腕が舞う あたりに散らばる彼の血。 そして、右腕のない彼。 彼と深淵の騎士はすれ違い、そして、彼の右腕が地に落ちた。 何故? 何故そこで止まるの? この時を境に、先程とは打って変わって、彼の方が不利になった。 出血、そして右腕の欠損、対する深淵の騎士は、折れた剣による攻撃に慣れてきた。 深くないとは言え、彼に斬撃が当たり始めた。 「く……」 血をまき散らしながら……左拳を握りしめ、騎士に殴りかかった彼は、そのまま、袈裟懸けに斬られた。 左肩から、右脇腹にかけての深い傷。噴水のような出血は、あきらかに彼の死を予想させる。 倒れることはなかったが、その場に跪き、傷口を押さえる彼。 そして、その頭上で止めを刺すべく、ゆっくりと剣を振り上げる深淵の騎士。 「なにやってるのよ………」 左腕のカタールをなんとか外すと、私は、深淵の騎士に狙いをつけていた。 短剣でもない、こんなものを投げたところで、ちゃんと当たるかどうか分からない。 それに、鎧によって弾かれる可能性も否定できない。 なにより、こんな抵抗で、この場を脱することができるなんて………。 でも今の私にはこれぐらいしか出来ない……。 左腕で投げたカタールは、弧を描いて、騎士の後頭部へと吸い寄せられていった。 完全に彼に気をとられていた深淵の騎士に、カタールは見事に突き刺さっていた。 突如の異常に対して深淵の騎士は、あわてふためき、注意は完全にそがれた。 頭部に刺さったとはいえ、浅いので、これだけでは倒せない。しかし……。 「……今よ!!」 彼は血に濡れた体を持ち上げ、騎士の背後に跳躍していた。 彼の拳は、深淵の騎士に刺さったカタールに向けられていた。 まるで、釘を打つハンマーのように、拳はカタールを打ち付ける。 その威力は、拳からカタールへと注がれ、兜を纏った頭部を貫いた。 そして、それは騎士の頭を貫いただけに留まらず、馬の頭部をも粉砕する。 彼が、受け身も取れずに落下する。 その後ろには、頭部をなくした深淵の騎士と馬、首からは噴水のように血が噴き出し。 ゆっくりと、重量音を立てて倒れた。 気が付けば、いつの間にか雨はやんでいた 勝った………のかしら…………。 確かに、深淵の騎士は倒した………だが、二人とも助かる傷ではない。 ここまで来て、こんな所で死ぬなんて…………。 彼の姿を見ると、瀕死の重傷にもかかわらず、こちらに向かって這っている。 あなたと一緒に死ねるなら、それも悪くないかもね………。 暗殺者として生きていたのだから、ある意味、上等な最期………。 彼が私の目の前まで来ている。近くで改めてみると、最早助かる傷ではない。 ……一人で死ぬよりは………いいかな………。 でも、二人とも死んだら、あの丘には行けないわね………。 彼は、私に手を向けながら、すぐ側まで来ていた。 近くで見ると、その傷口からは、内臓や骨が露わとなり、半分死んでいるようなものだった。 「こ、こまで……みたい……ね……」 だが、彼の口からでた言葉は、予想外のものだった。 ヒールの詠唱。私の体が優しい光に包まれ、傷が癒えた。 「………え?…………」 かなり高位のヒールらしく、腹部の傷は完全にふさがり、二つになった右腕も、一本に戻っていた。 「な、なんでまだこんなヒールが使え………」 脳裏に浮かんだのは、あの時、彼が右腕を切られる寸前、まさか……そんな……。 「あの時、阿修羅覇凰拳を打たなかったのは、まさか私にヒールをかけるためなんて言うんじゃないでしょうね!!」 「…………」 彼は何も答えず、ただ弱々しく微笑む。 「何考えてるのよ! あんなことして、一歩間違ったら、二人とも死んでたじゃない!」 「……そうだな、今考えると……確かに…賢い選択じゃなかったな………」 「じゃあなんで………」 「もう……嫌なんだよ………」 彼の目から涙が一筋流れた。 「……もう、オレの……目の前で、誰かが死ぬなんて……耐えられない。  多くの人間を……殺して……お前が死んで、オレだけなんて……もう、生きて……いけない……」 そんなの……いつもの自分勝手な理屈じゃない。 「……じゃあ、私はどうなるの……アナタが死んだ後、私のことはどうするつもりなの!!  いつもみたいに、大丈夫だって言いなさいよ!!」 「……オレなんか……いなくても…………」 彼はそこで言葉と止める。その顔に、水が数滴ふりかかった。あれ? 雨は……もうやんだはずなのに……。 「……………泣いて……くれるのか?………」 「……え?……」 気付けば、彼の顔が滲んでいた。目頭が熱くなり、涙が溢れていた。 「……無表情以外に、はじめて……見たのが……怒った、泣き顔か………ごめん……な…………」 彼は、困った顔の後、微笑んでいた。 「………そ……れに………あ……り………が…………」 そこで彼の言葉は切れた。 彼はどこか満足げな顔をしたまま目を閉じている。 「……どこまで………自分勝手なのよ……なに一人で…満足……してるの………」 この時、彼の中の雨は、やんだのだろう。それは分かっていた。けれど…………。 見渡す限りの澄み切った青い空。もう、あの時のような雨は降ってない。 空から目を落とすと、私の前には三つの墓。 「これで……いいのよね…………」 姿を見ることは出来なかった強い騎士の墓 恐怖と悲しみを残した姿しか見ていないプリーストの墓 そして……不器用な生き方しかできなかったモンクの墓 墓から、右腕に死線を移すと、そこにはあの時の傷が残っている。 結局、右腕は完全には治らず、指はほとんど動かない。 傷跡も残ったままだけど、私はそれでもよかった。彼との、唯一形となる思い出のような気がしたから。 アサシンギルドはあの作戦の後、止めた。片手が使えないアサシン、もはや、第一線には立てない……とまでは言わないが 彼が救ってくれた命なのだから、一度死んだつもりで、少し生き方を変えてみようと思った。 「私の新しい人生、見守ってくれる?」 ここにいると………誰かと一緒にいるような感じがする。 あの世も霊魂も信じていないけど、でも、今は信じたい。 この三人が再び会えることを、今は信じたい………。 私は、その三人に会うまでどうしようか…………。 そう思って、ふと丘の麓を見下ろした。 なんで、なんでゴキブリのくせにこんなに強いの!? 人のアイテム奪うだけならまだしも そんな見かけで騙して襲うなんて反則よ! 初心者を騙すようなことして何が楽しいのよ! ああ、もうダメ、こんな所で終わりなんて………。 ああ、何構えてるのよ、あ、こっちに、こっちに来る! 「きゃぁ!!」 暗い、暗いけど、それは目をつぶってるせいだ。 全然痛くない。 アレ? おそるおそる目を開けると、そこにいたのは左手に短剣を持った綺麗なお姉さんだった。 「大丈夫?」 「は、はい………」 見れば、あのゴキブリは、お姉さんの足下でピクピクしていた。 そして、お姉さんは短剣を持った左手で、器用に何かを取り出した。 「ほら、使いなさい」 女の私がドキッとするような笑顔で、お姉さんはポーションを取り出した。 「あ、ありがとう……ございます………」 お姉さんは、こちらを見ながら何かを考えている。そして、なにか思いついたみたい。 「……初心者ね……なんなら、色々教えてあげようか?」 「え、いいんですか?」 澄み渡る青い空に、流れる雲、その下には、眠る三人と二人の笑顔。 そして繰り返される物語。 あるいは幸せな時を過ごせるかもしれない。あるいは不幸な過ちを繰り返すかもしれない。 だが…………… 出来ることなら、この二人に、三人の加護があることを祈りたい………。 ---------雨の日-END----------------------------------