あの日、オレは冒険者になってまだ間もなかったので浮かれていた。 とりあえず、ポリンくらいなら狩れるくらいにはなってのだが、それがまずかった。 あの日も、いつも通りポリンを狩っていると、カードが出てきた。巷で聞いたレア物だ。 機嫌良く、それを拾おうとしたその時、カードを虫に持っていかれた。 なにを生意気な、と思いながら、そいつが逃げた小高い丘の上まで追いかけた。 そのひ弱そうな外見からなめていた……結果は返り討ち。 外見とは裏腹に、そいつはポリンなんかより強かった。 「ま、…まだだ……そのカード…返せ……」 と強がってはみたものの、明らかに不利なのは明確だった。 そしてむこうが動いた。 もう、だめか……と思わず目をつぶったその時 「大丈夫?」 目の前に現れたのは、一人の女騎士だった。 騎士の足下で虫は絶命していた。 オレはただただ、目の前にいきなり現れた美しい騎士に見とれていた。 「え? は、はい……なんとか……」 「いるのよね、盗蟲にやられる初心者って。  ほら、これ使って、怪我してるんでしょ。」 そう言いながら、その女騎士はポーションを取り出し、イタズラ小僧を見るような顔でそれを渡してくれた。 それからしばらく、オレは彼女に冒険者としての基礎を叩き込まれた。 いくらと遠慮しても、「そんな腕じゃ、あっという間にモンスターの餌よ」なんて言われて半ば無理矢理にしごかれた。 しかし、悪い気はしなかった。得たものはとても大きかったからだ。 冒険者となるには、あまりにオレは何も知らなすぎた、それに……弱かった。 訓練だとかいって、組み手をやらされた時、あきらかに向こうは手加減しているのに、触れることも出来なかった。 でも、悔しくはなかった。差がありすぎたから、むしろ清々しいくらいだった。 一緒にいればいるほど、彼女の強さと美しさ、そして優しさに惹かれていった。 厳しくあるがそれでいて優しく、彼女は様々なことを教えてくれた。 あの時は、ただひたすらに幸せだった。 「もうすぐ転職できそうね、ねぇ、なにになりたいの?」 レベルも上がり、とりあえず一通りのことが出来るようになったあの時、そんな質問を彼女からされた。 「えっと……ですね……」 「…………………」 「………………」 「まだ決めてない……のね」 正直迷っていた。彼女と同じように、剣の道に生きてみようか、とも思ったが マジシャンやアコライトになって彼女の助けになることも考えていた。そしてゆくゆくは…… 「…………」 「でも、そうなれば君も半人前から卒業かな」 「いやぁ、まだあなたに比べればオレなんて・・・」 「うん、そしたらどこかいいギルドでも探してあげよっか?」 「……え?……」 「何時までも一緒にいることもないでしょ。  もう私が教えることも少なくなったからね……」 「…………」 ショックだった。そう、オレは忘れていた。彼女はあくまで親切心で今まで一緒にいてくれたのだ。 強力な仲間なんてたくさんいるに違いない。 仲間が欲しいのではなく、危なっかしいノービスを見ていられなかっただけなのだろう。 おそらく、オレが転職すれば、また違うノービスの世話を焼くのだろう。 少しでも甘い夢をみていた自分に嫌気が差した。だけどそんなことで、オレの彼女への好意は変わることはなかった。 一緒にいられるのも転職するまでか……あの時はそう思っていた。 別れも近づいていたある日 オレは彼女と共に、狩りに出かけようとしていたのだが、そこで、必死の形相でこちらに向かってくる人々に遭遇した。 誰もが恐怖を顔に貼り付け、我先にと走ってゆく。その中で、彼女は一人の剣士を引き留め、事情を聞く。 「モ、モンスターだよ! なんでか知らねぇが、この辺りじゃ見たことないような強力なヤツが  うじゃうじゃ出てきやがったんだよ。あんたらも早く逃げた方がいいぜ!」 と言い残し、剣士は去っていった。彼女は少し考え込み、人々とは逆方向に駆けだした。 呆然としつつも、オレは急いで彼女を追った。 「い、今の話聞いてなかったんですか?」 「まだ人がいるかもしれないでしょ」 「い、いや、でも……」 「人々を護るのは騎士のつとめよ」 彼女は少しもスピードを緩めず、こちらを横目に忠告する。 「君こそ、皆と一緒に逃げて。ここからは危ないから」 こちらを心配してくれているのは分かる。でも…… 「……嫌です、助けにいくのなら、一人より二人の方が効率がいいと思います。  大丈夫、無理はしません。無闇に前に出たりしません。  それに、オレは一時的にとはいえアナタの仲間です協力をするのが当たり前です」 「……無理だけしないでね」 「分かってます」 銀光がきらめいたかと思ったら、少女の前のレイドリックは動かなくっていた。 鎧を剣で真っ二つとは……。 付近一帯の敵を全て倒したことを確認して、彼女はすぐ側にいるアコライトの少女に目をやる。 すんでのところで、助けることができたのだが、かなりのパニック状態になっている。 止めどなく涙が溢れる目は焦点があっておらず、奥歯をガチガチいわせながら震えている。 「早く、その子を連れて向こうに」 言われて、オレはアコライトを連れて行こうとするのだが 「さ、早く行こう」 こちらの声が聞こえていないのか全然反応しない。 無理矢理連れて行こうにも、腰を抜かしているらしく立ち上げることも出来ない。 それでも、何とか連れて行こうとすると、彼女が商人に近づいていった。 彼女は腰を下ろし、アコライトと同じ目線にしゃがむこむ。 少女の体が僅かに震え、目の前の騎士を虚ろな目で見つめる。 彼女は、うっすらと微笑んで、少女を優しく抱きしめた。 「大丈夫、落ち着いて」 少しずつ、アコライトの震えが治まる。 「もう、あなたを襲う者なんていないから……」 優しく囁き、アコライトの背中を叩く 次第に、その目は光を取り戻し、震えも治まった。 「………大丈夫?」 「……はい………」 消え入りそうな声で囁き、アコライトは立ち上がった。 「あ……ありがとうございます、助かりました。  このお礼はなんといったら……」 「そんなこといいから、早くここから逃げた方がいいわ」 「は……はい」  そう言って、アコライトの少女は頭を下げてから、オレ達が来た道へと走っていった。 「あなたも……この辺りで引き返した方がいいわ」 オレに話しかけながら、彼女は先へと進んでいった。 「…………」 そこは、つい最近ノービスになったオレには考えられないような地獄絵図が展開していた。 へその辺りから下がなく、腸が飛び出ている上半身だけのアーチャー 原型をとどめないほどの肉塊になっているが、その周辺に散らばっている煌びやかな欠片は、その肉塊が ダンサーであっただろうことを示している。 そして……背中に何本もの矢が刺さったノービス。 それだけでなく、オレは見たこともなかった強力なモンスターの姿にも圧倒されていた。 自分でも顔が青ざめているのが分かる。 だが、その一方で、そんな化け物を一刀のもとに切り伏せてゆく彼女の強さにも目眩がしそうだった。 今までオレが見ていたものは所詮、本気ではなかったと言うことか。 だからオレは錯覚していた。彼女といれば安心だと。 だが、オレの認識は甘かった。 しばらくすると、今まで以上に濃厚な殺気が漂っていた。 モンスターの量は明らかに多くなっている。 これ以上進むと、いかに彼女といえどただですむワケがなかった。しかし、まだ生存者はいた。 若いウィザードの男だった。足をやられたのか、まともに立って歩くことも出来ないほどであった。 眼前に迫ったペストの群れから逃れるべく必死で這い逃げようとしていた。 しかし、手に抱えた袋を決して離そうとはしていなかった。 こんな時まで、何をそんなに、と変な感じがした。 別に何かを大切そうに持っていたところで、特に文句をいうつもりはないが…… 大切そう、というのもなにか違う。 だが、彼女はそんなオレの考えなどとは関係なく前方に飛ぶ。 そこへ躍り出た彼女の剣は見事に、ペストの命を絶ち、迫り来る敵を威嚇した。 「まだ生存者はいるの!?」 「ま、まだ弟が……一人……向こうに……」 そう言われて、彼女はポーションをオレに投げ渡す 「その人を治療したら、あなたも逃げるのよ!」 返事をする前に、彼女はモンスターの群れに斬りかかっていった。 オレはウィザードを担いで、草むらにかくれ、治療を行った。 背後から幾つもの断末魔が聞こえる中で、オレは治療を行った。 ウィザードはかなりの深い傷を負っていたが、なんとかなりそうだ。 しかし、さっきからどうもこのウィザードに妙な違和感を感じていた。 弟がまだ助けられていないのに、あまり心配しているそぶりがない。 それに、治療中も決して離そうとしない袋。 何か隠してる、そんな気がした。 ようやく、治療が終わった頃、モンスターの断末魔があまり聞こえなくなっていたことに気付いた。 嫌な予感がして、すぐさま草むらから顔を出すと、彼女は退路を断たれ、多数のモンスターに取り囲まれていた。 周囲のモンスターの死体の数から、彼女がいかに奮戦しているかが分かる。 しかし、あきらかにダメージは蓄積していた。 はじめて見る彼女の荒い息、白い肌には幾つもの傷、そしてそこから流れる紅い雫 鎧は所々破損している。剣は刃こぼれがひどく、幾筋かの亀裂が走り、いつ折れても不思議ではない。 明らかに分が悪い。 ここで、オレが飛び出しても、足手まとい以外の何物でもない。 だが、今ここにウィザードがいる。オレ一人では無力だけど このウィザードに頼めば…………… 「なぁ、手を貸してくれ、あの人を助け」 「悪いな、これ以上厄介毎はごめんなんでね」 酷薄とも言えるほど冷めた声だった。 「あの女の事は諦めろ」 「な、なに言ってるんだよ、アンタ、助けて貰ったんだろ!」 「関係ないね、あんな風に正義感を振りかざすバカげたヤツなんて、どうせ長生きしないんだから、どうだっていいだろ」 命を助けて貰って、そこまで言えるものなのか。 「そ、それにアンタの弟はどうなるんだよ! あの人がいなけりゃ弟を助け」 「ああ、ありゃ嘘だ」 なにを言ってるんだこいつは。 「ああでも言っておけばあの女、モンスターを殲滅するまで戦うだろ。  まぁ最も、あれだけの数を相手にそんな事が出来るとは思えんがな」 「……あんた………何考えてるんだ……」 「ノービス如きに話すつもりはないね」  オレは拳をにぎり、ウィザードに殴りかかっていた。 だが、ウィザードが何か呟いた次の瞬間、地に伏していたのは俺だった。 「頭も体も、弱いようなヤツは大人しくしてろ」 死んだ魚のような目で見下ろしながら、そいつはオレの荷物を漁る。 非常用に、とあの人がくれた蝶の羽、薬、などを取り出す。 そして、自分が持っていた包みを開き、そこに奪った物を詰め込んでいった。 「それにしても……なにが自由自在に操れるだ。  言うこと聞いたのは、あのまだらのヤツだけじゃねえか、大嘘つきやがって……」 その時、袋のすそから枝のような物が見えたが、あの時のオレはそれがなんなのか知ることはなかった。。 そして、ウィザードはオレの視界から姿を消した。 何かが頬に当たった気がしたが、そこでオレの意識は沈んでいった。 天から落ちる水の雫は、戦いで火照った体を冷やそうとする。こんな時でなければ気持ちいいだろう。 両肩を激しく上下させながら、私は周囲を見渡した。累々と転がってるモンスターの死体。 強そうなヤツは大方倒した。後はあのミノタウロスを残せば雑魚しかいない。 だが、もう体が持ちそうもない。血が足りないのか体は重く、目眩を起こしそうになる。 背中に刺さった矢は急所を外れているとはいえ、抜くことができないので、動くたびに、痛みで集中力を奪われそうになる。 左腕は骨が折れそうなのか、ほとんど動かない。 少しでも気を抜けばすぐに倒れそうになる。 もう少し、もう少しだけ頑張って、私の体……。 目の前のミノタウロスを見据えながら、雨で手元を滑らせないように、しっかりと柄を握りしめる。 正面のミノタウロスがこちらに向かってくる。何の工夫のもなく、繰り出された一撃をかわし、そのまま一気に距離を詰める。。 懐に潜り込めば、後は、刃を前方に突きだす。 その一撃は確かに心臓を貫いた。 止めに剣を捻れば、確実にミノタウロスの息の根を止めることが出来るはずだった。 だが、剣は鍔元に僅かばかりの刃を残して、音もなく折れてしまった。完全に息の根を止めることが出来なかった。 それでも、致命傷には変わりない。最期の足掻きと、鉄槌を滅茶苦茶に振り回すミノタウロス。 本来ならかわす事なんて造作もないその一撃一撃が、紙一重のところをかすめていく。 時折、味方さえも巻き込みながら、ミノタウロスは最後の力を振り絞る。 正直、体が思うように動かない。中には、危なげなものを幾つかあったが、何とかかわしきった。 そうして何度か猛攻のあったが、ミノタウロスにもとうとう限界が来たらしい。 断末魔とおぼしき咆吼をあげながら、最後の一撃と共に、こちらに倒れてきた。少し後ろに下がるだけでかわせるはずだった。 何故か私の体は後ろに倒れた。足下を見ると、いつの間にか、マンドラゴラの触手が私の足を捉えていた。 長時間に及ぶ戦闘と体中に負った傷のためか、集中力がだいぶ落ちていたらしい。こんなことに気付かないなんて。 自分の失敗を悔いる間もなく、ミノタウロスの最後の攻撃が私の右足を直撃した。 「ーーーー!!!!!ーーーーーー」 目の前が真っ白になり、声にならない痛みが襲いかかる。視界が雨とも涙とも分からないものでにじむ。 右足を見てみるとミノタウロスの鉄槌は私の右足の膝から下に見事に命中していた。もう、右足は使い物にならなかもしれない。 しかし、今はまだそんなことをいってられない。まだ戦いは終わっていないのだ。 私の周囲を取り囲むのは、生き残っていたマンドラゴラ。あの戦いの中に加わることが出来ず、取り巻いているだけだった。 近寄ることをせず、離れた場所から触手を伸ばして私を捉えようとする。 抵抗しようにも、身動きはおろか、ろくに姿勢も保てない上に、折れた剣でろくな抵抗など出来るはずもなく マンドラゴラの触手が次々と私を捉える。もう動かない足に、折れた剣をまだ握った腕に もはや防具として意味を為さない鎧をはぎ取り、ボロボロになったチェインメイルをむしり取る。素肌に直接当たる雨が冷たい。 なんとか、触手を振り解こうと力を込めるも、びくともしない。 こうもがっちりと絡まれたのでは、体調が万全でも、振り解くのは無理かもしれない。 そして、全身に巻き付いた触手が一斉に私を締め上げた。 「あっ!……あ、いや、あぁぁ……ぐ、くはぁ……っ……」 激痛と共に、全身から骨の軋む音が聞こえる。 折れそうだった左腕は触手の力に耐えきれず、嫌な音を立てて、あり得ない方向へと曲がった。 「ぐ、ぐあぁぁっ!……が……か………」 背中に回った触手が、刺さった矢を無理矢理日引き抜こうとする。 「い、……いた………ひぐっ!…………」 肉が固まって、取れるはずのない矢は、いたずらに傷を掻き回し、体内に鏃を残して折れてしまった。 触手は私を無理矢理持ち上げようとした。 鉄槌によって大地に縫いつけられた右足が悲鳴をあげる。 筋肉繊維が千切れ、骨は肉を突き破り外に出ようとしている。 「あ!……う、うあああぁぁあぁぁぁ!!…………ぁ……ぅ……」 散々引っ張られたが、鉄槌はびくともせず、ただ、私の足をいたずらに痛めつけるだけだった。 マンドラゴラが持ち上げようとするのを止めたとき 私の体は力無く、触手によって支えられる形になっていた。 最早、私の体には抵抗する力など残っていなかった。 それを分かったのか、触手は力を緩め、何本かの触手は私から離れていった。 だが、それは何も私を拘束することを止めたのではなかった。 今度は狙いを変えただけだった。ある触手は、私の口に、ある触手は乳房に、と私の体は触手によって蹂躙されている。 触手の一つが私の下半身へと伸びる。とたんに秘所に雨の冷たさを感じた。下着をはぎ取られたみたいだ。 聞いたことがある。マンドラゴラは女性の子宮に種子を植え付けるという話を。 そこに産卵管とおぼしき触手が迫る。 他の触手とは違う、一際大きなそれが嫌でも目に入る。そして、その先端が私の視界から消えた。 下半身からの不快な感覚、異物が体の中に入ってくるのが分かる。 子宮内に侵入してきたそれが、蠕動する。新たな子を私に植え付けるために。 涙が出そうになった。或いは出たのかもしれない。でも、雨でずぶ濡れになった私には、そんなことは分からなかった。 悔しかった。マンドラゴラに嬲られている現状もそうだけど、あそこで油断した自分が憎かった。 でも、そんな感情はすぐに消えていった。 あの時と同じだ。 嫌でも昔を思い出す。 まだ駆け出しの剣士だったあの頃は、実力もないくせに、戦略なんて気にせず感情だけで動いていた。 それがまずかった。ギルド同士の争いで、ろくに戦略を知らなかった私は、敵の罠にかかった。 それをうち破る力もなかった私は捕虜となった。 何人もの男に何日も犯され、殴られた。どんなに泣き叫んでも誰も助けに来てくれなかった。 繰り返される陵辱と暴力、そんな中で感情を持っていても、絶望しか感じなかった。 だから、私は心を閉ざした。そうすれば、あの絶望から逃れることが出来た。 心を閉じてからどれくらいの時間が経っただろうか。ギルドは私を助けに来てくれた。 でも、あの後、みんな随分うろたえていた。私の変わり様に。 それでも、時間が経つと共に、私は元の私の戻ることが出来た。それは良かったと思う。 ただ、元の私に戻るほどに、あの絶望感が襲いかかってくる。これは嫌だった。 私は無知だったから負けた。無力だったから犯された。 もう、あんな想いをするのは嫌だ。 その想いだけで私は変わった。 それからは必死になって力をつけた。様々な知識も吸収した。 その甲斐もあってか、騎士になってからはどんな戦いでも負けなかった。 そう、私だけは負けなかった。でも、私の周りでは、未だに悲劇は起こっていた。 それからだった、昔の私のように無知で無力で無鉄砲な者を放っておけなくなったのは。 そう、変わったつもりだった。弱者を救う理想の騎士になったつもりだった。 でも、現実は違う。私はあの頃と変わっていない。 少し力があったって、小賢しいことができたって、どうすることもできない現実は存在する。 現に、深淵の騎士だって倒すことが出来たのに、今はマンドラゴラにいいようにされている。 なんで私はこんなことに首を突っ込んだんだろう。 もう………どうでもいいや………。 全身を襲う冷たさに目が覚めた。 それほどの時間ではないようだが、どうやら気絶していたらしい。いつの間にか降り出した雨で目が覚めたらしい。 「……くっ……そ……」 悪態を付きながらもなんとか立ち上がった、が、思ったよりひどくやられた。 体の各所に魔法を喰らった。だが、それだけでなく、倒れざまに足を捻ったらしい。 だが、そんなことはどうでもよかった。気絶する前に、あの男が荷物を漁っていたのを思い出し、中身を確認するが ほとんど持ってかれたらしい。あの外道が、今度あったら………。 唯一の希望であったウィザードはもういない。 どうすれば……いいんだ。 そうだ、まだ、まだあの人は 木陰から向こう側を覗くと そこには、気絶する前以上のむごたらしい姿で、何匹ものマンドラゴラに陵辱されている騎士の姿があった。 虚ろな瞳で光を失っている。体はマンドラゴラの動きによって揺れてはいるが、本人は全く動いていない。 まさか死んでるんじゃ……。 思考が停止する。 どうする 助ける どうやって 武器もないのに しかし 助けたい。だが、自分が出ていってどうにかなるのか? 非力なノービスに何が出来る? 今、手の中にあるのは元々持っていた貧弱な短剣一つ。 彼女ならば、どうするだろうか……ここは待つんだ。冷静になれ。 かならず転機が訪れるはずだ。その時がくるまで待つんだ。 そう自分に言い聞かせなければ、今にも飛び出してしまいそうだった。 もう何回犯されたのだろうか 一度種子を植え付けたマンドラゴラは何処かへと去っていった。 そして次のマンドラゴラが種子を植え付ける。 それを繰り返すうちに、最後の一匹が目の前にいる。全体的に色にムラがある、まだらのマンドラゴラだ。 これで終わりなら……もう と考えている内に、最後の一匹も種子を私の中に植え付けたらしい。 教会でちゃんと取り除けるかな。 産卵管の蠕動が終わる。だが、マンドラゴラは産卵管を抜こうとしない。 そして、目の前のマンドラゴラは私の首を締め上げた。 「!!」 みしみしという自分の首が締め上げられる音がする。 視界がどんどん暗くなる。 なんでだろう。今までのマンドラゴラは何もしなかったのに。 知っているの? ここで生かしておいても、種子を取り除かれてしまうことを。 だから殺すの、殺して苗床にするの? でも、もうどうしようもないか。 気付いたら走っていた。 右手に短刀を持って彼女の元に。 締め上げられた顔は青くなり、痙攣を起こしている。 見ていられなかった。途中で何度も転びそうになりながら 大声を上げて、マンドラゴラに向かっていた。 あれ? なんで君はまだいるの? あのウィザードを治療して逃げなさいって言ったのに。蝶の羽だって渡したのに。 ううん、そんなことより、それじゃダメ、それじゃ勝てない。 まず、君だけじゃ、まだマンドラゴラに勝てる確率は高くない。 それに怪我をしている。足を怪我したんじゃ踏ん張れないし、バランスも悪い。攻撃にも防御にも不利。 武器だって、そんな短剣一つで勝てると思ってるの? 動きなんて単調そのものじゃない。 なんでそんな状況で戦おうとするの? そっか、私を助けようとしてくれてるんだ。 そうだ、君は私を助けようとしてくれている。 でも、このままじゃ殺されるだけだ。二人一緒に。 心を閉ざして諦めてる場合じゃない。 助けなきゃ。 助けなきゃ。 マンドラゴラがこちらに気が付いた。彼女を戒めていた触手をほどき こちらを迎え撃とうとしている。 でも、まだ喉の触手はほどけていない。 早く、早く倒さなきゃ、早く。 私の右手を束縛していた。触手がほどける そして正面に気が向いている。 渾身の力を振り絞って、刃のない剣を振り下ろす。 私は、喉に取りつく触手を切り落とした。 でも、こんな剣じゃ本体に致命傷なんて与えられない。 「短剣をこっちに!!」 私の急な動きに、彼は一瞬、驚いていた。 でも、すぐに正気に戻って、短剣を私に投げてくれた。 折れた剣を捨てて、私は短剣を受け取ろうとする。 幸い、この雨の中、コントロールを失わずに、短剣は私の手に治まった。 そして、マンドラゴラの本体を短剣で切り刻む。 表皮を十字に切り裂き、そこにすぐさま短剣を突き刺す。 内部まで十分に短剣が行き着いた。そこで、思い切り短剣を掻き回した。 マンドラゴラは暴れた。触手は私を絞め殺そうと、またも巻き付いてきた。 でも、圧倒的に遅い。もう中はぐちゃぐちゃだよ。 そこへ、彼がまたも助けに入ろうとする。 「待って! だ……大丈夫……すぐに……大人しくなる……か、ら」 触手の力は次第に力を弱め、遂に大人しくなった。 とりあえず、私も君も無事だからそれでよかった。 でも、少し、腹部に痛みを感じた。 微笑みながら、大丈夫だと言ったが、とてもそんなことは信じられなかった。 防具はもはや、鉄くず以下であり、美しい肌は傷だらけ、全身は血まみれ泥まみれだった。 そして、右足に重くのしかかったミノタウロスの鉄槌は、明らかに彼女の足を破壊していた。 腕力もなく、しかも怪我をしているオレが鉄槌を取り除くのには時間がかかった。 その最中、彼女はずっと、小刻みに震えながら、必死に悲鳴を抑えていた。 ようやくのことで取り除いた鉄槌の下は見るも無惨に破壊されていた。 複雑骨折は明らかだ。いや、切断しなければならないかもしれない。 そんな怪我を負っているにもかかわらず、大丈夫の一点張り。オレを心配させないために そんなことを言っている。 それどころか、オレの怪我を心配する始末だ。 正直、この人には敵わないだろう。と心底思った。 「ごめん、上着、貸してくれる?」 そう言われて、今更オレは彼女のあられもない姿を認識した。 彼女が上着を着ると、何か思い出したようだ。 「そうだ……あの人の弟どこかにいるはずなのに………」 あまりに痛々しい彼女の姿を見ると、 言いたくなかった。騙されていた、徒労だった、馬鹿にされたことは。 「……それ……が、弟は、なんとか向こうから逃げ出したらしくて………  治療をしている最中に……出会って……それで……蝶の羽を渡しました」 「そっか、よかった」 はらわたが煮えくり返りそうだった。 「それじゃ……帰ろっか?  あ、でも……歩いて帰るしか……」 「オレが背負います」 「でも……ここから街まで……背負ってだと……遠いよ?」 そんな足で歩けるはずがないのに、彼女はまだそんなことを言う。。 「嫌だと言っても背負っていきますからね」 「……それじゃ……そこまでいうなら……」 背負ってみると、思ったよりも、ずっとずっと、彼女の体は軽くて、細くて、頼りないものだった。 雨は一向にやむ気配がなかった。 ただでさえ、全身傷だらけの上、複雑骨折までしているのに体を冷やされるのはまずい。 一刻も早く、首都へ行かなければならない・・・しかし 思った以上に捻った足が動かない。 せめて誰か通りかからないかと期待するが、誰にも出会わない。 あんなことがあったばかりだ。無理もないと言えばそれまでだが それでも、早く彼女に治療を受けさせなければ。 「あんまり……焦らない方が……いいよ……」 そんなことを言われて、速度をゆるめるわけない。 速度を上げようとしたが、足首を捻ってしまった。 ……派手に横転してしまった。何をやってるんだオレは。 左を見ると、彼女は左腕を押さえながら、震えていた。 転んだ拍子に、骨折をひどくしてしまったのか………。 「す、すいませんだいじょう……」 オレの横たわる彼女を改めて見て、絶句した 転んだ拍子にオレの上着ははだけ、そこから覗く白い腹からはどの傷よりも血が溢れて出ていた。 いままで雨で気付かなかった。いや、雨なんて関係ないかもしれない。 まさか、今、転んだの拍子で…… 「……そう、じゃない…よ……」 青い顔をしたオレに向かって、横たわったまま、彼女は答える。 「マン…ドラゴラの……産卵管……  まだ、中にあった時に、動いた……か……」 彼女が全てを言い終わる前に、すぐさまその体を背負い、歩き出した。 私は君の背中の暖かさに眠くなっていた。とても気持ちがいい。 もう長くない、ということは分かった。 君が暖かいんじゃなくて、私の体が冷たくなっているだけなんだろうな。 でも、ただ暖かいだけじゃ、ここまで気持ちよくなんてならない。 嬉しかった。誰かが助けに来てくれたのなんていつ以来だったっけ。 私が強くなると、誰かが護ってくれることなんて少なくなっていた。 騎士なんだから、護られる側になるわけがなかった。 当たり前のことなんだけど……でも……少し寂しかった。 もう護られることなんてないと思ってた。でも、最後にこうして護られているって感じを味わえるなんて思ってもいなかった。 ………満足…だけど……… もう……少し………も……少し……だ、け生き……たかった……な……君の……転……職ま………で…………… 雨の中、街はひどく遠く感じた。 行き交う人もなく、ただ、雨ばかりが降り注ぐ 背中越しに感じる彼女の体温がどんどん下がっていくのが分かる。 背中のやわらかい感触を通して伝わる、命の鼓動はますます弱くなっている。 なんで、なんでオレは無力なんだ。 オレが剣士だったなら、あんなマンドラゴラ、すぐに切り裂けたのに オレがマジシャンだったなら、あんなモンスター、全て焼き尽くすのに オレがアコライトだったら、こんな傷、こんな傷あっという間に治して、治して…… とりとめもない空想ばかりが頭を行き交う。 現実では、オレは何も出来ないノービスだ。 「大丈夫です、きっと大丈夫です!」 もはやそれは彼女への励ましではなく、自分へ言い聞かせているだけでしかなかった。 「…………」 彼女は何も答えない。 「大丈……!」 感じない、いつからだ、気付かなかったのか、背中になんの反応もないことを。 気が動転したせいか、また派手に転んだ。 泥まみれになりながら、顔を上げると、彼女の体がそこにある。 這いながら進み、上体をあげ、彼女の胸に耳を当てる。 柔らかな感触があるが・・・それだけだった。 顔を見てみると、寝ているようにしか思えない。そう安らかな寝顔だ。 そっと口に手を当ててみる。風を感じない。 動かない。もう、彼女を構成している全てのものは動いていない。 今、目の前にあるのは騎士の形をした抜け殻なんだ。 まさか転職する前に、彼女との別れが来るとは思っていなかった。 あの後、最初に出会ったのは、応援に駆けつけた騎士団や冒険者集団ではなく あの人に助けられたアコライトだった。 一言お礼が言いたかったから、離れたところで待っていたそうだが いつまで経っても戻ってこないので、不安になって様子を見に来たらしい。 アコライトは何回もヒールをかけてくれた。 オレの怪我は治った。彼女の怪我も治った。でも、彼女が目を覚ますことはなかった。 アコライトの手も借りて、なんとか街に戻ったが 高位のプリーストでも、最早、彼女を蘇らせることは出来なかった。 騎士団に問い合わせた、彼女の名前を告げたが そんな騎士はいない、と言われた。 どうやら、彼女はここの騎士ではなかったらしい。 どこの誰なのか、結局の所よく分からなかった。 彼女の事を、名前だけしか知らなかった自分が恨めしかった。 そんなことで、墓場にも入れて貰えなかった。 騎士もプリーストも、用がすんだらそれ以上のことはしてくれなかった。 だが、あのアコライトは最後まで手伝ってくれた。 それだけが救いだった。 青ざめながらも、マンドラゴラの種子を取り除いてくれた時は何と言っていいか分からなかった。 オレはあの人と初めて出会ったあの小高い丘に行った。 そこに穴を掘り、墓石を置いた。 それと、安物だったけど、剣を買って十字架の代わりに立てた。 アコライトは泣いていた。それが少し嬉しかった。 あの人が救った命が涙を流してくれる。 あの人が救った命によって埋葬される。 それで少しでもあの人の行為が報われると思いたかった。 その後、オレはアコライトになった。 もしかしたら、あのアコライトの少女との出会いがきっかけだったのかもしれない。 或いは、あの時アコライトなら助けられたかもしれない。という空想から来ているのかもしれない。 そして、オレは今日もどこかで、狩りをしながら、癒しを必要としている人を捜している。