ピシュ、ピシュ、という空気を裂くような音が晴れ渡った空の下、石壁に囲まれた巨大な城の中庭に響く。 音の正体は矢を射る音だ。 そして矢を射ているのは、音も無く近付き侵入者に対しては容赦無く矢を打ち込む寡黙なスナイパー。 何も知らずにこの城に足を踏み入れてしまった初心者の冒険者がこの矢に心臓を射抜かれてしまった事件 は数知れず。 プロンテラ国王もゲフェン北西に位置するこの城には度々魔物の討伐隊を送っているのだが魔物 の掃討は遅々として進んでいない。 高レベルのモンスターや上級の悪魔、アンデット。 一説にはこの城には悪魔達が闊歩する世界、魔界や死後の世界に通じている穴があるという話しさえ 出てきている。 しかしそんなグラストヘイム古城であっても中庭となると小鳥のさえずる声すら聞こえてくる、 静かなものだ。 「ホーリーライト!」 そんな中庭に響く、私の声。 短めの詠唱を完了させて手を合わせ、ぐっと目を閉じ強く念じると十字の光が弓を引いていた悪魔を 切り裂いた。 何度目かの強い聖なる力を持つ光の一撃はついに無表情だったその悪魔を完全に浄化したようで、 ポンッという音を立てて無表情の仮面を消し去ると不気味な表が現れたが、まもなく崩れ落ちた。 「ふぅー・・・」 私は敵がもう動かない事を確認すると、ちっとも財布は潤わないとはいえ唯一と言っても いい収入―サイレンスアローを拾い上げた。 「私・・・弓なんて使えないですからね・・・」 こんなもの売れるかどうかも分からないし、収集品商人だって買い取ってくれない。 「はぁ・・・貧乏一直線です・・・」 憧れの先輩プリーストはいい防具をたくさん持っている。 それこそたくさんの人を助けるために自分の身を敵の攻撃に晒さなくてはならない事もあるのだから 皆に必要とされるいいプリーストになりたければそれなりの装備は持っていなくてはいけない。 いけないことは、分かっているのだけど・・・。 「私・・・1K以上のレアだした事無いですしね・・・」 レア運皆無。 それは厳然とそこに存在するルールであるかのように。 私に立ちはだかる。 「・・・」 せっかくこんな明るい場所にいるのにだんだん気持ちが暗く沈んでいってしまう。 やっぱりソロには向かないのかな・・・私。 でもDEXアコなんて臨時に行っても邪魔なだけ。 パーティでは前衛さんがカバーしてくれるんだからそれを癒すだけの魔法力がないとパーティプレイ はなりたたない。DEXアコ如きのホーリーライトがどう頑張ったってマジシャンやアーチャーの 殲滅力には敵いっこない。 かといって元来臆病なせいでアンデットや暗いダンジョンが苦手で、薄気味悪いアマツダンジョンや 死霊が蔓延るフェイヨンダンジョンにはどうしても一人では行きたくなかった。 「ここしかなかったんですもんね・・・」 先に魔法力ではなく技術力を伸ばす道を選らんだ事を後悔しながら彼女は緑の草原の上に正座で座り込んだ。 敵の気配には気を配りながらもボーッと周りを見まわしてみると少しは人通りもある。 突然目の前に現れて少しキョロキョロと周りを見まわしてまた数秒で消えてしまうような騎士もいた。 「羨ましい・・・臨時ですかね・・・」 私もいつかは他の人とパーティを組んで強い敵に挑めるようになるんだろうか、 などと考えながら空になった精神力が回復するのを待っていた。 と。 「・・・!!」 遠くから馬の鳴き声が聞こえた気がした。 耳を澄ます。 ――ン。 ―ヒーン。 馬の嘶く声。 深淵の騎士だ。 全身からどっと汗が噴き出した。 二次職が集まったパーティだって修練の浅いメンバーでは1匹の深淵の騎士にさえ敵わない事もあるという。 ニューマとホーリーライトをやっと習得したような駆け出しのアコライト一人では敵うはずの無い相手。 ガーゴイルと同じようにこのフィールドに出現するという話しは聞いていたのだが・・・。 ―ゴクリ。 石壁越しに伝わってくるとてつもないオーラ。 馬の鳴き声は気のせいかもしれないという考えは一気に吹っ飛び、 彼女は姿の見えない深淵の騎士の姿をはっきり捉えてしまった。 はっきり捉えてしまったが為に、動けない。 情報として得ていたものを明らかに越えたその気迫。壁越しの殺気。 聖職者、それもまだまだ駆け出しであると言う事がその静かな殺気に対する押しつぶされそうな ほどの恐怖に拍車を掛けていた。 自分がまだまだ未熟だからというのは分かっている。 蛇に睨まれた蛙と言うのこういう事を言うのだろうと彼女ははっきりと悟った。 「・・・・・逃げなきゃ!」 足がガクガクと震えてしまってその場に立ち尽くしてしまうところだった。 少ない持ち合わせしかない勇気を総動員して自らに速度増加をかけ、一目散にその場から逃げ出した。 ビレタの乗った赤色の長い髪の毛が乱れるのも気に掛けない。走った。 途中青い草が群生している場所を通ったが踏み潰した。走った。 ガーゴイルが自分の存在に気付いて矢を射て来たが避けた。走った。 走った。 走った。 走った。 ・・・疲れた。 深呼吸して 後ろを見る。 何もいなかった。 深淵の騎士も、馬の鳴き声も、殺気も、なにもなかった。 いっそ先ほどの戦慄は気のせいだったのではと思いそうなほど綺麗さっぱり無くなっていた。 「はぁ・・・はぁ・・・」 アコライトなのに、両膝をついて地面にへたり込む。 ここ、グラストヘイムの中庭に来て深淵の騎士にあったのは初めてだった。 会っても足は遅いから簡単に振り切れる。遠距離攻撃はないから平気。 そう聞いていたがまさか身体が震えて動けないなんて予想外だった。 「修行不足・・・ですね・・・」 やっと呼吸が整って来たところで正座に足を組み直し、精神力の回復にいそしんだ。 「ニューマ!ホーリーライト!」 声に合わせて緑色の靄のようなものが発生し、彼女を包む。 ガーゴイルの攻撃の如くをmissにし、自分は聖なる1撃を与える。 まさに必勝の布石。さきほどの深淵の騎士による恐怖も大分薄れて来ていたところ。 ガーゴイルがポンッと言う音を立てて倒れる。 先ほどの深淵の騎士は彼女にとって未来に向けて頑張ると言う目標を与えてくれた。 今は未熟だから倒せないが、いつか必ず頼れる仲間と倒しに来る、と。 砦を争うような高レベルの人間には馬鹿馬鹿しいかもしれないが、彼女にとっては大きな目標を立て 先ほどよりも一層悪魔狩りへの頑張りも増していた。 いつものようにサイレンスアローを拾おうと・・・かがんだ彼女の目に入ったいつもとは違うドロップアイテム。 アクセサリ・・・? 今までほとんどがサイレンスアロー一本。 よくてもジャルゴンや子悪魔の羽だったためガーゴイルが未鑑定のアクセサリをドロップする事さえ 知らなかった。 「えっと・・・拡大鏡ありましたっけ・・・」 戸惑いながらも道具袋を探してみるが、無い。 「困りました・・・そうだ、誰かに聞いてみましょうか」 彼女は知り合いが多いと言うわけではなかったのでほとんど迷わず先輩のプリーストに聞いてみる事にした。 『あの・・・すみません』 『ん?ウィズいれてくるなんて珍しいね。どうしたの?』 『あの、ガーゴイルがアクセサリというものを落としたんですが・・・これはなんなんでしょう?』 『おお!レアだよレア!君1K以上のものだしたことないんだろ?』 『本当ですか!?』 『うん。おめでとう!1Kどころか100K以上は固いとおもうよ!』 『え・・・?』 『ん?』 『』 『どうしたの?弓用の指貫だよ?』 『』 『』 『取り込み中かな?』 『』 それは突然の事だった。 初めてレアを出したと言う事に浮かれる彼女。 どういうわけかその目の前に突然出現した深淵の騎士。 『え・・・?』 何が起こったの?どうして目の前に深淵がいるの? 呆然とする彼女。 しかしそれとは対照的に、深淵の騎士は一瞬で彼女を侵入者―自分の敵だと認識し大剣を振り上げた。 巨馬が前足を浮かせ、それに合わせて騎士も剣を振りかぶる。 ぐしゃり。 思い切り体重の乗った重い、否。重過ぎる一撃。 反射的に差し出した盾を持っていた左手だったが、店売りのバックラーは粉々に砕け散り、 それを掴んでいた左腕がぐしゃりとひしゃげた。 そんなものでは勢いのとまらない大剣は振りぬかれ様彼女の腹部を深く切り裂いた。 「あ・・・うぁああ―げほっ・・!」 叫ぼうとして喉が血で満たされる。 叫びは当然飲み込まれ、吐き出された大量の血液で中庭の草地を汚した。 右腕で抑えた腹部からは、サラサラした血液とは違う感じのドロドロした液体が掌に纏わりついてきていた。 ほぼ確実に主要器官のいくつかが傷ついたことを意味する液体だ。 だがその場に崩れ落ちる事は確実な死を意味する。 膝をついてしまいそうになるのを何とかこらえ、真っ赤に染まった聖衣を振り乱して一目散に駆け出した。 一歩ごとに腹部と左腕に激痛が走る。速度増加はまだ掛かっているので走るのはいくらか速い。 しかしそれ以上に彼女の目は―薄くかすれて光を捉えていないことを示していた。 石段や崩れた外壁が数多く存在するグラストヘイムの中庭では、上手くそれを避けて歩かなければならない。 目が普通に見えているときは全く気にならなかったが―今の彼女にそれは絶望的だった。 2,3度躓いて転んだところで涙を流し、叫んだ。 「いやあああああ!!何も見えないよぉ!誰か助けてぇ!!」 人気の無い中庭に虚しく響く声。 背後からは馬の鳴き声が近付いてくる。 そして他にシャーシャーと金属をするような音・・・これはなんなのか分からない。 しかしこのままでは簡単に殺されてしまうのは確かだ。 「ぐ・・・ぐぅぅぅぅ!!」 激痛に耐えて血まみれの歯を食いしばって立ち上がり、自らにヒールをかける。 体力を回復し、痛みを取る代わりに肉体の修復を後回しにした。 ―これでまだ走れる 腹部からはみ出ようとする切り裂かれた臓腑を必死に折れていない方の腕で抑え、グシャグシャの左腕を引きずる。 痛みはヒールで取ったが、やはり動くたびに激痛が走る。 「痛いよぉ・・・お母さん・・・助けて・・・」 口からたれる血が顎で滴を作っているところに涙が混ざり零れる。 それでも必死に走った。 裂かれた腹部とグシャグシャの左腕を引きずっての必死の逃亡。決して速いとは言えなかったが 幸いにも速度増加の効果で深淵の騎士の移動速度よりはいくらか速かった。 馬の鳴き声は徐々に遠くに聞こえてくる。 見えてない両目を煩わしく思いつつも振り返って深淵の騎士のいた方向をみる。 「よかった・・・―――???」 それは彼女が安堵の呟きを漏らしたその時だった。 カカカッという音と共に何かが彼女に近付いて来たのだ。 そしてそれは 「え・・・?」 彼女を股下から一気に貫いた。 「え・・・え・・・嫌・・・」 それはまさに彼女地面に縫い付ける虫ピンだった。 違う点はといえばそれが地面から生えて来たと言う事だろうか。 グリムトゥース。 地面から鋭利な岩を突き出して敵を串刺しにする特技である。 「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」 彼女が首を少し回してみると、左肩口から見える鋭利な岩の先端。 必死に彼女は押しのけようとしたが、それは彼女の全身を貫いているのだ、動くはずなど無い。 むしろ自分で傷口を広げているのだがそれにも気付かないほど錯乱していた。 血に濡れた岩の先端は彼女の体内がグシャグシャになってしまった事を意味していた。 しかしそれでも尚自分の肉体の死をみとめていない死霊のように血まみれの聖職者がもぞもぞと岩に 貫かれた身体を動かしているのはとてつもなくグロテスクな光景だった。 「痛い・・・痛いよ・・・苦しいよ・・・誰か・・・助けて・・・」 肺に穴が空いたせいでマトモに喋れなくなってしまった彼女が、自分にしか分からない声で うわごとのように呟きながら一心不乱に右手で岩の先端を押しのけようと足掻く。 傷口は広がり、血は流れてもそこだけが唯一の助かる道であると信じているかのように、 彼女は呟きながら傷口を広げた。 右腕という押さえのなくなったズタズタの臓腑はずるりとはみ出しピチャピチャと赤い滴を垂らす。 貫かれた股間のせいか、内側から真っ赤になったロングスカートの下には失禁したかのような 水溜りができているがそれは赤色をしていた。 全身ズタボロで尚生き長らえる彼女。 もしもこの場でこの惨劇を観ている者がいたならば 止めを刺すべく大剣を振り上げた深淵の騎士は恐らく天の使いにさえみえただろう。 永遠に未鑑定の弓用の指貫が彼女のポケットで血に染まっていった。