薄暗い牢の中に一人の男が繋がれている。 男の右手は肘の先からは焼けただれた棒のようなものがあるのみだった。 その右手を除いて、男は鎖で牢の壁に繋がれている。 その顔には今は眠りにつく安らかな顔があるだけだったが、寝る前までは壮絶な怒りを顔全体に表していた。 その顔も拷問によって半分焼かれていて、茶色く変色した筋肉が醜く露出している。 瞼も焼ききられた為、焼かれた右半分にある目だけは閉ざされず、眠りについている今は虚ろにどこかに向けられていた。 これほどのひどい仕打ちを受けたからにはさぞかし重い罪で逮捕されたということなのだが、彼自体は無罪なのである。 たまたま現場の近くに居たということだけで、目撃者が居り、そのせいで現在のような境遇に追いやられているのだ。 ちなみに彼の公式な罪名は「強盗殺人罪」。ここミッドガルド王国では間違い無く死刑に処される罪である。 首都プロンテラ郊外の一軒家で、後に近年まれに見る凄惨な事件とされたブラウン一家強盗殺人事件は夕日が大分沈みかけていた夕方六時頃に起こった。 ブラウン宅に押し入った強盗は、食事中だったブラウン一家に次々と凶刃を振るい一家全員を殺害し、そして犯人は金目の物を全て奪い逃走。 その時丁度冒険帰りで、モンスターの返り血塗れだったローグのシモンがブラウン宅近くを通ったのを通行人に目撃され、それが決め手となり、 シモンは事件が起こった三時間程後に衛兵によって捕縛された。 シモンは当初から容疑を否定しており、自白を得る為に行った拷問にも頑として容疑を否定。 右腕を焼きゴテで焼き尽くされ、顔の右半分も同様にして焼かれたものの自白が引き出せないのと、彼の命が危ういと判断した警察署長が拷問を中断させ、 シモンは牢に入れられて現在に至っている。 牢に繋がれた当初は彼は歯をむき出しにして、「俺は無罪だー!!」と繰り返し叫んでいたが、疲労によりしばらくすると寝入った。 ローグギルドでは、ローグにはシーフ時代から合法スレスレの冒険を行う者も多く、それによってローグ達が警察に捕縛されることもしばしばあったため、 縄抜けや鍵破りの方法もいくつか教えられている。また自力でより優れた技能を会得する者もある程度は居る。 特に冤罪で捕まったりした場合は、脱獄した後にローグギルドにそのことを報告すれば、ギルド員によってその真犯人が突き止められるということは しばしば起こっていた。 シモンもそういった技術とアテを頼りに、しばらく寝入った後で脱獄したのだった。 ブラウン一家強盗殺人事件は、このことが公になって市民の動揺を誘うことを嫌った国王によって未だ事件が起こったことは報道されていなかった。 それにシモンが脱獄したのは真夜中であったため、彼の逃走を知った警察当局が捜索を行ってはいたが、夜の闇に紛れることはアサシンには及ばないものの、 それでも一般の警官や衛兵の目をごまかすことは容易であり、彼は易々と自分の知り合いのブラックスミスの家の門を叩いていた。 夜中にも関わらず家主は戸が叩かれる音にすぐ目覚め、そして覗き窓から音の主を見た。 シモンは彼を驚かせないように左半身だけを覗き窓から見えるようにしていたので、彼の右顔はそのブラックスミスには見られていなかった。 横顔で覗き窓の前に立つ古い友人を見て、ブラックスミスは少々訝ったのだがそれでも旧知の仲とあってすぐに戸を開いた。 そして入ってきた人物のあまりの変容に驚いていた。 そしてシモンもそのブラックスミスの変容に驚きを隠さなかった。 「おいシモン!お前一体どうしたんだ!」 「お前こそ何で両手が義手になってるんだよシロッコ!」 両手が金属製になっているシロッコは物悲しそうに言った。 「あぁ、ちょっと色々とあってな・・・。積もる話もあるだろうしまぁ上がれ。」 そう言われてシモンは素直に彼の家の中へと入って行った。 「少し待っててくれ、茶でも出すから。」 彼はそう言うと家の奥へと入っていった。 シモンは適当にあった椅子に座り、家の中を何となく眺めた。 シロッコの部屋の壁にはかつて彼がまだ義手を持たなかった頃に作られたであろう種々の武器が飾られていた。 それらの武器はかつての彼の腕前を示すかのように頑強でまた優美な作りになっている。 ふと目に入ったベッドを見て、それが二つあることにシモンは気づいた。 片方のベッドにはまだ寝ている者がいるのだろうか掛け布団が膨らんでいた。 (ははぁん・・・。ヤツにもいい人ができたのか・・・。) 自分の現在の状況と比較してシモンは少し物悲しくなった。 しばらくしてシロッコが茶を持ってきた。 出された茶をすすりながらシモンはシロッコにどうしてそのような義手を持つ羽目になったのかを尋ねた。 彼は重い口調で途切れ途切れながら彼の身に起こったことを簡単に説明した。 自分達のギルドの所有する砦が陥落し、そして自分は両手を負傷して二度と武器の作れない身になってしまったこと。 ギルドは陥落をきっかけに解散し、自分は冒険者を辞めて、ブラックスミスギルドに勤務していること。 そして同居人がシモンも知るアルケミストのセーラだということ。セーラも冒険者を引退して今は一緒に暮らしているということ。 「成る程、何だかんだ言ってよろしくやってるワケか。」 「まぁな。色々あったが俺は今幸せに暮らしてるよ。じゃぁ次はお前がどうしてそんな風になったか説明してくれ。」 シモンはそれまでの経緯を簡潔に説明した。 そして自分がローグギルドへこのことを告げ、真犯人を突き止めようとしていることも話した。 「なるほどなぁ・・・。お前も色々大変だったんだなぁ・・・。」 遠くを見るような目つきでシロッコが言った。 「まぁな。で、一つお前に頼みがあるんだ。」 「ん?何だ?俺にできることならできるだけのことはするが。」 「あぁ。すまないんだが武器を一つと、後狂気ポーションを少し貸してもらえまいか?逮捕された後に荷物を全部没収されてて、 ローグギルドに行く途中でモンスターに会ったらとてもじゃないが対処できないからな。」 「なるほど。まぁ俺の用意できるモンでよければ何でも持って行って構わない。もう俺には不要の品だからな。」 「じゃぁダマスカス辺りと狂気ポーションを借りることにするよ。お礼は必ずする。」 「気にするなよ。冒険者にはもう戻れないがそれでも生活には困ってないからな。」 「悪いな。」 「いいってモンよ。」 そう言うとシロッコは壁からダマスカスを取ってきた。中に炎の力のこもった石を混ぜたファイアダマスカス。 今まで一度も何も斬っていないかのようにその刃は赤く光り輝いていた。 そして赤い液体の詰まった瓶を何本か手渡す。 「しかし・・・。」 シロッコは怪訝そうにシモンに尋ねる 「ん?」 「いや、右手が使えない状態で武器を渡してもどうかなぁ、って思っただけだ。アサシンと違ってローグってのは両手で武器を振るう訓練は受けてないだろう?」 「まぁな。だが左手でも大丈夫だろう。」 「なるほど。まぁ、疲れてるだろうし今日は遅いから泊まっていけよ。寝てる間に密告なんてことはしないしな。」 「いや、気持ちはありがたいんだがお尋ね者を泊めるワケにもいかないだろうし、第一俺は時間が惜しい。闇に紛れてさっさとこの街を出る積もりだ。 色々と悪かったな。俺はもう行くよ。」 「ちょっと待て。ついでだがコレも持って行け。その顔で街を出歩くわけにもいかんだろう。」 そう言うと彼は鉄で出来た仮面を持ってきた。とある劇で醜い顔をした主人公が素顔を隠すために用いたとされる仮面だ。 「ありがとうよ。」 そう言うとシモンは家から出ていった。 「行っちまったか・・・。」 シモンの出て行ったドアをシロッコはしばらく感慨深げに眺めていた。 膨らんでいるベッドの方からかすかに声がした。 「あ゙・・・ゔぁ゙・・・。」 「あ、起きちまったのか。昼まで寝てると思ってたが・・・。」 シロッコは困ったような顔をして声の元へと向かった。 そこには虚ろな目をしたセーラが何かにおびえるような顔をして起き上がっていた。 「あ゙ぁ゙・・・。」 「大丈夫、今来てたのはお前も知ってるシモンだよ。それにもう帰ったから安心して寝てなさい。」 というと彼は優しく彼女を抱きしめた。 それに安心してかセーラはすぐに寝入った。 彼女の立てる寝息に釣られてか彼は大きなあくびをし、そしてベッドに入った。その寝顔は幸せそのものだった。 シモンは闇に紛れて今閉ざされた西門の近くに潜んでいる。 門には脱走の知らせを受けて警備兵が検問もとい防衛線を張っている。 (見たところ五人か・・・。) 城門の前に居る五人の兵は全て全身を鎧で固め、歩兵用の槍を装備している。 シモンが正面から出て行ったのでは間違いなく串刺しになるであろう厳重な警備体制だった。 (しかしここを抜けないと出れないからなぁ・・・。) シモンは狂気ポーションを飲んだ後しばし考え、そして気配を消して兵に忍び寄った。 城門にはたいまつが設置されているがその死角を突いてシモンは兵の後ろ側へと立つ。 そして姿を現し、一人の兵の鎧の継ぎ目を狙ってダマスカスを突き立てる。 「ぐはっ!」 うめき声を立ててその兵は倒れ、他の四人の兵が一斉に振り返る。 その時にはすでにシモンの姿は無い。 「どこだ!探せ!」 槍を持った兵達が右往左往しているが彼らの視界には入らないところにシモンは隠れていた。 彼はたいまつを手に取り、そしてそれをたまたまたいまつの方へ向いた兵に投げつける。 「ぎゃぁ!」 燃え盛るたいまつを顔面からまともに食らった兵は顔を抱えて倒れこんだ。視界を得るために兜を開いていたのが彼女の不運だった。 「向こうか!」 悲鳴に気づいた残り三人の兵が倒れこんだ兵に駆け寄る。そして一人が倒れこんだ兵に声をかける。 「大丈夫か!?」 彼女の顔はたいまつの炎と、たいまつに塗られていた油によって完全に焼かれていた。 「あ゙づい゙よ゙ぉぉぉぉ!」 「わっ!」 一人の兵が顔を焼かれパニックに陥った兵に体を抱かれ動けない状態になった。 彼女にシモンは鎧の開いている所からダマスカスを刺しこみ、すかさず落ちていた槍を拾い上げ、もう一人の兵に突き立てる。 視界が無いと警備のしようが無いためこの兵も兜を開けていたのだがそこに槍が突き刺さる。 彼女も槍を食べるような感じに延髄に槍が刺さりあっけなく絶命した。 最後に残った兵は増援を要請しようと騎士団に走る。がシモンはすぐに追いつき、彼女を背中から抱きかかえ、そして路上に押し倒し、首を締め上げる。 「ぐぅぅぅぅぅぅ。」 彼女は必死に自分の首を絞める手を離そうとする。しかしどうしても手は離れず、槍を持っていた右手は足で押さえられて槍で刺すこともできなかった。 そしてシモンの手がひねられると、グギンという音とともに最後の兵も絶命した。 兵を全て始末し終えたシモンは城門へ向かい、閂を抜いて城門を開き、そしてプロンテラから脱出した。 顔を焼かれた兵はしばらくして正気に戻り、同僚の鎧に写った自分の顔を見て絶句した。 (・・・・・・・・・・・・。) 落ちていたたいまつの光で否が応にもくっきりと移された己の顔をしばらく凝視した後、落ちていた槍で自らの喉笛を突いて死んだ。 プロンテラで指名手配犯が脱走し衛兵五人が殺された事件が起こった十日後、仮面を装備した一人のローグがローグギルドへ入っていった。