消毒液の臭い、モルタルの白い壁、人間臭さの欠片もない同じような部屋が延々と続く廊下。 ここはとあるアルケミストが研究用に借りている小部屋がある棟。 アルケミストギルドの建設した研究所の一角の、北向きの陰気な小部屋。 ここでは主にアシッドボトルの改善、戦闘用途以外での使用を目指した研究が行われている。 滅多なことではアルケミストギルド関係者も訪れないこの実験室に、一人の女プリーストが訪れた。 女の名はレイラ。昔この研究室の主であるアルケミストがまだ冒険者だった頃に彼のギルドのマスターをやっていた人物である。 彼女は一瞬ためらいながらも、その研究室のドアを開けた。 ドアを開けると強烈な酸の臭いが彼女を襲った。 「珍しいですね?どちら様です?」 中から穏やかな男の声が響く。 「お久しぶりね。」 「その声は・・・。」 アルケミストは驚いた様子で今まで居た場所から飛び上がり、そしてドアの方へ向かっていった。 そこには一年前に絶縁したはずのプリーストが立っていたのだ。 「驚きましたね。一体どういったご用件です?」 「あら、久々の再開なのに冷たいわね。懐かしいとかそういうことは言えないのかしらワトソン?」 「それは失礼しました。ずいぶんと久しいので驚いてしまったのですよレイラさん。お茶でも出しますんで前の部屋に行ってて下さい。」 と言うと彼は実験室の流しへ手を洗いに行った。 レイラは彼の言う通りに実験室を出、その前にある部屋へと入った。 簡素なテーブルとソファのあるこじんまりとした部屋で、部屋の両側にある書架には分厚い本や論文で埋め尽くされている。 その数にしばし圧倒されたかのように見入っている間にワトソンが茶を持ってやって来た。 「どうぞ。」 と言うと彼はお茶の入ったカップを彼女に差し出した。そして、 「で、今日来られた用件を伺いますが、一体どうしたんですか?」 と尋ねた。 「突然で悪いんだけど、またウチのギルドに戻ってもらえないかしら?前のことは悪かったって思ってるわ。」 彼女は言葉とは裏腹に全く悪びれた顔をせずに言った。 「あなたが出て行ってからあなたの存在の大きさに気づいたのよ、恥ずかしい話だけどね。」 「勿論タダとは言わないわ。ここでの待遇よりももっといい条件で来てもらうわよ。あんな狭っ苦しい実験室じゃなくてもっと広くて使いやすい 部屋も提供するし、研究費だって全額こっちで持つわよ。」 「何ならウチのギルドの幹部待遇で迎えてもいいわよ。好きなことをできてしかも高給、こんないい条件は無いんじゃない?」 彼女は次々とまくしたてた。彼はそれを黙って聞いていたが、彼女が全部言い終わると口を開いた。 「ふむ・・・。大体用件は飲み込めました。ところで・・・。」 「何?」 レイラは怪訝そうに聞き返す。 「そろそろ貴方の身体が痺れて動けなくなると思いますんで言いたいことがあれば今のうちにどうぞ。」 「!?・・・」 彼が言い終わるのと同時にレイラは目を剥いてソファに深く倒れこんだ。 目が覚めると彼女は猿轡をかけられ、縄できつくしばられたまま水槽の中にいた。 「お目覚めですかね?」 「ふぐぐぐぐぐっぐ!!!!!」 レイラは必死に縄を解こうとするが全くほどけず、猿轡も外れる気配が無い。 「どうしてこんなことになってるんだって顔をしてますね。まぁしばらく時間を取りますんでゆっくり聞いて下さい。」 「ふぐごごごっ!」 「今でも貴方が最後に言った言葉をよく覚えていますよ。「役立たずには用は無いわよ」。」 「ふぅぅぅぅん!ふぅぅぅぅん!」 「まぁ私は確かにあまり戦闘にも向かわず、かといってあまり役に立てないモノばかり作ってましたしね。」 「ふぅぅぅぅぅぅん!」 「でも、あの言葉は今でも目をつぶると耳元でジャンジャン鳴る銅鑼のように響くんですよ。」 「うぐぐぅぅ。ふぐぐぅぅ!」 「それでまぁ、幸いアルケミストギルドで研究者を募集していて、飢え死にせずに済みましたし、何かしらの結果を出すことができました。」 「ふぅぅぅぅぅ!」 「で、貴方は私が結果を出した途端にのこのことまた戻ってこい、だ何ておっしゃるワケですよ。中々笑える話じゃぁないですか。」 「ふぅぅぅぅぅぅん!」 「まぁ用件を聞く前から貴方が私を呼び戻そうとしてるってのは薄々勘づいてましたしね。」 「うぅぅぅぅぅ。」 「で、こうしてわざわざ痺れ薬を飲ませてこんな水槽に放り込まれてる理由を知りたいでしょう?」 「ふぅぅぅぅぅ!」 「貴方にも私が役に立つということを身をもって教えて差し上げましょうってコトですよ。この水槽はまた別の水槽に繋がってましてね、 そこには私が開発した医療用の溶解酸がタップリと入ってるんですよ。肢切断はのこぎりだとどうしても時間がかかるんでその代用品です。 骨だってきれいさっぱり溶けますよ。」 「ふぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!ふんふも゙ふふふぁふぁふふふぇふぇ!」 「いえいえ。何をおっしゃってるか分かりませんが、ささやかな意趣返しです。」 「ふひぃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 言い終わるとワトソンは水槽の横のレバーを思い切り引っ張った。 水槽に緑色の液体がどんどんと流れ込み、その液体が触れた箇所から白い煙がもくもくと立つ。 「ふふぃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁ!」 大声を上げているらしいレイラは身もだえして何とかして液体を避けようとするが狭い水槽でいくら避けても容赦なく液体が彼女に迫ってくる。 「あ、そうそうついでですけどね、私貴方のことが好きだったんですよ。それで貴方のギルドに入って役立とうとしたんですがね、 貴方は振り向きさえもしてくれませんでした。」 「ふぅふん!ふぃふぁふぁふぁふぇふぉふぁふぁふぁふぉふぁふぃふぃふぇふぁふぇふふぁふぁふぁふぃふぇ!!!!!!」 「いえいえ、もう遅いんですよ。手の届かない花は折ってしまうしか無いですからね。」 「ふふぃふぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」 彼女の必死の叫びとは裏腹にどんどん液体が水槽に溜まっていき、その度に彼女の身体は跡形も無く消え去っていく。 その様子をワトソンはじっくり眺めながら時々ノートに筆を走らせる。 そこには溶解部位が一定時間ごとに記入されていた。 「ふぁふふぇふぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」 最初溶けていた場所は足先だけだったが、それがふくらはぎ、太ももへとだんだんと無くなっていく。 それを真剣にワトソンは眺めている。 下半身が全て溶けきりそうな時に、 「ふぁふふぇふぇ・・・・。」 の声を最後に彼女は一切音を立てなくなった。そしてどんどんと死体が消滅して行く。 最後に髪の毛の一本がわずかに残ったがそれも一瞬で溶けて、水槽には薄緑の液体しか残っていなかった。 それを記録すると静かに彼は水槽に中和剤を入れ、廃棄できるようにしてから水槽のバルブを解放し、中身をいくつかのタンク流し込んで、 それらに「廃液」と書かれたラベルを貼って部屋から出て行った。