「ねぇ・・・図々しいとは思うんだけどさ、ギルドに戻ってきてくれない?」 人だった彼女の顔が、その時から豚にしか見えなくなった。 お前はいつだってそう 猫なで声で近付いて いらなくなったらすぐ捨てる 我侭な豚のお姫様 豚は豚らしく 動物らしくしていればいい なのにこの雌豚ときたらどこか高圧的で 僕よりもどこか偉そうで 気に入らないのだ わからせてやる お前の立場を  ぼふっ、と、クッションを思いきり叩いたような篭った音と同時にフラスコから奇妙な色の気体が噴き出す。 フラスコの中の薬品が反応を起こし強烈な臭気を発散、臭い部屋に充満する。 まともに嗅ぐと鼻が曲がるどころでは済まない、出来るだけ鼻で呼吸しない様にしながらフラスコから薬瓶へ移し変え、蓋を締める。 「・・・後は、実験だけか」 そのまま薬品をよく振り、狭い自分の部屋の片隅に放り投げる。 瓶が割れ、中の特殊な液体がフローラをその場へと一瞬で生やす。 それは普通のアルケミストが使うようなプラントボトルと違い、自分独自の改良を加え特殊なフローラを呼び出す事が出来る・・・物の試作品だ。 「成功・・・のようですねぇ」 笑みを浮かべ・・・たいところなのだが、どうしても引き攣った笑顔になってしまう。 まぁそれも仕方のない事だ。 何せこのフローラ、どこが特殊かってその強烈な臭いだ。 ジャングルに生えているラフレシアをヒントに、GvGの際に使えるだろうかと思い作った物なのだが・・・ 「ちょっと強烈過ぎて・・・味方にも影響がでますね、これ」 役には立たなそうだ。 とりあえずフローラを始末して臭いの発生源を断ち、材料の配分や効果を事細かにメモする。 次に研究するのは部屋に染みついた臭いを消す消臭剤になりそうだ。  きつい臭いが薬の完成を待たずして部屋から消えた頃。 途中までしていた研究を放り出すわけにもいかず、未だに消臭効果の高い薬品の材料を探していた僕の元にギルドマスターのプリーストさんがやってきた。 「なに、また妙な薬作ってるの・・・?」 「えぇ、前回の薬品の実験の際に消臭剤が必要だと思いましてね」 「そんな臭い薬作るんじゃないわよ、臭い薬が売れるわけないでしょ?」 売れるわけない、か。 この人は会う度お金の話をする。 なにか作ったら売れない、もっと売れる物を作れ、そればかりだ。 以前作った薬が売れたからって、そう何度も良い物が作れるわけがない、出来たら苦労しない。 でもそれをわからない彼女はすっかり欲に溺れちゃって、変わってしまったな。 ・・・ギルドに入った当時は、こんな人ではなかったんだけど。 「それと、あなた今月のギルドへの上納経験値少な過ぎよ。  私が早く砦を取りたいの知ってるでしょう?どうせ大した戦力にならないんだから、そっちでくらい貢献しなさいよね」 「あはは、僕は狩りは苦手でして・・・」 「あぁそう・・・まぁ、いいわ。また来るから、ギルドの資金稼げるような新薬開発しておいてね」 「精一杯努力させていただきます」 少し呆れた顔をした後、彼女は溜息を一つついて出ていった。 さて・・・努力するとは言ったものの、今僕が作れそうな新薬で売れそうな物はない。 少なくとも、消臭剤は売れないだろうな。  「ふぅん・・・そのアシッドボトルがねぇ」 「えぇ、これは自信作なんですよ」 苦労の末、なんとか完成させた改良型のアシッドボトルを彼女に披露する。 従来の物よりかなり強力で、薄い鎧なら一瞬で穴が空くほどだ。 「カビの粉の発する毒素に酸性を強くする成分が含まれてる事がわかりまして、ギリギリまでいれてみたんです。  いれ過ぎると毒素の方まで強くなって使う際危険なのでやめましたが、それを克服するための物も見付かりましてね、それが少し高価なんですが・・・」 とにかく自信があった、売り文句を並べ立てどれだけ苦労したかを説明する。 口は止まることなく自分の苦労と薬の素晴らしさを喋り続けた。 褒め言葉が欲しかったのかもしれない、労いの言葉が欲しかったのかもしれない。 だが彼女が言ったのは褒め言葉でも労いの言葉でもなかった。 「売れそうではあるけどね」 それ、儲かるの? その一言で、僕の長いお喋りは全て無意味になってしまった。 そう、すっかりそれを忘れていたのだ。 売れるためには良い物をと思い研究する余りコストの方に目を向けていなかった。 正直な所、一本作るのに金がかかりすぎる。 実際研究にかかったお金だけでかなりの額になっている。 どうしよう、高額でも売れるとか言うべきだろうか、だがそこまで高い効果を発揮するか? 実戦でテストしないとそんな事はわからない、だがテストするためにはそれだけで高い費用がかかるし・・・ 「ふん、その沈黙が返答みたいね」 「すいません・・・」 全く、本末転倒じゃないか。 やれやれ、次はどうしたものだろうか。 「はぁ・・・あなた、もういらないわ」 「・・・は?いらない、ですか?」 それは、もしかして除名という事だろうか? 「上納しない、お金も稼がない、新薬開発も駄目、ギルドに置いておく意味がないもの。  今日限りでさよならよ、それじゃあね」 「え、あの・・・はい・・・さようなら」 間抜けな返事をする事しか出来ず、僕は出ていく彼女の背中をただただ呆然と見送った。 そうか・・・除名か。 僕はギルドにいらない・・・確かに、そうかもしれないな。 研究室に一人で篭っているのが僕にはお似合いなのだろう。 今考えてみれば、ギルドに入っていた時だってそうだった。 なんだ、という事はこれからも全然変わりはないじゃないか。 何も心配だとか、そういう事をする必要はないんだ。 夢なんて、見なければ良かった。  錬金術師達の開いた学会で、製薬の材料等に関する新たな発見が報告された。 結果、今までとは比べ物にならない程製薬の技術は進歩、より良い薬品を手軽に作れるようになり、アルケミスト達の立場は大きく向上した。 僕も随分と研究が楽になり、以前作ったアシッドボトルも随分ローコストになった。 ・・・今は、それを作ったあの頃と違い、他人急かされる事もないためゆっくりと研究出来る。 科学者肌の自分にはやっぱり、一人でいる方が良かったのだろう。 そういう意味では彼女に感謝している、多少辛辣な事は言われたがまぁいい。 あんな私利私欲のために誰かに命令するだけの女とは縁を切って正解だった。 本当はどこかで後悔している自分がいる それが嫌で 自分に言い聞かせるように 何度も何度も同じ事を考える 「縁を切って良かった」 「一人の方が性に合っている」 だけど 本当にそうか? 久しく叩かれる事のなかったドアを叩く音が僕の意識を急速に現実に引き戻した。 彼女だった。  「久しぶりね、新薬の方はどう?」 「・・・えぇ、順調ですよ」 「元気ないわね、大丈夫?」 彼女が自分の額と僕の額を重ねる。 彼女の綺麗な顔が至近距離まできて、戸惑う。 「熱はないみたいね、じゃあ大丈夫でしょ」 明るく笑う彼女、まるで初めて会った時のように。 「あ・・・ごめんね、今の近付き過ぎたわ」 少し照れたような笑みを浮かべる彼女。 「それにしても、散らかり具合も相変わらずね。  まぁでも、研究者ならこれくらい当たり前なのかしら?」 「い、いえ、僕がちょっとだらしないだけで・・・お恥ずかしい」 「だめよ、ちゃんと片付けなきゃ・・・ね?」 こうしていると二年前、彼女と初めて会った頃を思い出す。 あの頃は二人ともまだ弱くて、何も知らなくて。 彼女が優しくて、明るくて、可愛くて。 「ところで、話があるのだけど・・・いいかしら?」 一瞬時が止まった。 何故だろうか。 とてつもなく嫌な予感がした。 「ギルドに戻ってきてくれない?」 またそうやって手の平を返す。 戻ってこないか そう言ったその顔は、僕が大嫌いなあいつの顔 彼女の顔した雌豚の顔 彼女は死んで豚が生まれ 豚は僕が嫌いなあいつで 豚が今彼女を殺して豚が彼女になって彼女が豚で 好きで嫌いで豚で死んで生きてて殺されてあいつが彼女の豚の違う違う違う違う違う違う 何かが 弾けて  壊れた  「あの時は酷い事言ってごめんなさい・・・でもね、あの時の私どうかしてたの」 「あなたの力が必要なの、ね?お願い、戻ってきてよ・・・」 やめろやめろやめろやめろやめろやめろ。 五月蝿いな、黙ってろよ、醜いお前が何か言う度に僕は寒気がして頭痛がして吐き気がして 気持ち悪い、鬱陶しい、消えろ、消えてしまえ、苛々するんだ、豚は豚らしくしていればいいのに 怒りが込み上げる。 「・・・その・・・なんだったら・・・一度だけなら、いいから、ね?」 「何が・・・いいんだ?」 「えっ」 豚が抵抗する前に首を掴んで締め上げる。 「かっ・・・はっ・・・!!」 「いいか?お前は動物なんだよ、僕・・・いや、人間様と同じように振舞っちゃいけないんだよ」 「な・・・にを・・・いってっ・・・?」 「まだ人の言葉を喋る・・・!」 より強く締める。 「っ・・・!!」 豚が口を金魚みたいに開閉させながらもがく。 しばらくそのまま締めていると段々と動きが弱弱しくなり、ついにピクリとも動かなくなった。 手を離して床に転がす、身体をヒクヒクと痙攣させ目は白目を向き口から泡を噴いている、醜い。 だが呼吸が止まってすぐ手を離したので、放っておくとまた起きるだろう。 また僕の気分を悪くするだろう。 なら始末すればいい、だがただ始末するのでは勿体無い気がする。 動物・・・そうだな、動物なら、実験に使ってやれば有効利用できるな。 幸いな事にこの豚のサイズはほぼ人と同じだ、いい結果が出せる。  「う・・・ん?え、ちょっと、何よこれ!?」 豚が目を覚ました、セッティングは出来ているが五月蝿いのが嫌なのでもう少し寝ていて欲しかったが。 「何で私吊るされてるのよ!?ちょっと、やめてよ!下の薬は何!?ねぇ、離しなさいってばぁ!!」 前回のは酸の強さのみにこだわり過ぎて酸が効かない物に全く効果がなかったから今回は 「嘘でしょ!?嫌っ、ねぇやめてよ、お願いっ、許して!前の事はちゃんと謝るから!ね!?」 人に使用する際に一体どの程度で死に至るのか実際人体へのダメージはどの程度なのか 「嫌っ、嫌よっ!ねぇお願い、脅かすのはこのくらいにして、ね?だからもうやめてよぉぉ」 次の研究に繋がる結果が出ると良いのだけどまともな実験はこれがはじめてだから少々難しいかもしれない 「これからの研究資金、私が全額負担するから!あなたが満足するまで私の事抱いてもいいから!!」 「うるさい、黙ってろ」 実験、スタート。 「嫌ぁぁぁぁぁぁ!!!!」 豚が、落ちた。  「熱っ、熱いぃ!ひっ、ヒール!・・・なんでっ、ヒールがきかなっ、あぎゃぁぁぁぁ!!」 大量に付着した部分には回復呪文の再生速度より溶解の速度の方が速いらしい。 「うぁっ!わ、私の脚っ、脚がっ、ひぎゃぁぁぁぁぁ!!」 更に少しずつ降ろしていくと音を立てて溶けていく豚の後ろ足、蒸気が立ち上るが・・・それがかなり臭う。 臭い物には慣れてはいるが、気分の良い物ではないので以前作った消臭剤を使う。 こんな所で消臭剤が使えるので、研究者にとっては意外と便利な物だなと思う。 「あっ、あぁぁぁあああああああああ!!!!」 一際大きな鳴き声、ふと見ると人の女性なら子宮がある辺りまで溶けてなくなっていた。 「あっ、あぅぁあぁぁ・・・」 急速に鳴き声が弱まる、豚もあの辺りに大事な器官があるのだろうか? それとも生命力そのものの問題か・・・まぁ、もう下半身丸ごとなくなってしまっているのだからそっちだろう。 だが弱っていても別に気にする事はない、気にせず降ろす。 「・・・」 鳴き声がなくなった、死んだのだろうか? 丁度人で言う胸部に達した辺りまでなくなった時、豚から完璧に動きがなくなった。 やはり酸で下半身丸ごと溶解しても直後は生きているらしい、実際は実験のように水槽につけれるわけでもない。 溶解の速度は申し分ないが、実際に対人で使用するにはかなり量を調整せねばならない。 今日は寝ずに計算して適正の量を算出しなければ。 残るは後片付けだ、用のなくなった豚の死体を片付けるとする。 豚だと思っていた死体は、僕が密かに想いを寄せていた彼女の死体になっていた。  「ねぇ、あなた何になるの?」 そう問われた。 冒険者を志す者達が必ず一度は行く場所、初心者修練場。 そこで、彼女と僕は出会った。 「僕は錬金術師です、人の役に立つ薬が作りたくって・・・」 「そうなの・・・」 しばしの沈黙の後、彼女は決意を秘めた強い瞳で 「私も、人の役に立ちたい・・・だから聖職者になって、皆を助けるの」 と言って、眩しい笑顔を浮かべた。 その笑顔に僕は虜にされた。 「・・・あなたなら、絶対なれますよ」 その彼女にギルドに誘われたのは、それから一年後の事だった。 いつか見た夢を叶えるチャンスだと思った。 彼女と二人で幸せになる夢。 同じギルドならいつかはチャンスが来ると思っていた。 だが夢は儚く・・・ついに彼女は、チャンスが来る間も無く死んだ。  「生きてますか?」 彼女の返事はない。 「蘇生、出来るだろうか・・・」 イグドラシルの葉を使うが、葉は彼女を蘇生させる事なく枯れて散った。 「・・・」 彼女は死んだ。 誰が殺した。 豚だ。 豚が彼女を殺したんだ。 でも、彼女は豚なんだ。 豚を殺したのは僕で。 彼女が豚だから、僕が彼女を殺した? ・・・ ・・・ ・・・ あぁ、なんだ。 やっと頭の中がすっきりした・・・。 そう、僕はただ愛していた彼女の本当の姿を認めることが出来なかっただけで。 僕の心の中にしかいない理想の彼女を守るために。 本当の彼女を豚に仕立て上げて殺したんだ。 何故さっきまで僕はそんなに怒っていたのか、今ではそれが理解出来ない。 その怒りが、愛した彼女を殺したと言うのにだ。 ・・・でも、何故だろう。 悲しみはこれっぽっちもこみ上げてこなかった。 恐らく僕の気持ちは既に、次の実験に移っているのだろう。 今の結果から、更に次のステップへ・・・準備に取りかからねば。 その前に、興味のなくなった彼女に向けて最後に 「さようなら・・・いつか愛した人よ」 とだけ言い、僕はその遺体を酸の中に放りこんだ。 涙が一粒だけ酸の海に落ちていたが、僕はそれに気付かなかった。