暗殺者…殺す為に生まれ、それのみに生涯を捧げる職業。 それは決して表に出る事の無い、だが確かに存在する影の中の影。 時に一部の者が冒険者として表の世界に出る事もある。 だが、それはあくまで表層部分、闇の深部はどれほどの時が過ぎようとも表舞台には現れない。 その影の中に足を進める一人の女がいた。 彼女の名はエティル。 幼馴染の盗賊の男に恋する、ただの少女。 彼は自分より年下で、でも自分より強さを持っていた。 目的を持ちそれに向って真っ直ぐ走っており、エティルはそれを側にいて支えていきたいと思っていた。 故に彼女も力を求めた。 ただ彼に追いつきたいが為に盗賊として一人立ちし、彼の側にいたいが為に非情な心を持って暗殺者の門を叩いた。 暗殺者の道がどこに向っていたかは当時の彼女にはわからなかった。 だが、彼の為に、彼を見習って彼女はひたすらに走りつづけた。 その道は想像したよりずっと険しかった。 力を得る為には何かを捨てねばならず、エティルは何度も諦めかけた。 だが、彼女は彼に追いつくが為に捨てられる物は躊躇無く捨てていった。 自分の身を影に堕とし、余計な感情を封じこめ、ただ好きと言う気持ちのみを心に残して走りつづけた。 彼を振り向かせたい一心で暗殺の技術を磨き、ようやく一人前の暗殺者としての技術を身につけたのだ。 ------------------------------------------ 首都プロンテラにある宿の2階。 中級の冒険者が泊まるような宿で、ベッドと小さな机そして椅子が備えつけられている。 部屋の広さは人一人が十分に生活できる程度だろうか、机の上には木枠で作られた窓があった。 その窓は開け放たれ、月の光が部屋にさしこんでいる。 柔らかな光に照らされた部屋。 だが、そこは壁一面が赤く染め上げられ不器用な絵画のような装丁になっていた。 まず、ベッドの上には少年のような容貌をした魔術師の制服を着た男が倒れていた。 両腕は部屋の隅に転がっており、口の所は元は白かったであろう布で縛られている。 その横には彼の舌であったろう物が転がっていた。 そしてシーツは男の肩口から出た血で赤黒く染め抜かれている。 もう一人、机の上にはまだ年端も行かない次祭の少女が、うつ伏せで倒れていた。 彼女は腰から二分にされており、そこからは赤黒く変色した彼女であった物がはみ出ている。 壁に飛び散った絵の具の大部分は彼女の物なのだろう。 その周りには白いボールのような物が二つ、それにいくつかの部品が転がっている。 二人とも、既に事切れていた。 正確にはエティルが笑みを浮かべながらその命を奪ったのだ。 「ノー君…アタシ、強くなって戻ってきたよ。」 エティルは嬉しそうに笑みを浮かべる。 声の先、部屋の隅には…両手両足がありえない方向に曲がった男が苦しそうにあえぎながら彼女を見ていた。 「エティル…お前…どうしてこんな…」 ノー君と呼ばれた男はままならない呼吸の中で言葉を吐く。 男…ノージュにとって魔術師と次祭は友達だ、それは目の前のエティルにとってもそうであるはずだった。 4人は冒険者仲間であり、エティルが暗殺者の門を叩く寸前まで、何度も一緒に旅をしていたのだ。 何度となく旅に出て、そして夜は将来に付いて語り合った事もあった。 だが、エティルはそんな過去など微塵も感じさせなかった。 --------------------------------------------- 時はほんの僅か遡る。 窓から飛びこんできた彼女はノージュに向って極上の笑みを浮かべると、その表情を張りつけたまま魔術師の両腕を切り落とし呪文を封じると、口元に手を突っ込み舌を引きぬいた。 鮮血が噴出す口に布をまき、音を封じてからベッドに投げ捨てる。 その上から胸に短剣を突き刺した。 我に返った少女が叫び声を上げようと口を開いた時にはエティルはその口を押さえており、腰から別の短剣を引きぬくと、部分という部分を殺ぎ落とし、切り落とし、引き千切った。 その後、オークが使う鋸のような剣を背中から抜くと一気にその身体を両断した。 少女の上半身から溢れる血が壁を汚すのをエティルは嬉しそうに見ていた。 目の前で繰り広げられる悪夢。 普段のノージュなら動けたはずだ、いや仲間が殺されるような瞬間なら動いて当然だった。 だが、窓から現れたエティルの目を見た時にノージュの体は麻痺したかのようにその動きを止めてしまっていた。 人としての感情を殺ぎ落としたような、虚ろな瞳。 だがその虚ろの中にただ1色だけ、喜びが溢れだしている。 エティルはエティルであってエティルでない。 そして、気がついた時にはノージュの両手両足はエティルによって叩き折られ、部屋の隅に蹴り飛ばされた。 エティルはにこりと笑みを浮かべると、動けないノージュの口にキスをしその舌を絡める。 その感触を数秒楽しむと唇を離し、にっこりと笑った。 「どうして?決まっているじゃない。アンタをアタシの物にするためだよ。アタシのカワイイ弟のノー君。」 それが決定事項であるかのような言葉。 「…弟?」 「そう、カワイイ弟、守るべき恋人、愛するペット、ノー君。今のアタシにはその力があるんだよ」 にこりと笑うエティル。 「力って…お前…自分が何をしているか…」 「うん、邪魔者を消したんだよね。ノー君とアタシの関係を邪魔するものは、生きてちゃいけないからね。」 ノージュは首を振る。 「違うだろう…こんな…こんな事して…」 その言葉に否定の意味を感じ取ったのか、エティルは目を細める。 「ノー君…こういう事が嫌いなんだ。でも大丈夫。アタシといればにすぐに好きになれるよ。アタシが全部教えてあげる。何もかもから守ってあげる。ノー君はアタシの腕の中にいて、アタシのいう事だけを聞いていればいいんだから。」 それは否定を許さないほどの圧力を持って、ノージュの胸に突き刺さった。 邪気の全くない、赤く彩られた笑顔、ただただ彼への好意のみが浮かぶ笑顔。 故にソレは傲慢で、絶望的で、病んでいて、同時に妖しく、美しく、とても綺麗だった。 だが、ノージュはエティルの目を見て、ゆっくりと首を振った。 「こんな事をするエティルは…好きじゃない。間違ってる。」 エティルはその言葉に目を丸くし、そしてすぐに目を閉じた。 「そっか…わからないんだね。」 「違う!わからないんじゃない…エティルの考えはまちがって…」 言葉を紡ごうとする唇に、エティルはそっと指を当てる。 「…ノー君…あたしの可愛いノー君。」 そうして、エティルはノージュを抱きしめた。 見る者が見れば母親が我が子を抱きしめるように見えたかもしれない。 それほどまでに愛情に満ちた抱擁だった。 「じゃあ、わかるようにしてあげるね。」 エティルはゆっくりと離れると、ノージュの首に短剣の刃を当ててすっと引いた。 血の吹き出る音と共にごとりという落下音。 床にノージュの首が落ちた。 エティルはその首を拾うと、滴る赤を思う存分口に含んだ。 舌を巻き、喉を遠し、十分に味わってからそっと首を抱きしめる。 「これならわかるでしょう。これからずっと一緒にいれるって。」 死体が三つとなった部屋の中で、彼女は嬉しそうに笑い声を上げた。 「ふふ…愛してあげるからね…ずっと側にいてあげる…」 そうして窓から姿を消した。 -------------------------------- その後、生首を抱えた女暗殺者が裏の世界で働き始める。 彼女は常に満たされた笑顔を浮かべていたという。 どうしてそんなに幸せなのか? その問いに彼女は決まってこう答えたという。 「ずっと…大切な人と一緒にいられるからね。」