〜ありがとう〜  「この・・・・泥棒が!」  スタナーで殴られる。ぐらり、と視界が歪む。  何だよ、そんなに怒らなくても良いじゃないか。たかがリンゴを一つ盗った位で。  「主神へ捧げる供物を、何だと思ってる?この薄汚い乞食め!」  失礼な。俺は乞食じゃないぞ。  反論しようとすると、スタナーが俺の喉を打った。息が詰まる。  「本来なら、教化してやる所だが、今日は大司教様が来られる日だ。聖堂を血で汚したくない。とっとと消えろ!」  言われなくても出て行くさ。こんなケチ臭い連中なんぞと関りたくも無い。  聖堂の裏の墓地から出て行く。歴代の司教が葬られている墓があった。血の混ざった唾を吐いてやった。  俺は昔からこうだった。  母親は、俺を産んですぐに男と消えた。父親なんぞ、顔も名前も知らん。  施設で育ったが、あそこは養育施設なんて名ばかりで、ただの売春宿だ。俺も、生理が始まる前には、もういっぱしの売春婦 だった。気色の悪い好事家共を相手に、毎晩毎晩股を開いたり、汚物を喰わされたりする日々だった。  14歳で施設を逃げ出し、そのまま冒険者になった。名前と顔を変えて。  あの頃は、世界の何もかもを拒絶しようとしていた。騎士のように規律に五月蠅いのは厭だったし、聖職なんて持っての外だ。 第一、あの施設を運営してたのは、プリーストだったしな。小難しい魔法職は勘弁だし、弓はシキタリや何やらでウザったい。 読み書きや計算が出来なかったから商人も無理だった。  結局、シーフになって、今じゃローグだ。自分が如何に堕落した人生を送っていたか、思い知らされる。  まぁ、真面目にローグをやってる奴も居るらしいが、俺には、どうやったらローグなんぞ真面目にやれるのかが不思議でしょ うがない。  馴染みの酒場に入る。何人かに睨まれるが、俺だと判ると、また談笑に戻った。  カウンターに座る。マスターが近付く。  「よう、いつものかい?」  俺は軽く頷く。マスターは、一本のボトルを取り出す。俺のキープだ。真っ青な酒。魔法合成で作った、高価な奴だ。  でかい氷が、グラスを一気に冷やす。そして、そこに注ぎ込まれる酒は、青い炎を上げる。冷たい炎。私は、この瞬間が好き だった。冷やされた空気が、輝く塵となって舞い上がる。この塵を吸い込むだけで酔いしれそうだった。  グラスを手に取り、口に近付ける。喉に注ぎ込むと、凍りつきそうな程だ。しかし、喉を通り過ぎると、カッと燃え上がる。 最高の味だ。これが、俺を癒してくれる。  背後に誰かが近寄ってきた。  「キミ、一人かい?」  騎士だ。この店では見慣れない奴だ。  「一人だ。誰か居るように見えるのか?」  騎士は、ニヤつきながら甘ったれた声で俺を誘う。  「どうだい?一緒に飲まないか?」  気色悪い。大方、ローグの装束を見て、コールガールとでも勘違いしたのだろう。  「餓鬼がいい気になって吠えるな。消えな」  だが、騎士は去らない。  「ん〜判った。20出そう。これなら文句も無いだろ?」  無視しても良かったが、しつこく粘ってくる。いい加減ウザい。  「そこまで言うんなら、来いよ」  俺は、席を立って外に出た。騎士も慌てて付いてくる。馬鹿が。玉でも潰してやれば気が晴れるだろう。  外に出た瞬間、何か赤い物が目の前を過ぎった。  辺りから悲鳴が上がっている。テロらしい。さっき過ぎったのは、どうやら露店商人の下半身と臓物らしい。思わず溜息が漏 れる。  「おやおや、どうやらテロみたいだねぇ」  騎士が呑気に呟く。  「・・・助けに行かないのかい?」  騎士は、信じられないと言った表情になる。  「まさか、他人の為に命なんて掛けられないよ。それよりも、ここは危ないから、別な街に行こうか?」  下衆め。ニタニタと目を細め、舌なめずりしていやがる。俺の一番嫌いなタイプだ。  「た、助けてください!!」  ノービスがやってきた。  「ん?男かよ。大丈夫だって、死んでもプリーストが蘇生してくれるから」  なんて奴だ。これでも騎士なのか。怒りが込み上げて来る。  向こうから、ナイトメアの大群が襲ってくる。  「おっと、こりゃヤバい。それじゃまたねー」  騎士は蝶の羽でさっさと逃げた。  「うわぁああああ!!」  ノービスは恐怖の余り、腰が抜けたようだ。  「ほらよ、ヤバかったらこれ使いな」  俺は、ノービスの手に蝿の羽を握らせる。そして、水の紋の付いたダマスカスを取る。  何時もなら、とっくに逃げてる。何故、戦おうとしてるのか?  ナイトメアの前足が振り下ろされる。上手く力を流し、腹を突く。だが、そう何度も避けられるものでも無かった。  背中を踏まれる。背骨が砕ける音が聞こえた。  「がはっ」  血の混ざった胃の中身を吐く。ナイトメア以外の魔物も集まってきた。スケルワーカーだ。普段なら何てことは無い。が、今 は違う。つるはしが、俺の身体を貫く。  「ぎゃっ、がぁっ、あがっ・・・」  ナイトメアの蹄が骨を砕き、スケルワーカーのつるはしが肉を啄ばむ。滅茶苦茶だ。  さっきのノービスは逃げ切れたのだろうか?何とかノービスの居た方向を見ると、マーターに食い殺されたノービスが居た。 腹の中身を引き釣り出され、腕や脚を千切られ、血を噴出して転がっていた。パニックで逃げられなかったか。  俺は、全身が穴だらけだ。美人とはいかないが気に入ってた顔も、毎日丁寧に手入れしていた手足も、少しは自信があった身 体も。  やっぱ無理だったか。痛みよりも悔しさよりも、虚しさが俺を支配する。  ・・・テロが鎮圧されたようだ。  辺りには死臭が漂う。市民や冒険者の切れ端がそこら中に転がっていた。勿論、俺の身体もだ。プリーストに蘇生されるのは 厭だったので、さっさと死に戻ることにした。  現場に戻ると、あらかた片付けられていた。死体や血の跡も無かった。  いや、あの時のノービスがまだ残っていた。路地裏だったのもあるのだろう。誰にも気付かれず、死体のままで放られていた。 蝿が集り、暑さでその匂いは酷いものだった。蛆まで湧いていた。  「起きるか?それとも死に戻るか?」  ノービスは無言だった。彼の魂はここに居ないようだった。俺は、それ以上何も言わず、立ち去った。  別に、誰がどこで死のうと関係無い。助けを求められたら、自分に対処できることなら、助けても良い。何もせず、殺される 様を見るのは後味が悪いからだ。助けを求められなかったら、助けなくても良い。そうだ、俺がそうだったからだ。  耳打ちが聞こえた。さっきのノービスらしい。  「ありがとう」  少しだけ、俺は救われた気分になった。