薄暗い建物の中、一人のプリーストが椅子に縛り付けられたまま首をうなだれている。 腰まで伸ばした豊かなハニーブロンド、やや小柄ではあるが均整のとれた肢体、 やや垂れ目がちな瞳がその美しさに愛らしさのアクセントを加えていた。 「ん・・・私・・なんで・・・・・・?」 半分ほど意識を取り戻したプリーストはぼんやりした目で辺りを見まわした。 頭上のランプのおぼろげな明かりが薄暗い建物の内部を照らしている。 がらんとしたレンガ造りの建物だった。窓はなく、床には木箱の残骸や鉄のパイプと思しきものが散乱している。 使われなくなった倉庫かなにかだろうか? 何故か右手の壁に場違いな大きな鏡が架けられている。 頭上で揺れるランプがたてるキィキィという耳障りな音を聞くうちに、 何が自分に起こり、起こっているのかを認識できるくらいに意識がはっきりとしてきた。 「えっ、やだ!私さらわれて・・・!?ここはどこ!?」 自分の置かれた状況を理解した途端、とてつもない恐怖に襲われた。 必死に椅子から立ち上がろうとしてみるが、足首が椅子の脚に縄で繋がれているらしく上手く立つことが出来ない。 ガタガタという椅子の音だけが建物内に響き渡る。 「よう、目が醒めたようだな・・・」 突然背後から掛けられた低い男の声に、思わずプリーストの体がビクリと震えた。 聞き間違うハズがない。自分をさらったモンクの声だ。 「あんたに起きてもらわないとこれからのコトが進められないからな。ずいぶん待ったよ」 そう言いながらモンクは脅えるプリーストの前にまわった。 彼女をさらった時と同じようにフードを目深に被っており、プリーストからは顔はよく見えない。 「あ、あなた・・・誰ですか!なんでこんなことをするんですか!!」 「もっともな質問だな。どれ、俺の顔に見覚えはないか?」 モンクはゆっくりとフードを跳ね上げ、椅子に座らされているプリーストの前にしゃがみこんだ。 くっきりとした眉が意思の強さを顕わしているかのような、なかなかの美丈夫だ。 しかし、プリーストは脅えた瞳をモンクに向けたまま口を閉ざしたままだった。 「わからないか?まぁ、俺も当時は修行中のアコライトだった。 あんたにとって利用価値の無い男の顔なんてイチイチ覚えておく必要もないか。 それじゃこの名前に聞き覚えはないか?」 モンクが口にした男性の名前を聞いたプリーストは僅かに眉をひそめ、数秒の沈黙の後おずおずと口を開いた。 「確か・・・一年くらい前まで私が居たギルドのマスター・・・」 「そう、俺の兄貴だ。お前に殺された・・・な」 「そんなっ!私は殺してなんかいませんっ!」 プリーストは目を見開き、必死に否定の声を上げる。 一方、モンクは対照的に抑揚の無い声で淡々と喋り出した。 「メンバーに取り入って兄貴のギルドに入ったあんたは、ギルドの男どもに媚を売り、手なずけ、さんざん我侭を尽くした。 見かねた兄貴があんたを諌めたら・・・あんたは何をした?覚えてるよな?」 プリーストは顔をそむけたが、モンクはまるでそれに気付いていないかのように言葉を続けた。 「まったく大した手際だったよ。あんたは手なずけた男どもに泣きついて、兄貴を責め立て孤立させるように仕向けた・・・。 お陰でギルドの結束はバラバラ。残ってた女性メンバーもさすがに呆れて皆脱退だ。勿論ギルドは崩壊。 そして当のあんたは男どもを引き連れてギルドを抜け、自由気ままな贅沢暮らしときた。」 「それは・・・・。でも!私は彼を殺してなんかいませんっ!そうでしょう!?」 「直接はな。だが代々続いてきたギルドの歴史、自分の代で終わらせちまったことに責任を感じたんだろう・・・兄貴は自殺したよ。 まぁ、そんなわけでな、あんたには俺のささやかな復讐につきあってもらうってわけだ」 そう言い放ち立ち上がったモンクの右手には、いつのまにかバグナクと呼ばれる鉄製の爪が握られていた。 「ひっ!お、お願い・・・やめてっ!!」 プリーストは必死に逃れようとする。 しかし、椅子に縛り付けられた彼女にできることは、唯一自由に動かせる首を激しく左右に振るくらいだ。 「あまり暴れるな。今までの報いだと思って神妙にしたらどうだ?ああ、痛ければ叫んでいいぞ。誰も来やしないがな。」 そう言うなりモンクは暴れるプリーストの髪を左手で握ると、バグナクを握った右手を一気に振り下ろした。 柔らかいものを裂く音の後、一瞬の間を置いて耳をつんざくようなプリーストの絶叫が響き渡った。 「いやあああああああああああああああああああああ」 バグナクが抉った顔面には、四本のストライプが深深と刻まれていた。 左の額あたりから右顎までを爪の跡が走り、赤い血が勢いよく噴出している。 左の眼球は綺麗に縦三つに切り裂かれ、切り口からは透明でゼリー状の物質がはみ出ている。 鼻はちょうど左半分がこそげ落ち、その部分からは鼻の骨らしきものがのぞいていた。 「顔・・・・私の顔がぁあああ!いやぁあああ!」 歯茎も縦に断ち割られ、歯が何本か欠けている。 短冊状に切り裂かれ、ビラビラと垂れ下がる唇から漏れる絶叫にモンクは顔をしかめた。 「やっぱりうるさいな」 そう言うや否や、落ちていた20cmほどの長さの鉄の角材を拾い上げると、それを絶叫を上げるプリーストの口に突っ込んだ。 残された右目に涙を溜め、すがるような眼差しを向けるプリーストを正面から見据えながら角材を持つ手を勢い良く捻った。 「んぐふぅぅぅっ!」 バキバキという音とともにプリーストの前歯が数本まとめて弾け飛んだ。 「そのまま咥えててくれ」 プリーストの口に角材を突っ込んだままに、今度は左手に握ったバグナクを左から右へと真横に振るった。 「んぶーーーーーーーーーっ!」 再度の激痛にくぐもった叫び声があがる。 今度は右頬が裂け、その裂け目から血と唾液の混じった液体がトロトロと流れている。 縦に切り裂かれていた唇は、横薙ぎの一撃で上唇が千切れ飛びボロボロの前歯と紅く染まった歯茎が丸見えになった。 切り刻まれた顔から流れる血が滴り落ち、プリーストの法衣の胸の白い部分を赤く染めていく。 ボロボロになった顔のなかで、唯一右目だけが完全に無傷で残されていた。 「どれ、感想を聞いてみようか」 モンクはプリーストの口の角材をゆっくりと抜いた。 折れ、砕けた歯がボロボロと音を立てて床に散らばる。 しかし、激痛とショックの為か口からは弱弱しい嗚咽が唾液混じりの血とともに漏れるのみだった。 その様子にモンクはしばらく考え込んだ様子を見せた後、プリーストの両肩に手を置いた。 そして今までにない優しい口調で語り掛けた。 「どうだ?反省しているか?」 「ふぁい・・・わらし・・が・・・間違っていまひた・・・ゆるひてください」 もう性格に発音できなくなった口で、弱弱しく答える。 「よし・・・もうやめにしよう。あんたを殺したところで兄貴が帰ってくるわけでもないしな・・・。 顔の傷もヒールしてやる。自分のしてきたことを悔いながら、生き続けろ。いいな?」 その言葉にプリーストは何度もガクガクと頷いた。 この地獄から解放される。それを思うと今にも気絶しそうな心をなんとかもたせることができた。 背後のモンクが治癒呪文の詠唱を始めた。 自分が普段使うヒールよりもかなり長い詠唱であったが、それが意味することを理解する余裕はなかった。 詠唱の完了とともに、暖かな光がプリーストの頭部を包み込む。 朦朧とする意識の中にあったプリーストにも出血が止まり、痛みが引いていくのが感じられた。 「これから顔が修復されていくはずだ。あと数時間もすれば朝だ。その頃には元通りになってるだろう。 あんたのギルドの連中にこの場所のことを教えておいてやる。そいつらに助けてもらうんだな。」 そう言うが早いか、モンクは転移呪文で姿を消した。 安心したことによって張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、プリーストは深い眠りに落ちていった。 どれくらい眠っていたのか、扉を叩く音と男性の叫び声でプリーストは目を醒ました。 声からするとギルドのリーダーを務める騎士だろう。他にも何人かの声が聞こえてくる。 「らちがあかない!扉を蹴破るぞっ!」 騎士の叫び声とともに扉が内側に蹴り開けられ、4〜5人の男性がなだれ込んだ。 建物の置くで椅子に縛り付けられているプリーストを見つけると、彼らは彼女の傍に駆け寄った。 だが、プリーストから五歩ほどの位置で彼らは皆立ち止まった。 皆一様に目を見開き、その表情は恐怖に支配されている。 「みんあ・・・来てくれたんだ。・・・どうひたの?」 話しかけてから上手く発音できていない自分に気がついた。 そういえば左目もまだ見えるようになっていない。 まだ本調子ではないのだろう。きっとすぐ元のように話せるようになる。 だが、彼らの表情は一体・・・? ふと右手の壁に架かっていた鏡のことを思い出し、何気なく鏡に映った自分の姿を確認してみる。 果たして、そこには無残に切り刻まれたままの自分の顔が映っていた。 「い、いや・・・・・いやあああああああああああああああああああああああ!」 頭が混乱する。 ありえないことだ。確かにヒールを掛けてもらって痛みは消えたはずなのに!? 呆然とするプリーストに慌てて男性プリーストが近づいて、ヒールを唱える。 しかし、何度ヒールを唱えても彼女の顔面に変化は見られなかった。 いぶかしんだ男性プリーストはしばらく彼女の傷を調べた後、絶望的な表情で呟いた。 「何てことだ・・・本来、元の状態に修復するはずのヒールにアレンジを加えて、 この状態を本来の状態として固定するような処置が施されている。これではもう元に戻すこと・・・」 「うっぷ・・・おぇっ・・げえぇっ!」 ―――ビチャビチャビチャビチャ・・・ プリーストの言葉は騎士の嘔吐の音で中断された。 その音が引き金であったかのように、凍りついたように立ち尽くしていた男性達は一人また一人とその場から逃げだした。 最後に残った男性プリーストは扉の前で一度立ち止まり、彼女のほうを振り向いた。 しかしそれも一瞬のことで、何かを振り払うかのように首を振ると再び駆け出していった。 彼女はようやく悟った。 あのヒールのやたらと長かった詠唱の意味に。 そした、モンクが言った「自分のしてきたことを悔いながら、生き続けろ」という言葉の意味に。 モンクはプリーストに自ら命を絶つ勇気など無いことを見通していた。 これから死ぬまで、或いは心が正常な働きを放棄するまで、この残酷な現実に向き合い続けなければならない。 モンクの復讐はあの時終わったのではない、今この時から始まったのだ。