悠久の時の彼方に忘れ去られていた古代の城塞、グラストヘイム。 恐るべき力を持ったモンスターどもが跋扈する最上級危険指定区域である。 しかし、いやそれ故にと言うべきか。富や名誉、あるいは己の修練の為に挑もうとする冒険者達が後を絶たない場所でもある。 そのグラストヘイムの一角。 かつてはグラストヘイムの騎士・兵士達の修錬場や詰め所であった「騎士団エリア」と呼ばれる場所がある。 二つの何かが激しく動き回っている。この薄暗さで遠くから見たならば、二人の人間が踊っているともみえるかもしれない。 中身ががらんどうの甲冑型モンスター“レイドリック”の繰り出す攻撃を、小柄で軽装の女性ローグが軽やかな動きでかわしている。 レイドリックは疲れを知らぬかのように両手持ちの大剣を振りまわし、機械のような執拗さで彼女にその剣を振り下ろす。 掠るだけで肉は千切れ、骨は砕けんばかりの剣戟である。しかし彼女は上体を反らし、ステップを踏み、あるいはトンボを切って難なく避け続けている。 訓練された体術というよりは、類稀なる反射神経と運動能力によってかわしているのだろう。猫のようなしなやかさを思わせる動きである。 レイドリックの剣をかわしながら、ちらりとローグが視線を横に投げかける。 その視線の先では彼女の仲間であろうウィザードが呪文を唱え、傍にはプリーストが詠唱中の隙をフォローすべく待機している。 その一瞬を好機と見たのであろうか。レイドリックの兜の奥の闇に二つの灼い光が灯る。 レイドリックの上段からの一撃を左腕に皮紐で留めたバックラーで受け流すと、バランスを崩したレイドリックの後方に回りこみ、手にした短剣を一閃させる。 非力さをスピードやタイミング、更には死角を突くことで補っているのだろう。 小ぶりの短剣からは予想もできないほどの威力をもってレイドリックの躰であり装甲でもある赤錆びた甲冑を切り裂いている。 しかし、さすがに一撃で仕留めることはできないらしい。ギイッという軋んだ音を立てながらレイドリックが振り向きざまに大剣を横薙ぎに振るおうとする。 小さな、だが澄んだよく通る声が部屋に響き渡ったのはその時だった。 「ユピテルサンダー!」 ウィザードの言葉とともに放たれた一抱えほどの大きさの雷球がレイドリックを直撃する。 素早さに長けたローグが先制・牽制を行い、呪文の詠唱時間を稼ぐ。そしてウィザードの魔法でとどめをさすという戦術なのだろう。 強力な魔法の衝撃にレイドリックは数メートルほど吹き飛び、壁や床と同じように大理石でできたテーブルに激突し派手な音をたてて砕け散った。 バラバラになった具足は白煙を昇らせながらも暫くカタカタと音を鳴らしていたが、じきにその動きも止まった。 「これで全部かな〜っと。二人ともお疲れ様っ」 短剣を腰の鞘にしまいながらローグは二人の仲間のもとへ歩み寄った。 女性にしては長身のウィザードは、ローグに労いの言葉をかけるわけでもなくコクリと頷くだけだ。 プ:「大丈夫でしたか?どこも怪我など負ってはいませんか?」 3人の中で唯一の男性であるプリーストは、ウィザートとは対照的にさも心配そうにローグに尋ねる。 「だいじょーぶだいじょーぶ。あのくらいなら余裕だってば。・・・と言いたいところなんだけど、さすがにちょっと疲れちゃったかな。アハハ」 プ:「かなりの大集団でしたからね。私も魔力を大分使ってしまいました」 周りを見渡してみると、なるほど確かに激戦だったのだろう。 何体ものレイドリックや、剣の代わりに弓を持ったレイドリックの亜種“レイドリックアーチャー”の残骸があちこちに転がっている。 「うん、よく頑張った頑張った。あ、そっちも大技攻撃魔法連発して魔力減っちゃったでしょ。どうしよ、ちょっと休もうか?」 ウ:「ん・・・・そんなことは・・・」 「もう、変に遠慮するのって悪いクセだよ?仲間なんだから遠慮しないっ♪」 つま先立ちで見上げるようにしながら、ウィザードの目をじっと見つめる。 一般的にローグを形容する言葉は「狡猾」とされているが、彼女に限っては「爛漫」と言ったほうが良さそうである。 ウ:「はい・・・その・・・ありがとうございます・・・」 一見クールな印象を与えるが、その実とても内気なのだろう。長身のウィザードは頬を染めながら、俯く様にして答えた。 プ:「では、しばらく休憩にしましょうか。まぁ・・・あまりくつろげる雰囲気とは言い難いですがね」 苦笑しながらのプリーストの言葉を合図に、三人は大きな柱の傍に車座になって座りこんだ。 ウィザードとプリーストは背中を柱に預けている。 危険なダンジョンの中である。安全な休息を得られるわけではない。 しかし、急な敵襲に備えてプリーストの防御魔法が各人に掛けられている。 防御魔法の加護が続いているうちは、モンスターの初撃で致命傷を負う確率はほとんどないだろう。 幸い、モンスターが襲ってくるような気配もないようだ。 あまり静かにしていられない性分らしく、ローグが会話の口火を切った。 「騎士団エリアかぁ〜・・・あたし達も強くなったよね〜。あたし達が出会った頃・・そうそう、私がまだ街でドロボーしてた頃ね。  あの頃はグラストヘイムに行くなんて考えもしなかったからね」 プ:「そうですね。貴女が私達の荷物を盗もうとして私達に捕まった頃と比べると、素晴らしい成長ぶりですねぇ」 「ア、アハハハ・・・。そんな事もあったような、無かったような〜・・・もうっ、いじわるっ。でも、ほんとにあの頃と比べると随分変わったよね。  装備とか強さも。変わってないのは・・・君の恥ずかしがり屋さんだけだよっ」 言うなりローグはウィザードに抱きついた。いや、殆どタックルと言っていいくらいの勢いだろう。 じゃれつかれているウィザードの顔は先ほどの何倍も真っ赤に染まっているが、迷惑がっている様子はなく寧ろ喜んでいるような雰囲気だ。 毎度のことなのだろう。プリーストも止めに入るでもなく、苦笑しながら二人を見つめている。 と、カタカタという小さな音が聞こえた。三人とも熟練の冒険者達だけのことはあり、素早く立ちあがり周りに神経を走らせる。 こういう時の反応は流石本職と言うべきか、音の正体に気付いたのはローグだった。 数メートル離れた辺りに転がっているレイドリックの兜の飾り羽が、風に揺れていたのだ。 「なーんだぁ、レイドリックの兜じゃない。もう、脅かして〜」 ローグはそのまま、音を立てている兜のもとへ歩き出した。 プリーストとウィザードはお互いに顔を見合わせ微笑み、柱にもたれかかりながら歩き出すローグを見つめた。 ローグは兜を拾い上げると、指でコツコツ叩き―振りかえりながら 「人騒がせなかぶ・・・」 人騒がせな兜・・と言いかけたまま彼女は凍りつき、そして我が目を疑った。 闇が在った。 プリースト達が背を預けている柱の向こう側に。 周囲の薄暗さですら真昼のように思える巨大な闇が在った。 闇の一部はその本体から長く延び、三メートルほどの直線を形作っていた。 その直線が剣であるとローグが理解したのは、それが高く振り上げられていたからだろう。 考えるよりも先に叫んだ。 「逃げ・・」 しかし、その言葉は振り下ろされた剣が立てる轟音によって掻き消された。 剣が風を切る音と大理石の柱が両断される音である。 轟音とともに起こった剣風とそれに乗った大理石の破片が迫り、ローグは反射的に目を閉じた。 これは夢だろうか?幻覚?数秒もそんなことを考えていたように思える。いや、実際には一秒ほどだったのだろう。 ドチャっという音とともに体に柔らかい何かが当たる感触がある。そのやけに暖かくて生々しい感覚に目を開いた。 目の前にあったのは崩れた柱に寄りかかりながら立っている女性の下半身、 おそらくウィザードのものであろう肘から先の腕、 腿の付け根あたりから上下に両断された男性の上半身、 それに女性の下腹部の切断面から飛び出たのであろう千切れた臓器と排泄物と血。 辛うじて立っているウィザードの下半身からローグの肩に、ピンク色の小腸が橋のように架かっている。 見ようによっては滑稽なオブジェにも見えなくはないだろう。 よく見れば足首のあたりにも腎臓か肝臓か ―ローグの知識ではそれを判断することはできなかったが― が纏わりついているではないか。 体に当たったものは・・・ああ、ウィザードの上半身からはみ出た色々なモノだ。 「あれれ・・脚はあるのに体は無いよ?大変!急いで探さなきゃ!!えーと・・・あ、そうかぁ。これをたぐればいいんだ〜」 既に正常な思考力を失ったローグには、ウィザードの上半身を探すことしか頭に無かった。 体に当たって足元に落ちていた内臓を両手で勢いよく手繰り寄せると、テーブルの下に落ちていたウィザードの上半身がズルズルと引き摺られて出てきた。 身を覆っていたローブは千切れ飛び、細身の体には意外に豊かな白い乳房が露出している。 そのまま上半身を自分のすぐ傍まで手繰り寄せると、ウィザードの口が血を吐き出しながらも、もぞもぞと動いているのがわかった。 耳を口の傍に近づけてようやく聞き取ることができた。 ウ:「私の裸と内臓・・・見ないでください・・・・」 「あはははは。やっぱり恥ずかしがり屋さんなんだから〜♪」 ローグはケタケタと笑いながら、それっきり口を開かなくなったウィザードの上半身を抱きしめた。 今や闇ははっきりとその輪郭を現していた。 巨大な漆黒の馬に乗った、漆黒の騎士の姿だった。 漆黒、という表現は正しくないかもしれない。 それの全身を覆っている鎧は闇色なのだ。 深淵の最奥にしか存在しえない闇が騎士の姿をとって現れたかのようだ。 闇の騎士は、こちらも既に具現化した闇色の剣を手にゆっくりとローグの元へと馬を進める。 脚を失ったプリーストの細い呻き声が聞こえたのはその時だ。 正気を失っていても、その鋭い聴覚は活きているのだろう。 ローグもそれに気付き、右腕でウィザードの上半身を抱いたまま左腕をぶんぶんとプリーストに向けて振った。 ロ:「ちゃんと見つけたよっ。体の半分見つからなかったらどうしようって思ったよ〜」 どうやらショックと失血で気を失っていたらしい。プリーストはローグの声に目を醒ますと、霞む目でなんとか自分と周囲の状況を把握することができた。 一つ大きな歯軋りをすると、普段の彼からは考えられないような大声と口調で叫んだ。 プ:「逃げろ!お前だけでも逃げろ!」 しかしローグはウィザードの上半身を抱えたままきょとんとしている。 ウィザードの体から血や内臓が自分の体に振りかかっても、気に留める様子すらない。 体調を回復させる奇跡が、精神の失調にも有効なのか・・・? 迷いを振りきるように詠唱を始めたプリーストだが、その詠唱が闇の騎士の注意を惹いてしまったらしい。 闇の騎士は馬を止めると、足元のプリーストに一瞥すら投げかけず手綱を絞った。闇色の馬はその巨大な蹄で足元を踏みつけた。 プ:「ぎゃぁぁぁあああぁあぁあぁあぁぁあああっ!」 腰から下を磨り潰されたプリーストの絶叫が薄暗い空間にこだました。 本来なら死に至る損傷と激痛であったが、自分自身に掛けた癒しの奇跡は彼に死の安息に与えることを許さなかった。 その絶叫が好物であり、まるで再び味わうかのように馬が再び脚を踏み鳴らす。 その度にプリーストの体は端から小さくなっていった。 プ:「や、やめ・・やめってっ・・たすけ・・・ぎゃぁあああああ!」 五回も馬が脚を踏み鳴らした頃には、プリーストの体は胸と頭だけの壊れたトルソーのようになっていた。 ローグはその様子を見て 「そんな大声出すなんて・・・あたしびっくりしちゃった」 などと呟いている。 プリーストがピクピクと痙攣を繰り返すだけになると馬も満足したらしい。騎士は再びローグの元へ馬を進める。 騎士がローグの眼前で巨大な剣を振りかぶった時、プリーストの口から小さな呟きが漏れた。 小さな、とても小さな消え入りそうな呟きであったが、ローグの耳ははっきりと聞き取ることができた 「・・・キュア・・・」 その瞬間、ローグの思考は正常な流れを取り戻した。 体に染み付いた冒険者としての反応だろうか。 考えるよりも早く体が動いた。咄嗟に傍の柱の後ろに回り込み、左腕のバックラーを闇の騎士の剣の軌道上に構え、右腕で左腕を支えた。 次の瞬間、二度目の轟音とともにローグの体は十メートルほど吹き飛ばされて壁に激突した。 なんとか意識を失わずにすんでいるようだ。体の具合を確認してみる。 いや、その前に盗賊の技で気配を消さねば。 柱が崩れて土煙が巻き起こっている今がチャンスなのだ。 呼吸も止めて、もしかしたら心臓の鼓動も止まってしまったかもしれないと思うくらいに神経を集中させる。 騎士はやってこない。気配が感じられないのを死んだと判断してくれたのだろうか? あらためて自分の体を見なおしてみる。 両腕の感覚がないと思っていたが、なるほど、左腕は無くなっていた。右の手の薬指と小指の辺りも無くなっている。 それ以外はどうやら目だった外傷はないようだ。まあ、肋骨の2〜3本は折れているかもしれないが。 これならば今すぐに死ぬようなことはあるまい。 あとは右腕が動くようになったら、 ポケットの中に有る非常用の魔法の蝶の羽 ―限定的な空間移送魔法が込められている― を使い街に戻れば助かる見込みはあるだろう。 そこまで考えた時、自分が妙に冷静になっていることに気がついた。大切な仲間を失って悲しいはずなのに、不思議とそのような感情は涌き出てこない。 「あたしってこんなに冷酷だったのかな・・・」 声に出さずに呟くと、途端に二人のことが頭に浮かんできて涙がこぼれた。 「そっか・・・冷酷なんじゃなくて、私の心が生き延びることを優先させてるんだ・・・。そうだよね・・・生きて戻って二人の仇を討たなきゃならないもんね」 体の状態も意思の力に左右されるのだろうか。生き延びることを第一に考えると決めると、右腕もなんとか動きそうな気がしてきた。 「よし・・・何とか動くね」 ローグは三本指の右手を器用に動かして、内ポケットの中にある蝶の羽を取り出そうとした。 「ん・・・!」 ガシャンガシャンという甲冑の音がこちらに近づいてくる。おそらくレイドリックだろう。今気配を悟られるわけにはいかない。 ローグは残る気力を振り絞って、隠行の技に集中した。このレイドリックさえやり過ごせば街に戻れるという希望が、ボロボロの体を支えているのだろう。 レイドリックが近づいてくる。 このままでは目の前を通られることになる。 だが、熟練の隠行の技は目の前に居ても、それを気付かせないことすら可能である。そして彼女の隠行はそのレベルに達していた。 レイドリックが通りすぎる。そう思われたとき、不意にレイドリック、いやレイドリックアーチャーが立ち止まった。そしてローグの居る辺りを凝視しはじめた。 「感づかれた・・・っ」 咄嗟にそう判断したローグは最後の力を振り絞って駆け出した。 蝶の羽は静止した状態で使うことが常とされているが、こうなっては無理矢理にでも逃げながら使うしかあるまい。 ポケットから羽を取り出し高く掲げようとした。 ヒュンッ!! 甲高い風切り音を聞いたと思った次の瞬間、ローグの右太腿を錆びついた太い矢が貫いていた。 ローグが床に倒れ伏した拍子に右手の蝶の羽が落ちる。続けて響く風切り音二つ。左ふくらはぎ、右腰部をそれぞれ貫いている。 「いたあっ・・!」 か細い悲鳴がローグの口から上がる。 どうやら矢が切れたらしく、それ以上の矢は飛んでこない。 しかしレイドリックアーチャーは近づいてきている。 もうレイドリックアーチャーに武器はないのに?一瞬だけ頭に浮かんだ疑問を吹き払い、四つん這いの姿勢で落ちた蝶の羽を探す。 見つけた。 レイドリックアーチャーが傍に来た。 レイドリック達の思考形態は極めて単純だ。剣を叩きつけ、矢を射る。それだけだ。 もう矢がない以上、傍観するしかないだろう。・・・そのようなローグの予想は最も最悪な形で裏切られた。 レイドリックアーチャーはローグの左のふくらはぎに刺さっている矢を無理矢理引きぬいたのだ。 「うゎぁああああああぁあああああ!ああああぁあああぁぁあああああぁっ!」 ローグ自身、出せると思ってもいなかった音量の絶叫が響いた。 レイドリックアーチャーが使う矢は殺傷力を増し、刺さった矢を抜くことを困難にするために矢尻に二重の“かえし”がついている。 その矢尻が肉を抉り、引き裂きながら引きぬくのだ。 そして、引きぬいた矢を弓につがえて同じ場所を射る。 再びその矢を引き抜く。 しかし今度は骨に矢尻が引っかかり、矢が折れてしまった。 レイドリックアーチャーは躊躇無く腹部の矢を引きぬいた。 「ひぎゃああああああああああああああ」 子宮などの器官が引き千切られる。あまりの恐怖と痛みにローグは失禁していた。 腿を伝う小水が血と混ざり合い、四つん這いの姿勢のローグの足元に大きな水溜りを作った。 そんなローグの様子はお構い無しに、レイドリックアーチャーは射る、引きぬくを繰り返す。 柔らかい腹部では矢が折れたり矢尻が外れたりしないようだ。 何度も射、何度も引きぬく。 ローグの下腹部から右腹部にかけてはボロ雑巾のようになり、 様々な臓物がこれまたボロ雑巾のように腹側の穴と背中側の穴から両側に飛び出して垂れ下がっている。 絶叫は回をおう度に小さくなっていき、10回を過ぎた頃からはただ 「死にたくない・・・殺して・・・ごめんなさい」 を虚ろな目で繰り返すだけになった。 その目が光を映さなくなる寸前。ローグのまぶたの裏には二人の仲間の笑顔が浮かんでいた。 「あたし達、こんなところまで来られるようになったんだよね・・・・」