俺は魔法都市ゲフェンに来ていた。 展望台からの景色と街の中心にある巨大な塔の眺めが素晴らしい街。 まぁこれは観光ガイドブックの受け売りだ。俺達冒険者はそんなもの目当てに訪れたりはしない。 遥か昔にこの地に出現した『魔』を封じ込めた塔、ゲフェンタワー。その地下は地獄に通じているとも言われている。 そして、ゲフェンから北西の位置にある魔物達の居城、グラストヘイム。半端な腕前では近寄ることすらままならない悪夢の城。 探究心からか、奥底に眠る財宝のためか。これらに挑もうとする猛者が数多くゲフェンを訪れる。 かくいう俺もその一人だった。強力な魔物も俺にとっては赤子同然。金がこっちに来てくれるようなもんだ。 だが、その日はゲフェンの様子が違っていた。街中に活気が感じられない。民家の窓も扉も閉め切られている。 西のほうから怒号が聞こえてくる。一体何だ…?これは…戦闘音か? 西門近くへ行くと、混乱と言っていい程の慌しさが見て取れた。どうやら門の外で戦闘が起きているようだ。 門の外へ出る前に、俺はしばらく聞き込みをすることにした。これは一体何なのか。何が起きているのか。 集まった情報を頭の中で整理すると、概ねこんな感じだった。 今朝、グラストヘイム監視員から緊急事態の信号が送られてきたが、それ以降連絡が取れない。 緊急信号から二時間後、モンスターの大群がゲフェンの北と西から押し寄せてきた。 プロンテラ騎士団のゲフェン守備兵と魔術師ギルド員、ブラックスミスギルド員に冒険者達が加わって防戦をしている。 西門と北門からモンスターが攻めてきており、東門からは来てはいない。 プロンテラへの援軍要請の使者はもう向かっており、早ければ四日後には援軍が来るだろう、ということ。 さて、俺はどうしたものかな。 聞き込みをしたプリーストによると、一人でも多くの戦力が欲しいとのこと。 今のところ闘いは一進一退、橋の上で激戦が繰り広げられているらしい。 俺はこれでも上級のウィザードだ。職業柄前に出ることは少ない。前衛が頑張っている限り危険は少ないと言える。 後方支援や傷の治療が付くはもちろん、回復用のポーション等も支給されるという。 ならば参加しても損はないな。むしろ大規模戦闘はいい経験になるかもしれん。 俺は西門へ向かって歩き出した。狩りの準備はしてあるのでこのまま戦闘も可能だ。 ゲフェンの西門を抜けて目にしたのは─── 対岸を埋め尽くす程にびっしり並んだモンスターの大群だった。 レイドリック、レイドリックアーチャー、カーリッツバーグ、深淵の騎士…さしずめ魔物の騎士団といったところか。 その他にも異形のモンスターが多数見える。空を飛べる魔物がそこら中を飛び回っている。 そして、橋の中程に冒険者達と魔物共の境目があった。そこが最前線というわけだ。 俺は橋へ向かって歩き出した。 戦闘三日目。 ゲフェン近郊の砦、ブリトニアギルドの連中と連携して挟撃する作戦が行われた。 奴らは数こそ少ないものの、相当な手練が集まっている。陳腐な表現をするなら一騎当千というやつか。 だが、モンスターの勢いは衰える気配がない。数が多すぎるのか。 戦闘五日目。 プロンテラからの援軍がまだ来ない。流石に皆に疲れが見え始める。 ブリトニアの連中は補給路を分断されているため、持久戦を見越して砦まで撤退したそうだ。案外頼りない奴らだ。 まぁ食料も武器もなくては戦いにはならん。仕方無いと言えば仕方無いのかもしれん。 ゲフェン側の物資は、ジェムとポーションの残量からして後一ヶ月もつかどうか、というところらしい。 それまでには何か打開策が見つかるといいのだが。 六日目。 死傷者の数が増え始めた。すでに橋は人間の血で紅く染まっている。おぞましい光景だ。 最初は橋を落として敵を防ぐという案もあったらしいが実行はされなかった。 この橋は魔術師の魔法技術とブラックスミスの錬成技術の結晶らしく、激しい戦闘にも揺れもしていない。 これだけ敵が多くては、橋を上げることもできないそうだ。全く何のための技術なんだか。肝心な所がなってない。 八日目。 援軍はまだ来ない。再び使者をプロンテラへ飛ばしたらしい。 度重なる激戦、日々増える死傷者。この状況に耐えられなくなったのか、女のウィザードが発狂しやがった。 チョロい精神をしてやがる。魔術師は常に冷静であれ、と魔術師ギルドから教わらなかったのか?それともギルドの質が落ちたのか? 女は焦点の定まらない眼で薄ら笑いを浮かべながら魔物のほうへ歩いて行った。 戦闘の役には立たないが、『慰安』にでも回せばまだ役に立ったんだが。勿体無い。 無数に降り注ぐ矢。女は針鼠のようになり倒れこむ。そこへレイドリックの剣が叩き付けられた。 頭部があっけなく潰れ、目玉やら脳みそやらが飛び散る。きたねえ花火だ。あんな無様な死に方はしなくないな。 その女を救おうとした騎士も殺られてしまった。まさに無駄死にというやつだ。放っておけばいいものを。 あのウィザードのせいで全体の士気が下がったように思える。死んだ後まで迷惑をかけやがって。 十日目。 ようやくプロンテラ騎士団の部隊が到着した。音に聞こえたクルセイダー部隊だった。 だが兵力が思いのほか少ない。こんな辺境を護るために戦力は割けないというのか。トリスタン三世め。 部隊長はケイナ=バレンタイン、副隊長はブリッテン=ヒルドと名乗った。 女と若造じゃないか。こんな奴らにまともな指揮ができるのか?それともゲフェンは見捨てられたのか? 十二日目。 クルセイダー部隊が奮戦し、ブリトニアへの道を確保した。 的確かつ冷静な指揮のおかげなのか。やるじゃないか、あの部隊長。いい女じゃないか。 前と言ってる事が全く違うな俺は。まぁいいさ、人は時と共に変化する生き物だ。 十五日目。 激しい戦いのさなか、ブリッテン=ヒルドが戦死したらしい。 奴の指揮する騎士団の分隊がブリトニアギルドに辿り着いたものの、退路を断たれたそうだ。 ブリトニアギルドの連中をゲフェンの本隊を合流させるなければならない。彼らの戦闘物資はもう底をつきかけている。 そこでブリッテンは道を確保するために全生命力をかけてグランドクルスを放ったようだ。 その瞬間は俺も見ていた。対岸に巨大な光の柱が見えたからな。おそらくあれだったんだろう。 その凄まじい威力に大地は揺れ、魔物がほとんど吹き飛んでしまった。 百数十人の戦力のために己の命を投げ出すとは、全く恐れ入る。 他人の命と自分の命を平等に量るなど、そうそうできるものではない。惜しい人物を亡くしたものだ。 部隊長のケイナはその報を聞いても表情一つ変えずに指揮を続けていた。隊長がうろたえると士気に影響するからだ。 だが、俺は彼女の握った拳から血が滴るのを見た。本当は悲しく、悔しいのだろう。感情を必死に押し殺しているのがわかった。 強い女だ。いいね、ますます俺好みだ。 二十日目。 遂に死者が病院からあふれる程の数になったらしい。 怪我人の治療も全く追いつかず、不衛生な環境に感染症まで出てるそうだ。 そりゃあ埋葬もできない死体を裏手の小屋に入れておけば腐るにきまってるよな。 橋の上は回収できない死体が数多く放置されている。一面血の海、飛び散った内臓やら腕やら脚やらが腐敗して臭くて仕方ない。 どんどん死人は増え、士気も落ちている。まずいな。追加の援軍が来る気配もない。 二十二日目。 今日も今日とて戦闘。だが、何やら街のほうが騒がしい。 かと思えば、後ろのほうで血飛沫が上がり始めた。何だ?ヤバイ予感がする。 眼をこらして見てみると、一人の剣士が凄まじいスピードで人を斬りながら走っている。 あれはドッペルゲンガーじゃないか!何故街中に現れるんだ!? 悲鳴、怒号、舞い上がる血の霧、吹き飛ぶ腕に流れ落ちる内臓。後衛のプリースト達がなすすべ無く殺されてゆく。 ドッペルゲンガーは更に前線の方へと迫ってきた。俺は奴の通り道を避け、迂回して門をくぐった。 そこで見たものは、地獄絵図と化したゲフェンの市街だった。 民家や店は焼かれ、ナイトメアやデビルチ等の悪魔が跋扈している。 なんてこった。塔の地下から化物共が出てきていたのだ。 逃げ惑う民間人、必死に防戦する冒険者。辺りは死体だらけだ。髪の焼ける厭な臭いがした。 俺は、懐から蝶の羽を取り出した。魔力が込められ、記録された場所に使用者を飛ばすアイテム。 もうゲフェンは駄目だろう。俺はこんな街のために命を賭ける気はしない。とっととずらかるに限る。 この羽が記録しているのは確かイズルードだ。イズルードまで飛んでプロンテラにでも逃げ込もう。 そう判断した俺は蝶の羽を真上に高く放り投げた。途端に俺を襲う浮遊感。目の前が光に包まれる。 光を抜けて眼を開けると、イズルードの町並みが見えた。 鼻をくすぐる潮風の香りと───濃厚な死臭。 何だこれは!?慌てて辺りを見回すと、最初に目に付いたのは女のハンターだった。不自然な横倒しの格好で宙に浮いている。 いや、宙に浮いているのではなかった。赤くおぞましい色の触手が女の身体を支えていたのだ。 支えているというより、刺さっているというほうが正しかった。女の眼に、腹に、胸に、口にと、触手が突き刺さっている。 女は触手──あの赤い色はペノメナだ──に体液も内臓も吸い尽くされ、ほとんど皮と骨格だけになっていた。 横の民家の壁を見ると、おびただしい量の血と飛び散った肉片、持ち主を失った商人用鞄が見えた。 恐らくマルクの体当たりを食らったのだろう。ペシャンコになっている。まるで潰れた蛙だ。 はっ、としてイズルードの入り口の橋を見やる。 そこには、ゲフェンと全く変わらない光景があった。 橋の中程で、プロンテラの騎士が半魚人と槍を交えている。飛び交う矢に攻撃魔法。 半魚人が、マリンスピアーを放り投げた。騎士達が数人、紅い血煙と共に塵になる。 襲撃されていたのはゲフェンだけじゃなかったのか!騎士団の到着が遅れた理由がわかった。なんてことだ。 もう街中に生きた人間はいない。まずい。このままでは俺もあのハンターや商人のようになっちまう。 蝶の羽で──いや、また使ってもこの街からは出られない。走って逃げられるのか?それとも── 一瞬躊躇っているうちに、モンスターがこちらに気付いてしまっていた。 圧縮された水の塊が飛んできた。ソードフィッシュのウォーターボールか。 俺はなすすべも無くそれを食らい、壁に叩き付けられた。呼吸が止まって咳き込み、血を吐く。 くそっ、死ぬのか俺は?なんとしてでも生き延びてやる! 身体を動かそうとした瞬間、血が滴る赤い触手が見えた。 反応する間も無く、俺の身体に突き刺さってゆく。痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い。 朦朧とする意識の中で、眼前に半魚人の銛が迫っているのが見えた。