心地よい風が吹き抜けるプロンテラの草原。 友人の用事を手早く片付けたローグは再びここに戻ってきていた。 先程会った彼の従妹。駆け出しの冒険者である彼女にとってローグの経験と知識は手助けとなるだろう。 過保護すぎかもな、とローグが苦笑する。 昔から本当の兄妹のように接してきた二人。たまに喧嘩もしたし、一緒に泣いたこともあった。 しかし兄や姉というのはいつまで経っても弟妹を心配してしまうのである。 それは変わらない。いつの時代も。どこの世界も。 見覚えのある場所に出た。ノービスである従妹に会った場所からそう遠くない。ローグはそう思った。 と、その瞬間 「キャ――――――――――!!!?」 悲鳴が聞こえた。 ローグは咄嗟に走り出していた。嫌な予感がする。 女のノービスが数人走り去っていった。まるで逃げるように。 ローグの足はノービス達が来た方向へと向かっていた。 そして── そこで彼が目にしたのは、無残な姿と化した従妹のノービスの姿だった。 顔、腹、腕、脚、身体中を盗蟲に齧られ、喰われ、傷付けられている。 蟲にたかられている少女は痙攣するばかり。その小さな口から声が漏れた。 「あ……う…あがぁ…」 最早虫の息だ。だが生きている。ローグはかける言葉も浮かばず駆け寄った。 少女の腹は不気味にぜん動していた。体内から食い荒らされているのは明白だった。 一刻の猶予もない。しかしここで手当てなどこの状態では不可能だ。 このままでは、俺だけでは従妹を救えない。が、絶望に押し潰されてなどいられない。 一瞬のうちに判断したローグは少女の左腕を掴み── 「インティミデイトッ!!」 術者と対象を瞬間移動させるローグのスキル。移動するのはローグとノービスのみ。 青白い二本の光の柱が消え去った跡には、血溜まりに大量の盗蟲が残されていた。 二人が跳んだ先は、プロンテラ大聖堂だった。 ここで修行する聖職者達。彼らは日頃の勤めの傍ら、怪我人や病人を救うための医者としての一面も持っている。 大聖堂には病院の設備もある。おそらくそれらも修行の一環なのだろう。 ローグが頼ったのはそれであった。 「頼むッ!この子を助けてくれッ!!」 血まみれの少女を抱きかかえた血まみれの青年。 プリースト達はいささか驚いたが、彼の必死な双眸を見てすぐに駆けつけてきた。 男の手を離れ、集中治療のための部屋へ運ばれてゆくノービスの少女。 ローグにはそれがとても遠くへ行ってしまうように思えた。 数時間後、病院の一室。怪我人や病人と見て取れる人がちらほらいる。恐らく待合室か何かだろう。 普段信じてもいない神に祈りたい気持ちでいたローグの前に、白衣を来た女のプリーストが現れた。 そしてプリーストはローグへ説明を始める。 「とりあえず一命は取り留めました。が、依然として油断はならない状況です」 ローグの表情は変わらない。聞こえているのか、とプリーストは不安になるが、続ける。 「外傷はすぐに治療できましたが、臓器や顔の傷は深刻です。  数日後に身体蘇生の術儀式を行いますが、全快する可能性は万に一つしかありません。  眼球等の繊細で複雑な部位の蘇生が成功した例はほとんど無いのです…  後遺症が残るかもしれませんし、不衛生な盗蟲からの感染症にかかる恐れもあります」 そこまで聞いて、ようやくローグが口を開いた。ただ一言。 「………そうか」 うつむいているため、プリーストからは顔はよく見えなかったが、やはり表情は変わっていないように見えた。 「とにかく、私共も出来る限りの事はいたします。  彼女は今は小康状態で、麻酔で眠っています。部屋に入る事は可能ですが…」 「頼む」 今にも消え入りそうなローグの声。とてもとても疲れた声だった。 「では、こちらへどうぞ。あの子の傍に居てあげてください」 プリーストが踵を返す。足音こそしないがローグも彼女についてきていた。 ノービスの少女の病室。ローグは言葉もなく、ただ少女を見つめていた。 ベッドに横たわった彼女は全身を包帯で覆われている。 顔もほとんど見えない程包帯が巻かれ呼吸のための機械がつけられていた。 透き通るような美しい金髪が、少女と認識できる唯一の部分であった。 ローグはしばらくの間、少女の髪を撫でていた。 「失礼します」 おそらくノービスの担当の、先程の女プリーストが扉を開けて入ってきた。 「────?」 が、その時はローグの姿はどこにも無かった。 プロンテラはすっかり夕日に包まれていた。木も草も人も、何もかもが赤く染まる時刻。 その中を、赤い闇が一人歩いていた。目的は、昼間のノービス達。 従妹の頭にはうさ耳が無かった。そしてすれ違ったノービスの一人がうさ耳を持っていた。 これが何を意味するのか。ローグの中ではすでに明確に答えが出ていた。 「とっさにうさ耳持って逃げてきちゃったけど、どうしようこれ…」 「貰っておけばいいんじゃないかしら?どうせバレやしないわよ」 「それ売りゃ装備買えるじゃねーか。ラッキーだぜ」 三人のノービスの会話。罪悪感が微塵も感じられない言葉のやりとり。 次の瞬間、ヒュン、という風切り音が聞こえた。 突然の事で反応もできないノービス達。脚に感じた激痛に、視線を落とすと 三人の両の腿に矢が突き刺さっていた。 「うああああああああああああああっ!!!!!」 痛みと恐怖の入り混じった悲鳴。近くにいたポリンが驚いて逃げていった。 三人の脚から力が抜け、その場に崩れ落ちる。立つことも逃げることもままならない。 当然だろう。脚の傷のせいで全く力が入らないのだから。 そして彼女らの目の前に赤い闇が現れた。 ローグは弓を握り締め、三人──いや、三つの獲物を見下ろす。 こいつらだ。こいつらのせいで。ローグの心にどす黒い感情が湧き続ける。 ノービス達も事態を理解したようだった。即ち、復讐。 ローグの動きは目にも止まらぬ程素早かった。 どこからか矢を取り出したと思うと、一瞬のうちに弓を引き、放つ。 見ると、ノービスの一人、ポニーテールの少女の両眼に一本ずつ矢が刺さっていた。 後頭部から矢じりがのぞいている。矢は完全に貫通して止まっていた。 「グギャアアアアアアアアア!!!!!」 断末魔の叫びを上げ、倒れこむノービス。見るも無残な姿のまま痙攣している。 「うわあああああああひゃあああああああ!!!!」 残りのノービスが二人、悲鳴を上げた。あっという間に殺された。自分達もこうなるのか。 「うるせぇ」 ローグは言葉を吐き捨てると、ロングヘアのノービスの首に蹴りを入れた。 「げぼっ!!」 吹き飛ばされ、地面に這いつくばる少女。今のダメージで息が出来ない。 呼吸を整える間もなくローグが少女の首を踏みつけると、ごぎっ、という嫌な音がした。 どんなに荒れた場所での活動も可能にするためか、ローグ達のブーツには鉄板が仕込まれている。 その硬さと重さがノービスの首の骨をあっけなく踏み砕いたのだった。 「ちっ…脆いな」 まだ苦しませてから殺すつもりだった。ローグは舌打ちをする。 残るは一匹。気を付けて殺すことにしよう。 男は残った一人のノービスへと視線を向ける。 「ひっ………」 眼が合った瞬間、少女の恐怖心が色濃くなる。 ローグはノービスの首を掴むと、右の拳を顔面に叩き込んだ。 「ぐあああああああッ!!」 鼻の骨が砕け、前歯も何本かへし折れたようだった。 あまりの痛みに気を失いそうになるが、両耳をローグに掴まれ、急激に現実へ引き戻された。 そんな事をしてどうする気なのか。まさか── びりっ、という音が聞こえた。 「ああああああああああああああああ!!!!!」 激しい痛みと、自分の身体が壊されたという認識。そして絶望。 ノービスの眼には地面に無造作に投げ捨てられた自分の耳が映っていた。 「うるせぇってんだよ。少し黙ってろ」 男の言葉と共にノービスの腹に蹴りが入り、彼女は血を吐いた。 内臓に深刻な損傷が出たということだろう。顔を涙とよだれと血で汚し、地面に倒れた。 「あ、ああ……げは……ゴボッ、グエッ」 もうすでにまともな言葉すら喋れない。その口は血を吐くのみだった。 「ふざけやがって!!このド畜生がァ──ッ!!」 ローグの責めにはためらいも哀れみも無かった。眼に狂気を宿し、執拗に少女を蹴り続ける。 肋骨は全て折れ、両の手は酷く踏み砕かれ、足は妙な方向に曲がっていた。 気絶しては、激痛で覚醒する。その繰り返し。ノービスの眼からは光が消えていた。 ローグがノービスの頭を蹴り上げた。額が傍の岩に叩き付けられ、血が飛び散る。 ここで少女は完全に気絶した。いや、もう既に死んでいるのかもしれない。 止めを刺そうと、ローグが足を振り上げたその瞬間── 「貴様!!そこで何をやっている!?」 凛とした男の声がした。悲鳴を聞きつけてきたのだろうか。 おそらく騎士であろうその男は、剣を抜いた。ローグの足元にはノービスが三人倒れている。 が、まばたきする程の一瞬のうちに、ローグの姿はどこにも無くなっていた。 気付いたら、私は知らない部屋のベッドの上だった。 薬や消毒液の匂いがする小ぎれいな部屋。ここは…病院? なんでこんなところにいるんだろう?それに身体中が痛いし頭がボーッとする。 「気が付いたのね。よかった」 女の人の声だ。部屋には白衣を着たプリーストのお姉さんがいた。やっぱりここは病院だった。 お姉さんが私の額に乗ってる布を取り替えてくれた。水に濡らしたタオルの冷たい感触が気持ちいい。 なんでこんなところにいるんだろう?さっきと同じ疑問が浮かんだけど、わからない。覚えていない。 ただ、嬉しい事があったことだけは覚えている。何だっけ…?何があったんだっけ…? 「まだ安静にしていないと駄目よ。少しでも具合が悪かったらすぐに言ってね」 お姉さんの優しい声。この声を聞いているとなんだか落ち着く。 でもやっぱり疑問は消えなかった。私は思い切ってプリーストのお姉さんに聞いてみることにした。 「あの…私、どうしちゃったんですか?なんで病院にいるんですか?」 私は自分の声にびっくりした。しゃがれたような変な声になっていた。 お姉さんは、ちょっと困ったような表情を浮かべてこう答えてきた。 「う〜ん…気になるかもしれないけど、今は身体を治すのが先。元気になったら何でも話してあげるわ」 今にして思えば、お姉さんは私がショックを受けて病状が悪化しないようにしてくれたんだと思う。 私は、うん、とだけ頷いた。お姉さんはそれを聞いて笑顔を見せてくれた。 「いい子ね。ごめんね」 お姉さんが頭を撫でてきた。ちょっと恥ずかしかったけど、心地良かった。 ふとベッドの傍の机が見えた。上には、ウサギのヘアバンドと一振りのマインゴーシュがあった。 それから一ヶ月程が経った。 私の身体は良くなっていったが、なんだか身体が重い気がする。それはずっとベッドにいたからかも。 一ヶ月の間に、プリーストのお姉さんから色々な話を聞いた。 私はモンスターに襲われて崖から落ちて大怪我をした、と教えてもらった。 けど、私にはそれが嘘だってわかった。色んなことを思い出したから。でもお姉さんには言わなかった。 病院の外の事や面白い話もいっぱいしてくれた。 悲しい話も聞いた。私の身体はまだ完全には治せてなくて、自然に回復するのを待つしかない、とか。 左眼がもう元には戻らないと聞いた時はちょっとショックだったけど。 治療の後、私は二週間くらい高熱で危険な状態だったらしい。お姉さんは、感染症とかなんとか言ってた。 そして、私が病院に運ばれてきた日の夕方に、私と同じノービスが三人、意識不明の重体で運ばれてきたらしい。 その話を聞いて、私は何があったのかわかってしまった。 そして、手を汚してしまったローグのお兄さんはもう私の前に現れないだろうということも。 その日の夜は、眠れなくて泣いた。 数年後─── プロンテラ大聖堂付属の病院で働くプリーストの女性の姿があった。 彼女は左眼に常に眼帯をしていた。その髪は美しい金色で、まるで金糸のよう。 誰よりも、何よりも優しいそのプリーストの笑顔は、治療以上に病院を訪れる人を癒している。 傷付いたノービスの少女は、身体の障害を乗り越えてプリーストになっていた。 あの時、病院に運び込まれたノービスのうち一人は、首の骨が折れていてその日に死んでしまったそうだ。 あとの二人は、脳に損傷があるらしく、言葉も発しなければ動こうともしない。いわゆる植物状態だった。 そのプリーストは、この二人を救うために日々修行を積んでいる。 蘇生術を極めれば、自らの眼を治すことができるかもしれない。この二人も救えるかもしれない。 まだ身体の傷も心の傷も完全には癒えていない。彼女は二人を許したわけでもなかった。 だが、二人を救うことができれば、再びローグのお兄さんに会える。そんな気がしていた。 調べてみたが、あの後お兄さんの姿を見た人はいなかった。 もし心が闇に囚われてしまったなら、私が救わないといけない。 また一緒に笑い合える日がいつか必ず来る。彼女はそう信じている。 彼女の心に応えるように、ウサギのヘアバンドが風に揺れていた。