ここはプロンテラの南門前。いつも露店や仲間を求める人で賑わっている。 小鳥のさえずりが聞こえる。今日もいい天気だ。 心地よい雑踏の中で、一人のローグが足を止め、誰に言うとでもなく呟く。 「やっべ…この武器渡すの忘れてたよ…」 つい先程、うさ耳をプレゼントしたノービスの少女。昔から本当の妹のように可愛がってきた従妹。 正直うさ耳の材料を集めるのには苦労したが、彼女の笑顔を見た瞬間そんな事はどうでもよくなった。 そして、ローグの手にあるのはマインゴーシュ。使い古しだが、駆け出しの冒険者にとっては大きな助けとなる。 「まだあのへんにいりゃいいんだけどな」 友人から呼び出されていたのだが後回しにした。遅刻癖は承知してるだろうからいつものことだ。 ローグは少女に会った場所へ向かって歩き出した。 途中、色々な人とすれ違った。流石はプロンテラだ。周辺も人が多い。 ただ、ノービスの三人組と目が合った瞬間脅えた表情を見せて走り去られたのはショックだった。 ローグの服装はそんなに怪しいものなのか?それとも俺の顔が怪しいのか?苦笑しながら歩を進める。 程なくしてノービスの少女と別れた場所にたどり着き── ローグは言葉を失った。 そこにいたのは──いや、そこにあったのは、血の海と喰い荒らされた死体と大量の盗蟲だった。 それが死んでいるのは一目瞭然、全身を盗蟲に喰われ無事な部分などほとんど無かった。 内臓は全て喰われ、肋骨の隙間に蠢く盗蟲が見える。脚を見ると、皮膚の下を喰い進む盗蟲がいる。 顔は最早誰かもわからない程になっており、眼があったはずの暗い穴から盗蟲が顔をのぞかせていた。 そして、唯一喰われていない部分、死体の髪を見てローグは確信してしまっていた。 この死体は可愛い従妹の変わり果てた姿だ、と。 彼女はその透き通るような金髪が自慢だった。頭を撫でてやると困ったような顔をしつつも喜んでくれた。 今は血と泥にまみれ、赤黒くなってしまっている少女の金髪。 頭痛がする。吐き気がこみ上げてくる。なんだ?これは?どうしてこんなことになってしまったんだ? 気が狂いそうだ。眩暈に耐え、なんとか現実を直視しようとする。 と、ここで違和感に気付いた。うさ耳が見当たらない。他に頭装備の無い従妹が装備を外すとは思えない。 盗蟲が喰ったにしても、ヘアバンドの部分すら無いのはおかしい。 ローグは自分が冷静になっていくのを感じた。こんな時はローグギルドの訓練が恨めしい。 ふと脳裏に先程のノービス三人組が浮かんだ。何か解せない。 脅えて逃げたのは、ローグや俺の顔が怖いのではなく『この事を知っていたから』ではないのか? 根拠も何も無い。が、手がかりだけでもあるかもしれない。ローグは三人を探して走り出した。 ノービスの少女が死んだ場所からそう遠くはない場所。 岩陰に隠れるようにして三人のノービスが座り込んで言い争っていた。 「ちょっと!どうすんのよあんなことになって!」 ボブカットの少女が声を荒らげる。 「何言ってんだよ!てめぇだって蹴ってたじゃねぇか!人のせいにすんなよ!」 少女らしくない口調で、ポニーテールのノービスが怒鳴る。 語気は荒いが、黒い髪は乱れ顔面は蒼白だった。 最後の一人、青いロングヘアの少女は手のうさ耳を握り締めたまま震えている。 それに気付いたポニーテールのノービスが更に怒鳴った。 「何でそんなもん持ってきてんだよ!とっとと捨てろよ気色悪い!」 はっ、として気付く。慌てて逃げてきたため自分でも気付いていなかったのである。 「そ、そうよ!さっきあのローグもいたじゃない!早く捨てよ!」 二人が青い髪の少女へ視線をやり、その表情が凍りついた。 「そのローグってのは俺のことか」 三人の心臓が跳ね上がるように鳴った。 視線が声の主へと集まる。男はロングヘアの少女の背後に立っていた。 ローグの冷たい眼。まるで獲物を見るかのような。ノービス達にはそれがわかった。 「お前らか」 ただの一言。だが少女らには何が言いたいのか痛い程に理解できる。 三人は答えない。答えればどうなってしまうのか。恐ろしくて口が動かない。 しばしの静寂。やがてボブカットの少女がなんとか声を絞り出した。 「あ、あたし達のせいじゃない…」 その言葉は少女の最期の言葉となった。一瞬のうちに首が宙を舞う。 ローグにとって最悪の答えだった。謝るわけでもなく、命乞いをするでもなく、責任逃れ。 既に男には自制心などかけらも無くなっていた。 二人のノービスは、何が起きたのか瞬時には理解できなかった。 首の無くなったノービスの身体から血が噴き出る。 鮮血のシャワーを浴び真紅に染まった自分達を見て、ようやく事の重大さを認識した。 「きゃあああああああああああ!!!!!!」 悲鳴。どちらのものなのか。あるいは二人同時に叫んだのか。 そんな事はどうでもよかった。ローグはゆっくりと獲物に近づく。 「お前等にはあいつと同じ目にあわせてやる…まずは恐怖だ」 あまりにも明確に自分達に向けられた殺気。恐怖で身体が動かない。 ノービス達は生きながら蛇に飲み込まれる蛙の気持ちを理解した。 逃げようにも、腰が抜けている。次に殺されるのはどっちなのか。ポニーテールの少女は失禁していた。 「ひ…た、た、たす…」 地面を濡らしながら、少女が命乞いをする。何を今更、とローグは嘲笑した。 次の瞬間、ローグの姿が消えた。一瞬のうちにポニーテールのノービスの背後に移動したのだ。 背中から肋骨の隙間を通してナイフが刺し込まれる。両の肺に大きな穴が開き、呼吸ができなくなった。 「次は『もう助からない』という絶望だ」 ポニーテールの少女がその場に倒れ込む。息を吸おうにも、穴から空気が抜けてゆく。 傷そのものは致命傷ではなかったが、窒息死するのは時間の問題だった。 「苦しいか?人生最期の時をせいぜい苦しんで過ごして死ぬといい」 ローグの冷酷な言葉。そして残ったノービスへ視線を向ける。 ロングヘアのそのノービスは恐怖で声一つ上げられなくなっていた。 「最後は痛みだ。これからお前に味わわせてやる」 男のその言葉で、これから自分がどうなるのかを理解するノービス。 彼女の心は既に絶望に染まっていた。抵抗すらできない。逃げられるはずもない。 ローグはナイフをしまい、右の拳を女の鳩尾に叩き込んだ。 内臓ごと吐き出しそうになる程の痛み。そして景色が歪み、強烈な吐き気と眩暈が彼女を襲った。 気付くと、景色が全く変わっていた。 気絶している間に運ばれたのかとも思ったが、ノービスの腹の鈍い痛みはまだ引いていなかった。 インティミデイト──術者と対象を一瞬のうちに別の場所へと移動させる技である。 もっとも、少女には何が起きたのか全くわかってはいなかったが。 辺りを見回すと、ローグはいなかった。暗くジメジメした通路に一人。 そこら中からカサカサという音がする。その音が何であるかを理解するのに時間はかからなかった。 そこにいたのは、正確には『一人と数十匹』であった。 「ぎゃあああああああああああ!!!!!!」 プロンテラ地下水道に悲鳴が響く。 凄まじい数の盗蟲。その全てがノービスの身体を貪り始めた。 血の飛び散る音と咀嚼する音。少女は骨すら残さずこの世から消え去った。 プロンテラの草原。従妹の死体の前にローグはいた。 何故彼女が死ななければならないんだ。何故彼女がこんなに苦しまなければならないんだ。 何故俺がこんなに苦しまなければならないんだ。 憎き奴らは一人残らず殺した。だが心の中のどす黒い感情は消えてはいない。 俺はどうすればいいんだ。俺は誰を憎めばいいんだ。 答えが出るはずのない問いが浮かんでは消えてゆく。モウイヤダ。モウイヤダ。モウイヤダ。 そして男は彼女を憎み、愚かな犯人を憎み、 彼女を救えなかった自分を憎み、残酷なこの世界を憎んだ。 ───○月×日 デイリー・プロンテラニュース 昨夜未明、古代よりの魔を封じ込めたゲフェンタワーの地下ダンジョンにドッペルゲンガーが出現。 十数人の犠牲者を出すも冒険者によって処理された。 ドッペルゲンガーは人の姿をした強力な魔物で、極まれにダンジョンに出現するという。 ドッペルゲンガーの出現には、形を持たない魔物が最初に遭遇した人間の姿を真似て現れる、 ドッペルゲンガーに殺された人間を埋葬せずに放置すると魔物に変化する、 心を失った人間に悪魔が取り付き変質してドッペルゲンガーになる、等の説があり、専門家の間では───