噴水のベンチに腰掛けて、アコライトの少女は日だまりの中にいた。  小さな顔は幸せそうにゆらゆらと揺れていて、まどろみにすっかり身を任せている。  普段なら騒々しい雑踏も、露店商人の威勢のいい声も、今の彼女にはいい子守唄だ。た とえ誰かが助けを求めたとしても、モンスターが暴れまわったとしても、女性が悲鳴を上 げたとしても、彼女には心地の良い音にしか聴こえなかった。  古木の枝によって召喚されたモンスターは、アルギオペと呼ばれる真紅の怪物だった。 激しい生存競争のなかで凶悪な進化を遂げ、人間を軽く飲み込めるほど巨大になったムカ デである。  血のように赤い節々をうねらせ、アルギオペは手近にいた商人の顔面に食らいついてい た。鋼をものともしない強靱な顎はやすやすと肉を食いちぎり、悲鳴を上げる間もなく顔 の半分が失われた。 「ゲぇへ!」  歯ぐきが剥き出しになった顔を押さえ、男は這いつくばって逃げた。  血の涎を垂らし、言葉にならない喘ぎ声をもらしながら、それでも必死に手を伸ばした。  その手が、眠りこけているアコライトの足をつかんだ。 「た、たのっ、たすけてくれ……!」  懇願する男の顔は蒼白で、死人そのものだった。 「ん……」  アコライトの少女は眠たそうに目を開けると、血だらけの男をぼーっとした表情で見た。 「あはは、おもしろいかお……」  にっこり微笑んで、またすやすやと眠りに落ちた。  男の顔が絶望にゆがむ。追ってきたアルギオペは男の背にのしかかり、頭に噛みついた。 骨の砕ける音がして、ずるりと頭皮がむしり取られていく。  牙からは緑色の汁があふれだし、外気に当てられた頭蓋骨をすべり落ちる。そしてどす 黒い血と混ざりあいながら、地面に毒と血の池をつくった。  男はそれでも生きていた。そばにいたプリーストの女性が、なんとか助けようとヒール で傷を癒し続けていたのだ。  男の意識だけは鮮明で、なぜ自分は死なないのだろうと不思議に思いながら地獄の苦し みを味わっていた。かみ砕かれる感触と激痛だけが、絶え間なく蝕んでくる。  死なせてくれ……。なみだと鼻水で濡れる男の口が、かすかに動いた。  その直後だった。アルギオペの重圧に耐え切れなくなった胴が、内臓を吐き出しながら ひしゃげた。回復はもはや不可能だ。  アルギオペは標的が大人しくなると、その愚鈍な体からは想像もできない俊敏さでプリ ーストへ向かった。  とつぜんの事に彼女は反応できなかった。一撃で腹を持っていかれ、おびただしい量の 血が噴き出した。ずたずたに引き裂かれた服が、あっという間に血で染まっていく。内臓 がぼとりと地面に落ちた。ぱっくりと開いた腹から長い腸が垂れさがり、脈をうつ赤黒い 体内がさらされた。  ショックで意識が飛ぶ寸前に、彼女は自分にヒールをかけていた。体内で肉がうごめき、 飛びだした内臓の代わりが作られていく。そして、ぼやけていた意識が明確になった。麻 痺していた感覚器官も回復し、露出した体内を、落ちた内臓を、陰部まで引き裂かれた自 分の体を直視した。 「い……いやああああああああああああああああ!」  垂れ下がる腸を自分の手で支えながら、空を切るような悲鳴を上げた。涙がぼろぼろと こぼれ、嗚咽が血と一緒に吐き出される。  アルギオペの顎が目の前に迫ったとき、彼女は苦痛から逃れるために自ら死を選んだ。  名のある冒険者が駆けつけてきた時、すでにプリーストの姿はなかった。アルギオペの 口からは細い足がはみ出しており、美味そうに捕食されているところだった。           噴水のベンチに腰掛けて、アコライトの少女は血だまりの中にいた。  足元には原形を留めていない肉の塊が転がっており、ちぎれた腕が足をつかんでいる。 すこし離れた場所には、女性のと思われる細い足が片方だけ落ちていた。  アルギオペも、今では血を流したまま動かなくなっていた。生きていた時とは違い、 だるまのような醜い姿になっている。アルギオペの短い足は高値で売れるため、一本残ら ず抜き取られたのだ。  アコライトの少女はうっすらと目を開け、血色に染まる景色を見渡した。 「あれ……まだ夢みてるのかな……」  眠たそうに言ってから、もう起きないと……、とふたたび目を閉じた。  彼女の夢の中では、殺されても直ぐに生き返ることのできる素晴らしい世界が広がって いた。  そこでは傷つくことも死ぬこともすべて楽しんでしまうのが当たり前で、“枝テロ”と 称される――古木の枝でモンスターを召喚し、露店商人を八つ裂きにする祭りが毎日のよ うにおこなわれていた。  アコライトの少女は枝テロが大好きだった。次々に死んでいく人間を見るのが快感だっ た。  どれくらい好きなのかというと、現実でも古木の枝を肌身はなさず持ち歩き、寝ている 間にうっかり使ってしまうぐらい、大好きなのである。